第194話「浮かんだ像、確かめの一層」
一層の石の通路は、五層の白い道よりずっと湿っぽい匂いがした。
壁の隅で、青白い苔がぼんやりと光っている。
一層まで戻ると、それだけで肩の力が抜けた。
通りすがりの冒険者が、六人に気づいて軽く手を上げていく。
「ここ、久しぶりだね」
ミラが、ゆっくり息を吸った。
「一層の空気、落ち着くでござるな」
ワングが、目を細める。
「五層が静かすぎるんだよ」
ノリアが、ぼそりと返した。
「さて」
カインが六人の顔を見渡す。
「どっちへ行く。当てなんてないけど」
「こっち」
ネリスが、迷いなく右の通路を指さした。
「理由は?」
「ない。そんな気がする」
「根拠のない案内でござるな」
ワングが眉を上げる。
「五層の恩恵、だったよね」
ミラが思い出したように言った。
「道に迷わない感覚」
スルが短く続ける。
「たぶん、それ」
ネリスは耳をぴくりと動かした。
「こっちは、何かいる。あっちは、いない」
「便利だな、それ」
カインが感心して、ネリスを先頭に歩き出す。
角をひとつ曲がった。
もうひとつ曲がった。
歩数にして八十を超えたところで、ネリスの足が止まる。
「来る」
その一言で、全員が武器に手をかけた。
通路の先の空気が、ゆらりと歪む。
湧き出るように、影が並んだ。
全身鎧の騎士が四体。
その後ろに、フードを目深にかぶったローブの男が二人。
右と左に、一人ずつ。
「増援というより、部隊でござるな」
ワングが低く呟く。
その瞬間だった。
頭の内側に、ふっと、ひとつの像が浮かんだ。
右側のローブの男。
輪郭までくっきりとした、その姿だけが。
「……見えた?」
ノリアが小さく聞く。
「見えた」
ネリスが即答した。
「私も」
ミラが頷く。
「全員、同じでござるな」
ワングが、ゆっくりと息を吐いた。
「考えるのは、あとだ」
カインが剣を抜く。
「封癒」
ノリアが先に唱えた。
「ゴーレム!」
カインの印から、岩の巨体が現れる。
「反跳結界」
ミラの声が静かに続いた。
六人の足元に、淡い光が広がる。
そこへ、右側のローブの男が杖を掲げた。
「鉄壁陣」
四体の騎士の鎧が、鈍い光をまとう。
「業炎獄」
左側のローブの男の杖が唸った。
頭上に、火の海が広がる。
「守護の盾!」
ワングの声が飛んだ。
光の壁が、炎を受け止める。
壁が軋む。
熱風が、頬を焼くように吹き抜けた。
「守りの聖歌!」
ミラが重ねる。
炎が引くのと同時に、騎士たちが動いた。
四体のうち二体が、ゴーレムとスルへ真っ向から斬り込んでくる。
スルが盾の縁で刃を流し、ゴーレムの腕が、もう一体の剣を叩き落とした。
流された剣が、ゴーレムの脚を浅く削る。
ゴーレムは、びくともしない。
「頼もしいな」
カインが、その背中に短く声をかけた。
残る二体は、その脇を、ぬるりとすり抜ける。
「ミラ!」
ネリスの警告が飛んだ。
二体の狙いは、まっすぐミラだった。
ミラは丸盾で一撃を受け流し、二撃目をロングソードで弾く。
「私ばっかり……!」
「させぬでござる」
ワングが、ミラの前へ割って入った。
村雨で騎士の剣を押さえ、幻の右手が、籠手をつかんで引き崩す。
それでも、騎士たちの剣は、執拗にミラだけを追った。
カインも、剣を構えて割り込んだ。
刃を受けるたびに、腕が痺れる。
「なんで全員、ミラなんだ」
「知らない!」
ミラが、息を切らせながら答えた。
偶然にしては、あまりに揃いすぎている。
誰かに指示されたように。
騎士の兜が、ちらりと後ろへ向いたのを、カインは見逃さなかった。
その視線の先で、右側のローブの男が、杖の先を小さく動かしている。
動かすたびに、騎士たちの向きが変わる。
指揮者が、楽団を振るように。
「そうか」
カインが叫んだ。
「あの右側のローブが、指示を出してるリーダーだ! アイツが弱点だ!」
「了解」
ノリアが杖を構え直す。
「雷殺!」
一直線の雷が、右のローブの男へ走った。
男が杖をかざす。
光の膜が広がり、雷が、その表面で火花を散らした。
「防御魔法……!」
膜は、雷を持ちこたえている。
だが、膜を支える杖が、わずかに震えていた。
その隙間へ、小さな影が滑り込む。
「そこ」
ネリスだった。
騎士の肩を蹴って跳ぶ。
爪が、膜の割れ目を裂いた。
男の胸に、一筋の傷が走る。
ネリスは身をひるがえし、着地の前にもう一度爪を振り抜いた。
二撃目。
ローブの男は、声もなく光の粒になって消えた。
「鮮やか」
ノリアが、小さく呟く。
指揮を失った騎士たちの動きが、目に見えて乱れた。
剣の向きはちぐはぐになり、互いの間合いを邪魔し合う。
左のローブの男が、慌てたように杖を振った。
だが、その先端は、空しく光っただけだった。
「業火弾」
ノリアの炎が、左のローブの男を呑み込む。
崩れた連携の隙を、前衛が逃すはずもなかった。
村雨が、一体の胴を薙ぐ。
スルの盾が、もう一体を弾き飛ばす。
ゴーレムの拳が、三体目を床へ沈めた。
残る一体が、ふらりと後ずさる。
そこへ、ネリスの爪が翻った。
瞬きを二つ数えるうちに、四体の騎士も、光になって消えていた。
静けさが戻る。
炎の熱だけが、まだ通路に残っていた。
「ミラ、怪我は」
スルが聞く。
「ない。ワングが、ずっと前にいてくれたから」
ミラが、少し照れたように笑った。
「当然でござる」
ワングは、当たり前のように答えた。
「敵と会ったとき、感じたイメージ……」
ミラが剣を鞘へ収めながら呟く。
「あれ、右のローブだった。本当に」
「たぶん、そのイメージが、弱点や強みだろうな」
スルが静かに言った。
「見えてくる、ってのは、そういうことか」
カインが腕を組む。
「私、途中まで気づかなかった」
ノリアが、正直に言った。
「像は浮かんでたのに。ただの偶然だと思ってた」
「俺もだ」
カインが苦笑いする。
「指揮してるところを見て、初めて、繋がった」
「浮かぶだけじゃ足りない、ってことだね」
ミラが、小さく頷いた。
「見えた、というより、浮かんだ、でござるな」
ワングが苦笑する。
「言い方の問題でござる」
「もう少し、確かめたい」
ネリスが言った。
「一回だけじゃ、偶然かもしれない」
「賛成」
ノリアが頷く。
「呪文の回数も、まだ余裕がある」
「無理はしない、が条件でござるぞ」
ワングが念を押した。
六人は、再び歩き出した。
ネリスは、また迷いなく通路を選んでいく。
右。
左。
まっすぐ。
やがて、通路が開けた。
小さな広間の真ん中で、緑の葉を茂らせた木が四本、根を引きずりながらゆらゆらと動いている。
「トレント」
ネリスが、声を潜めた。
枝の先が、ゆらりとこちらを向いた気がした。
根が、床の石をこする音がする。
「四体もいるでござるな」
ワングが、刀の柄に触れる。
構える六人。
頭の内側に浮かんだのは、今度は、赤い揺らめきだった。
炎。
「……炎?」
ミラが首を傾げる。
「木だしね」
ネリスが、あっさり言った。
「言ったな、今」
カインが、思わず吹き出した。
「だって、そうだし」
ネリスは、耳を伏せて、そっぽを向く。
「わかりやすすぎる、でござるな」
ワングが、苦笑いのまま柄に手を置く。
「反跳結界」
ミラが唱えた。
淡い光が広がったのを確かめて、ノリアが杖を掲げる。
「業炎獄!」
広間が、真っ赤に染まった。
炎の柱が、四本の木を同時に包み込む。
葉も枝も幹も、あっという間に炭になって崩れていった。
瞬きを二つ数えるあいだに、広間には灰しか残っていなかった。
「……あっという間」
カインが、目を丸くする。
杖を下ろしたノリアが、灰の山をじっと見つめていた。
「どうした」
スルが聞く。
「ううん。わかりやすい敵で、助かったなって」
ノリアが、ほっと息をついた。
「さっきのローブの男の後だと、特にね」
「確かに……」
ミラが、灰の舞う広間を見つめた。
「明確には教えてくれないけど、ヒントにはなるね」
「不親切なのは、変わらぬでござるが」
ワングが肩をすくめる。
「使えるものは、使う」
スルが、短く締めた。
六人は、顔を見合わせて頷きあう。
「今日は、ここまでにしよう」
カインが言った。
来た道を、一層の出口へ。
「弱きところ、強きところ、か」
カインが、歩きながら呟いた。
「浮かんだ像を、信じるかどうかも、試されてる気がする」
「信じすぎると、危ないでござる」
ワングが、後ろから答える。
「疑いすぎても、同じでござる」
答えは、誰も持っていなかった。
灰が舞い上がった広間の向こうで、青白い苔だけが、静かに光っていた。




