第196話「呼び集う力、六つ目の証」
白い道には、相変わらず自分たちの足音しか響かない。
キメラの眉間に剣を突き立ててから、ヘクサインで二晩を過ごした。
呪文の使用回数は、全員そろって元に戻っている。
「残り二つでござるな」
ワングが村雨の鞘に軽く手を添えた。
「数えるの、やめない? 数えると、遠く感じる」
ネリスが耳を後ろへ倒す。
「近く感じる、の間違いじゃなくて?」
ミラが小さく笑った。
「どっちでもいい。着いた」
スルの声で、六人の足が止まる。
見慣れた扉だった。
刻まれた文字は、いつもの書き出しから始まっている。
「七つの試練。一つにつき、一つの恩恵あり」
その下に、また新しい一文が浮かんでいた。
「加護たる助力に、新たな助けとなる力を呼び集わん」
ノリアが声に出して読み、それから眉を寄せた。
「……前より、長くなってない?」
「長いのに、わかりやすくはなっておらぬでござる」
ワングが真顔で頷く。
「加護、っていうと」
ミラがちらりとカインを見た。
「俺か?」
カインが自分の顔を指さす。
「エランドの加護、持ってるのカインでしょ。ミーもいるし」
ネリスがあっさり言った。
「呼び集わん、ってのも、召喚っぽいよな」
カインは頭をかいた。
「っぽい、だけだけど」
「考えても、埒が明かない」
スルが盾の持ち手を握り直す。
前にも誰かが言った台詞に、何人かが苦笑した。
「いつもの段取りでいく。開けたら、すぐ固める」
カインが皆の顔を見回した。
「承知」
ワングが扉に手をかける。
音もなく、扉が開いた。
「封癒」
「反跳結界」
「守護の盾!」
ノリア、ミラ、ワングの声が、ほとんど重なる。
「ゴーレム!」
カインの印から、岩の巨体が立ち上がった。
光の壁が六人を包み込んだ、その向こう。
獅子がいた。
いや、獅子と呼ぶには、どこか形が違う。
丸い頭に、ぴんと尖った三角の耳。
頬から伸びる、長く白い髭。
しなやかに揺れる、細い尻尾。
ライオンというより、猫に近い。
ただし、背丈は天井に届きそうなほどある。
そして猫の柔らかさは、どこにもなかった。
金色の目が、六人をひとりずつゆっくりとなぞっていく。
それだけで息が詰まった。
「大きい猫、だね」
ノリアが杖を握りしめたまま呟く。
「かわいくない猫でござる」
ワングの声は、少しだけかすれていた。
獅子が前足を持ち上げる。
次の瞬間には、もう振り下ろされていた。
「来るぞ!」
スルが盾を差し出す。
爪が盾の表面を掻いた。
甲高い音とともに、スルの体が三歩分、後ろへ滑る。
ダダの打った盾に、三本の白い傷が走っていた。
「……まともに当たったら、終わりだ」
スルが低く言う。
ゴーレムが横から組みついた。
獅子は、うるさそうに前足を払っただけだった。
岩の巨体が、壁際まで転がっていく。
「ゴーレム!」
カインが叫ぶ。
ゴーレムはのそりと起き上がったが、肩の岩が大きく欠けていた。
そのとき、獅子の髭がふるりと震えた。
詠唱は、なかった。
口も開かない。
なのに、頭上に炎が生まれた。
一つではない。
炎の上に雷が走り、その上から凍てつく風が重なって降ってくる。
「無詠唱……!」
ノリアの顔から、血の気が引いた。
三つの呪文が、立て続けに光の壁へ叩きつけられる。
守護の盾が、悲鳴のような音を立てた。
「守りの聖歌!」
ミラがすかさず重ねる。
二枚目の壁が、ぎりぎりのところで炎を受け止めた。
それでも、熱が頬を焼く。
壁の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていくのが見えた。
「剥がされかけておるでござる」
ワングが歯を食いしばる。
「張り直す! 守護の盾!」
新しい壁が、古い壁の内側に重なった。
「弱点とか、無いのか?」
カインが叫ぶ。
四つ目の試練を越えてから、敵と向き合えば何かしらの像が頭に浮かぶようになっていた。
トレントのときは、炎。
ローブの男のときは、その姿そのもの。
「何も来ないよ」
ミラが首を振った。
「私も。真っ白」
ノリアが続く。
「拙者もでござる。何も浮かばぬ」
ワングも眉間に皺を寄せた。
ネリスもスルも、黙って首を横に振るだけだった。
「弱点がない、ってことか」
「浮かばない、ってだけかもしれない」
カインの呟きに、ミラが答えた。
どちらにせよ、頼れる手がかりはない。
「なら、削るだけ」
ノリアが杖を高く掲げた。
杖の先に、ゆっくりと魔力が集まっていく。
二つ目の試練で身につけた、魔力の輪郭を練るやり方だ。
「時間、稼いで」
「任せろ」
スルが前へ出た。
ワングもその横に並ぶ。
村雨と、幻の右手に握らせた氷姫。
二本の刃が、獅子の前足へ同時に走った。
刃は毛並みを裂いた。
だが、浅い。
分厚い毛と皮の、その下までは届いていない。
獅子の尻尾が、鞭のようにしなった。
ネリスが跳んでかわす。
かわした先に、もう前足が来ていた。
「ネリス!」
スルが盾ごと体をねじ込む。
爪は盾の縁をかすめ、スルの肩口を浅く裂いた。
「癒しの波!」
ミラの光が、すぐに傷を塞ぐ。
「助かる」
スルは振り返りもせずに、また盾を構えた。
「業炎獄!」
ノリアの声が響いた。
練り上げた炎が、獅子の全身を呑み込む。
部屋じゅうが赤く染まった。
熱風が、六人の髪をまとめて巻き上げる。
「やった……?」
ネリスが目を細める。
炎の向こうで、金色の目が光った。
獅子は、ぶるりと身を震わせただけだった。
焦げた毛の先が、ぱらぱらと床に落ちる。
それだけだった。
「効いては、いる。いるけど」
ノリアが唇を噛んだ。
獅子の髭が、また震える。
今度は、雷が二つ重なって落ちてきた。
守護の盾が一枚、砕け散る。
「群癒!」
ミラの声とともに、六人の体を温かな光が包んだ。
「雷殺!」
ワングが雷を返す。
獅子の肩で、白い火花が弾けた。
ゴーレムが再び組みつき、スルが盾で前足を押さえ込む。
その隙に、ネリスの短刀とカインの剣が、脇腹へ滑り込んだ。
手応えは、ある。
だが、あまりに小さい。
獅子は低く喉を鳴らしただけだった。
猫が喉を鳴らすのと、同じ音。
ただ、その音が部屋の床まで震わせている。
「……持久戦は、こちらが不利でござる」
ワングが肩で息をした。
呪文の残りを数えている暇は、もう誰にもない。
防御の壁は、また薄くなりつつあった。
そのときだった。
『召喚してみろ』
カインの頭の中で、声がした。
誰の声なのかは、わからない。
四つ目の恩恵で浮かぶ像とも、違う。
言葉だけが、ぽつりと置かれたような感じだった。
「召喚……?」
カインは剣を握ったまま、獅子を見上げた。
これまで、取り込みがうまくいったときのことを思い出す。
決まった手順があったわけではない。
印の組み方を変えたわけでも、特別な呪文を唱えたわけでもない。
呼びたい。
仲間にしたい。
そう思っただけだった。
「カイン、何してる!」
スルの声が飛ぶ。
「ちょっとだけ、時間くれ」
「ちょっとって、どのくらい」
ネリスが叫び返す。
「わからん!」
「わからぬものに、命を預けるのでござるか」
ワングが呆れたように言いながら、それでも獅子の前へ出た。
「守護の盾!」
カインが唱えた。
六人を包む壁が、もう一枚、厚みを取り戻す。
それを確かめてから、カインは目を閉じた。
(呼びたい)
(仲間にしたい)
(お前と、一緒に行きたい)
胸の奥で、その思いをゆっくりと広げていく。
印を組んだ手のひらで、見覚えのない紋様がうっすらと熱を帯びた。
獅子の動きが、止まった。
振り上げた前足が、宙で固まる。
金色の目が、まっすぐカインを見た。
それから。
獅子の輪郭が、しゅるしゅると縮み始めた。
天井に届きそうだった背丈が、壁の半分になる。
膝の高さになる。
足首の高さになる。
やがて床の真ん中にちょこんと座っていたのは、手のひらに乗りそうなほどの、白い子猫だった。
六人は、しばらく誰も動けなかった。
「……あれ? ミー?」
カインが、ようやく声を絞り出す。
子猫は、前足で顔をひとなでした。
「仕方がない」
聞き慣れた、ふてぶてしい声だった。
「六つ目の証として、仲間になってやろう」
「いや、仲間って」
カインが言いかける。
「もう、仲間だったよね?」
ネリスが首を傾げた。
「細かいことを気にするな」
子猫はそれだけ言って、大きく口を開けた。
「みゃー」
鳴いたのか、あくびをしたのか、よくわからない。
たぶん、両方だった。
カインの膝から、すとんと力が抜けた。
その場に、へなへなと座り込む。
「俺たち、今の今まで、ミーと殴り合ってたのか?」
「わからぬでござる」
ワングが、刀を収めるのも忘れて呟く。
「わからぬが、手加減されていた気は、せぬでござるな」
「全然、されてなかった」
スルが、傷の入った盾を見下ろした。
「業炎獄、全力だったのに」
ノリアが、黒く焦げた床と子猫を見比べる。
子猫は、焦げ跡の上でくるりと丸くなった。
「加護たる助力に、新たな助けとなる力を」
ミラが、扉の文言を小さく繰り返す。
「呼び集わん、か」
「呼んだら、来た」
スルが短く言った。
「来たというより、縮んだでござる」
ワングの言い方に、ノリアがとうとう吹き出した。
つられて、ネリスも笑う。
張り詰めていた部屋の空気が、ようやくほどけていった。
カインは座り込んだまま、丸くなった子猫を見つめた。
あの声は、誰だったのだろう。
尋ねても、たぶん答えてはくれない。
「みゃー」
子猫が片目だけ開けて、もう一度鳴いた。
「……わかったよ」
カインは、長い長い息を吐いた。
脱力しきった顔のまま、それでも少しだけ、口の端が上がっていた。




