第195話「眉間の一閃、五つ目の証」
ヘクサインで一晩を過ごし、五層への扉の前に、六人は再び立っていた。
魔女たちを退けてから、まだ中一日しか経っていない。
それでも、足取りに迷いはなかった。
刻まれた文字は、見慣れた書き出しのままだった。
「七つの試練。一つにつき、一つの恩恵あり」
だが、続く一文が、また新しく加わっている。
「自らの糧を、他の者にわかち与えん」
「またまた、わかんない」
ネリスが耳を伏せながらぶつぶつ呟く。
「糧って、食べ物の話でござろうか」
ワングが、真面目な顔で見当違いなことを言った。
「たぶん、違う」
ノリアが即座に切り捨てる。
「考えても、埒が明かない」
カインが肩をすくめた。
「まずは行くか」
カインが、皆の顔を見回してから、扉に手をかけた。
六人は、五度目の扉の前で、それぞれ小さく息を整える。
音もなく、扉が開く。
広い部屋の中央に、それは立っていた。
獅子の顔。
前腕は、鉤爪をそなえた鳥の脚。
後ろ脚は、虎のそれ。
長い尻尾の先で、蛇の頭が鎌首をもたげている。
背には、鷲そのものの翼が二枚。
床には、焦げたような臭いが薄く漂っている。
爪の先が、石の床を、こつりこつりと叩いていた。
凄まじい圧が、部屋いっぱいに満ちていた。
「……盛り合わせでござるか、これは」
ワングの声が、わずかに震えている。
軽口のつもりだろうが、笑う余裕は誰にもなかった。
六人の脳裏に、同時に同じ言葉が浮かんだ。
『硬き事、鋼のごとし。眉間のみ望み叶うる』
「また、これ」
ミラが小さく息を呑む。
「今度は、はっきりしてる」
スルが盾を構えながら言った。
「鋼みたいに硬い。狙うのは、眉間だけ」
「言うだけなら、簡単でござるが」
ワングが村雨の柄に手をかけた。
「封癒」
ノリアが真っ先に唱えた。
「反跳結界」
ミラが静かに続く。
「守護の盾!」
ワングとカインが同時に唱えた。
光の壁が、六人を包む。
「ゴーレム!」
カインの印から、岩の巨体が現れる。
「行くぞ!」
スル、ゴーレム、ワング、カインが前へ出た。
スルの盾が、キメラの前脚を打つ。
金属同士がぶつかったような音がして、盾ごと弾き返された。
「硬い……!」
ゴーレムの拳が、続けて胴を殴る。
拳の表面に、ひびが入った。
手応えは、ほとんどない。
ワングの二刀が、次々と斬りつける。
村雨も氷姫も、鋼の体表を滑るだけだった。
「刃が、まったく食い込まぬでござる」
カインの剣も、同じだった。
弾かれるたびに、腕へ痺れが走る。
「もう一度でござる!」
ワングが、間を置かず斬りつけた。
結果は、同じだった。
刃こぼれひとつ、残せない。
「これは、埒が明かないぞ」
カインが、剣を引いて距離を取る。
「業火弾!」
ノリアの炎が、獅子の顔面を包んだ。
毛の一本すら、焦げなかった。
「雷殺!」
続けて放った雷も、体表で弾けて消える。
「嘘でしょ……」
ノリアの声に、焦りが混じった。
炎も雷も、ただの光の粒になって、床へ落ちていくだけだった。
キメラの尻尾が、鎌首をもたげたまま揺れる。
蛇の口から、細い毒の息が漏れた。
ネリスが跳んでかわす。
「毒まで、吐くの」
「油断するな!」
カインが叫んだ。
息つく間もなく、獅子の顎が、大きく開かれる。
喉の奥で、炎の色をした光が渦を巻いた。
「散れ!」
カインの声に、六人は左右へ跳んだ。
直後、放たれた炎の奔流が、それまで六人がいた床を、黒く焼き焦がした。
翼が、大きく羽ばたく。
突風が、六人を吹き飛ばしかけた。
スルが盾で踏みとどまり、他の五人を庇う。
虎の後ろ脚が、地を蹴って踏み込んできた。
爪が、ミラの肩をかすめる。
「ミラ!」
ゴーレムが、割り込むように腕を伸ばし、二撃目を受け止めた。
岩の腕に、深い爪痕が刻まれる。
「大丈夫。浅い」
ミラが癒しの波を自分にかけながら答えた。
淡い光が、傷を塞いでいく。
「もう、これしかない」
ノリアが杖を高く掲げた。
「終焉!」
極大の光が、部屋いっぱいに膨れ上がる。
床が、放射状に割れた。
壁の一部が、崩れ落ちる。
凄まじい威力のはずのそれが、キメラの体表に触れた瞬間、光のまま弾け散った。
傷ひとつ、残らない。
「……嘘」
ノリアが、その場に膝をつきかけた。
「終焉すら、通らないなんて」
「これで、わかった」
ワングが静かに言う。
「力で押す手は、ここでは通じぬでござる」
「眉間だけ、って言われても」
ネリスがキメラを見上げる。
首を高く掲げたまま、キメラは油断なく六人を見回していた。
狙える角度が、どこにもない。
「頭を、下げさせるしかない」
スルが短く言った。
言うが早いか、盾を構えたまま、自ら前へ踏み出す。
キメラの鉤爪が、真上から振り下ろされた。
スルは、逃げずに、盾でまっすぐ受け止める。
衝撃で、両足が石の床にめり込んだ。
それでも、踏みとどまる。
「今のうちに」
「それを、どうやって」
カインが剣を握り直す。
「拙者と、スル殿で、前脚を押さえる」
ワングが村雨を構え直した。
「その隙に、カイン殿が、眉間へ」
スルが盾ごと体当たりして、鳥の前脚に組み付く。
ワングが村雨と氷姫を交差させ、もう一方の前脚を押さえ込んだ。
「今!」
カインが剣を突き出す。
狙いは、正確に眉間だった。
だが、キメラの首が、鞭のようにしなる。
振り上げられた鉤爪が、カインの剣を真横から弾いた。
「くっ……!」
剣が、カインの手を離れ、宙へ舞い上がる。
きらめきながら、回転して、高く高く。
「もらった」
声は、頭上から降ってきた。
跳躍していたネリスが、宙で身をひねる。
飛んできた剣の柄を、片手で正確につかみ取った。
落下の勢いそのままに、切っ先を下向きに構え直す。
がら空きになった眉間へ、まっすぐ、吸い込まれていく。
「そこ!」
刃が、深々と突き刺さった。
キメラの巨体が、大きく仰け反る。
獅子の咆哮が、部屋いっぱいに響き渡った。
一拍。
二拍。
やがて、輪郭が崩れ、光の粒になってほどけていく。
翼も、尾も、爪も、すべてが光に溶けて消えた。
静寂だけが、あとに残る。
「……終わった、か」
カインが、その場にへたり込む。
「怪我は」
ミラが順に確かめて回った。
「かすり傷ばかり。大丈夫」
スルが答える。
ネリスが、拾った剣をカインへ差し出した。
「返す。いい剣」
「お前が掴んでくれたおかげだ」
カインが苦笑いしながら受け取る。
鞘に収めると、ようやく、手の震えに気づいた。
六人は、しばらく、その場から動けなかった。
呼吸が整うのを待って、ようやくスルが口を開く。
「みんな、無事か」
「無事」
ネリスが、剣を握ったまま答えた。
「それにしても」
ノリアが、自分の残り回数を数え直した。
数え違いなど、いつもしたことがない。
「終焉、使った。なのに、9回残ってる・・・」
「拙者もでござる」
ワングが、指を折りながら眉をひそめる。
「守護の盾、唱えたのは一度きりでござるのに」
数え終えて、その手が止まった。
「……二つ、減っておるでござる」
「二つ?」
カインが聞き返す。
「拙者の分で、一つ。もう一つは」
ワングが、ノリアへ目をやった。
「貴殿の、終焉の分ではござらぬか」
ノリアが、息を呑む。
「私の分が、ワングに……」
「俺のは」
カインが、自分の手のひらを見る。
「守護の盾は、使った分だけ、きっちり減ってる」
「カインの分は、動いてないってこと」
ノリアが、確かめるように呟いた。
ミラが、はっとした顔で、自分の胸に手を当てる。
「反跳結界、私が使った」
数え直して、目を見開いた。
「カイン。ノストス系、今日は一度も、使ってないよね」
「使ってない、けど」
カインが、自分の手のひらに目を落とす。
「……あ」
確かに、一回分、減っていた。
「俺、使ってないのに」
「私の分を、あなたが」
ミラが、静かに言った。
「アルカナは、アルカナの中で」
ワングが、腕を組んで頷く。
「ノストスは、ミラ殿とカイン殿、二人しかおらぬゆえ、行き先も、はじめから決まっていたということでござるな」
「あの一文、これのことだったんだ」
ノリアが、扉の方角を振り返った。
「自らの糧を、他の者にわかち与えん」
ミラが静かに繰り返す。
「誰が、誰に渡したのかまで、ちゃんとわかる」
そのときだった。
『証に足るものと認める』
声が、六人の頭に同時に響いた。
『分かち与えし糧、確かに見届けた』
それきり、声は途切れた。
「今度は、ちゃんと褒めてくれた、気がする」
ミラが少しだけ笑った。
「褒めてる、のか、これ」
ネリスが首を傾げる。
「素直に、受け取っておけばいいでござる」
「わからぬでござるが」
ワングが肩の力を抜いた。
「五つ、超えたということでござろう」
「あと、二つ」
スルが静かに言った。
「休んでから、また来よう」
カインの一言に、誰も異を唱えなかった。
六人分の足音が、そろって出口へ向かっていった。
崩れた床の隙間から、五層の白い光が静かに差し込んでいた。




