第182話「五層の扉、それより先に」
マランの世界、連日投稿してます。
五層のお話から、一日一話とします。
よろしくお願いいたします。
護符が、六つとも同時に光った。
カインが、それを確かめてから、扉に手をかける。
「行くぞ」
短く言うと、六人は頷き、そのまま扉の先へ足を踏み入れた。
これまでの階とは、明らかに空気が違っていた。
足元に広がるのは、鏡のように滑らかな床。
天井も壁も、うっすらと銀色に光っている。
「なんだ、ここ」
ネリスが、床に映る自分の影を見下ろしながら呟く。
反射した光の中に、もう一人分、余計な影があるような気がした。
「気のせいでござろうか」
ワングも、同じ違和感を覚えたらしく、周囲へ視線を巡らせている。
「対の迷宮の、続きめいた雰囲気だな」
ミラが、壁面をそっと指でなぞる。
指先が触れた場所だけ、光がわずかに波打った。
まだ数歩しか進んでいない。
それなのに、六人分の足音が、七つ聞こえたような気がした。
奥へ続く通路の先は、光が霞んでよく見えない。
十三番目の部屋を越えた先に、何があるのか。
その答えを確かめる暇は、まだ与えられていなかった。
その時だった。
「戻れ」
声が、四方から響いた。
エランドの声だった。
だが、いつもの、どこかもったいぶった調子はどこにもない。
「いますぐ帰還しろ。帰れば、わかる」
短く、押し出すような声だった。
いつも余裕を崩さないはずのエランドが、初めて、息を切らしているように聞こえた。
それだけを言うと、声は途切れた。
「エランド、待て」
カインが呼びかけても、応えはなかった。
「これほど、切羽詰まった声は、初めてでござるな」
ワングが、表情を険しくする。
「戻るぞ」
カインの一言で、六人は迷わず扉を引き返した。
護符をかざすと、五層の入り口は音もなく閉じ、一行はもとの通路へ押し戻された。
クロスロードに戻ると、いつもの喧騒とは、明らかに質が違っていた。
怒鳴るような声。
駆け回る職員。
依頼掲示板の前に、人だかりができている。
普段は列を作るはずのアプレイザルの窓口も、今日は誰も並んでいない。
「これは……」
ミラが、足を止めて周囲を見回す。
そこへ、リゼットが息を切らして駆け寄ってきた。
「カインさんたち、ちょうどよかった!」
「リゼットさん、何が」
「フラッドガードへ、急いでください。ギルド長が、お待ちです」
普段の事務的な口調が、今日は崩れていた。
それだけで、事態の大きさが伝わってくる。
六人は、すぐに走り出した。
フラッドガードの扉を開けると、大きな地図盤の前に、幾人もの職員が張り付いていた。
盤面には、エアとノア、二つの区画に、赤い光が点滅している。
「両方とも、同時なんて……」
ノリアが、息を呑む。
その中央に、一人だけ、動じていない者がいた。
ルーシェナだった。
いつもの柔らかい空気は、そこになかった。
「来たね」
こちらに気づくと、目だけを向ける。
「ギルド長、状況は」
カインが聞く。
「エアの一層に、スタンピードの兆候。ノアにも、同時に出てる」
ルーシェナが、地図盤を指す。
「二つの迷宮が、同時に荒れるなんて、記録にもない」
「ノアは」
「押さえられるメンバーは、他にいる。ノア経験者なら、動ける手駒は多い」
ルーシェナが、言葉を切る。
「けど、エアは違う。潜れる人間が、限られてる」
その一言に、誰も異論を挟まなかった。
エアに挑めるのは、ノアを踏破した者だけ。
その条件を満たすパーティ自体、数えるほどしかいない。
ルーシェナが、六人を、順番に見た。
「行ってくれるか」
「もちろんでござる」
ワングが、即答する。
「六人とも、それで構わないな」
カインが確かめると、全員が頷いた。
一層まで戻って戦うのは、随分と久しぶりのことだった。
十三番目の部屋の激戦を思えば、拍子抜けするほど、懐かしい響きだった。
だが、二つの迷宮が同時に荒れているという事態は、聞いたことがなかった。
盾役だった頃のダダの背中が、一瞬、頭をよぎる。
もっとも、今この場にダダはいない。
今の六人には、今の六人の戦い方がある。
「決まりだね」
ルーシェナが、初めて、口の端をわずかに上げた。
「気をつけて。相手の数は、まだ読めてない」
言い終えるより早く、六人は駆け出していた。
エアの入り口まで、いつもの半分の時間で着いていた。
五層の扉の向こうに、何が待っているのか。
エランドが、なぜあれほど焦っていたのか。
問いは、いくつも残ったままだった。
だが、今は、その答えを探している場合ではなかった。
カインは、それらをひとまず頭の隅に押しやった。
エアの一層は、入った瞬間から、様子がおかしかった。
いつもの静けさがなく、遠くから唸り声が幾重にも重なって聞こえてくる。
壁に走る亀裂からも、獣の匂いが漏れ出していた。
「囲まれてる、な」
スルが、盾を構え直しながら言う。
「後ろは、任せて」
ネリスが、爪を鳴らしながら、退路側へ回った。
「合図は、いつでも出せる」
ノリアも、杖を握り直し、術式を練り始める。
ミーの姿は、まだどこにも見えない。
呼ばれるまで、静かに息をひそめているのだろう。
その言葉が終わるより早く、通路の奥から、影が飛び出してきた。
三つの頭を持つ、黒い犬の群れ。
一頭ではない、六頭だった。
「ケルベロス、六頭でござるか」
ワングが、刀の柄に手をかける。
「ララ、頼む」
カインが、印を組んだ。
光とともに、エルフの魔法使いの姿が、傍らに現れる。
「呼んだ?」
ララが、即座に状況を把握し、杖を構えた。
「合わせるでござる」
ワングが、刀を鞘に収め、掌を前へ突き出す。
ララも、同時に杖を掲げた。
「業炎獄」
二つの声が、重なった。
炎の奔流が、二方向から渦を巻いて押し寄せる。
六頭のケルベロスは、逃げる間もなく、炎の中に呑まれて消え去った。
「一発で、六頭……」
ノリアが、目を見開く。
「掌からの分と、ララの分。二重にかけただけでござる」
ワングが、事も無げに言った。
黒い犬たちの気配が、完全に消えたのを確かめ、ネリスがようやく肩の力を抜く。
だが、安堵する間もなかった。
蹴散らした煙の向こうから、次の唸り声が響いてくる。
現れたのは、牙を剥いた巨大な猪、三頭。
グレイトボアだった。
土埃を巻き上げながら、三頭が同時に突進してくる。
地響きが、足の裏まで伝わってきた。
「一頭ずつ、片づけるぞ」
カインが、剣を抜く。
「わたしが、一頭」
スルが、盾を構えたまま前に出た。
「俺も、一頭」
カインが、続く。
「なら、わたしも」
ミラが、剣を握り直す。
三方向から、それぞれが一頭ずつを引き受けた。
スルの盾が、猪の突進を真正面から受け止め、返す一撃で首を刈る。
カインの剣は、以前より明らかに速く、踏み込みざま急所を一撃で捉えていた。
ミラの剣も、これまでとは違う踏み込みで、一太刀のもとに仕留めていた。
十三番目の部屋では、回復に回ることで精一杯だった。
自分の剣で敵を仕留める余裕など、なかったはずだった。
三頭が、ほぼ同時に地に伏す。
短い沈黙のあと、誰からともなく、声が漏れた。
「強くなったな」
それが、全員の思っていたことだった。
十三番目の部屋を越えたあとの手応えが、確かに、この一戦にも表れていた。
「レベルの数字だけじゃ、わからないもんだな」
ネリスが、退路を見張ったまま、感心したように呟く。
「一頭ずつ仕留めて、この余裕とはな」
スルも、盾についた土を軽く払いながら、満足げに言った。
だが、喜んでいる時間はなかった。
通路の奥、闇の中に、まだ幾つもの気配が蠢いている。
数にして、十や二十では、済まなそうだった。
しかも、唸り声の高さも、大きさも、まちまちだった。
ケルベロスやグレイトボアだけとは、限らない。
「ノリア、まだ温存できるか」
カインが、振り返らずに聞く。
「まだ、いける」
ノリアが、短く答えた。
「まだ、来るぞ」
カインが、剣を構え直す。
「望むところでござる」
ワングが、刀を再び抜いた。
六人とララは、迫り来る次の影に備え、じりじりと足を踏み固めた。
いかがでしょうか?
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