第181話 閑話「ダダの日常」
マランの世界、連日投稿してます。
毎日2話投稿中ですが、次のエア五層からは
毎日一話投稿となります。
夜明け前、ダダは炉に火を入れる。
乾いた炭が爆ぜる音が、静かな工房に小さく響いた。
日が昇りきるまでの、この小一時間が、一日でいちばん好きな時間だった。
槌を握る手には、いくつもの古い火傷の痕がある。
父から、そのまた父から受け継いだ痕だと、ダダは思っている。
フォージタウンに生まれたドワーフにとって、鍛冶場は家であり、修業の場でもあった。
家業を継ぐはずだったことは、誰よりも自分がよくわかっている。
それでも、今こうして槌を振るっているのは、家業のためだけではなかった。
十四のとき、初めて一人で打った小刀を、父はろくに見もせずに突き返した。
「刃筋が甘い」
たった一言だった。
やり直すたびに、刃筋は少しずつ真っ直ぐになっていった。
腕が上がるほど、家を継ぐ道から遠ざかっていく気がしたのは、あの頃からだった。
朝一番の客は、いつも同じ老人だった。
農具の刃を研ぎに来る、それだけの用事に、毎朝欠かさず顔を出す。
「今日も精が出るな」
老人が、いつもの調子で声をかけてくる。
「精を出さないと、腕が鈍るでな」
研ぎ賃は、いつも銅貨三枚と決まっている。
短いやり取りを交わし、老人は満足げに去っていった。
そんな、変わらない朝のあとに、六人が現れた。
「ダダ、いるか」
カインの声だった。
槌を置いて顔を上げると、六人が揃って戸口に立っている。
村雨を提げたワング、杖を手にしたノリア、長剣のミラ、爪を鳴らすネリス、盾を担いだスル。
「今日から、また潜るのか」
「十二番目までは片づけた。次は、十三番目でござる」
ワングが、短く答えた。
「厄介そうな部屋か」
「開けてみないと、わからないでござるな」
ワングが、いつも通り、あっさりと笑う。
「氷姫は」
ミラが、思い出したように聞いた。
「まだ、時間がかかる」
ダダが、工房の奥へ目をやる。
台の上に置かれた、柄だけの氷姫が、鈍く光っていた。
「急がなくていい。今は、村雨があるから」
ワングが、腰の刀へ軽く手を添える。
六人が、迷宮へ向けて歩き出した。
その背中を、ダダはしばらく見送っていた。
見慣れた光景のはずなのに、今日はやけに長く目で追ってしまう。
槌を握り直しても、しばらく手が動かなかった。
かつては、ダダも盾を提げて、あの背中の中にいた。
格上の敵、複数同時の攻撃。
盾一枚では、受けきれない場面が増えていた。
潜るたびに、仲間の足を引っ張っているような気がしていた。
前線を退いてから、もうしばらくになる。
決めたのは、自分だ。
それでも、六人が扉の向こうへ消えるたび、胸の奥が小さくざわついた。
「まだ、決めかねてるのか」
声に振り返ると、ブロムが工房の入り口に立っていた。
フォージタウンでも指折りの鍛冶師で、ダダが密かに通っている工房の主だ。
「難しい顔をしてるな、ダダよ」
ブロムが、無精髭の生えた顎をさすりながら笑う。
「盾を、また持つかどうか」
図星だった。
ダダは、何も言えずに炉へ目を戻す。
「お前さんの得物、見せてみろ」
促されるまま、ダダは打ちかけの一振りを差し出した。
分厚く、頑丈で、確かによく出来ている。
だが、どこか窮屈な形をしていた。
盾役だった頃の型を、そのままなぞっただけの一振りだった。
「悪くはない」
ブロムが、刃を指でなぞりながら言う。
「だが、これは、戦うための剣だ」
「……それの、何が」
「お前さんが打つべきは、戦う剣じゃない」
ブロムが、炉の奥を顎で示した。
そこには、ワングの折れた氷姫が、まだ静かに横たわっている。
「六人を、戦わせ続けるための剣だ」
言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。
それでも、胸の奥に落ちた石のような重みだけは、はっきりと感じ取れた。
「わしは、六十年、剣より鍬を打ってきた」
ブロムが、続けて言う。
「それでも、村の連中は、誰一人わしを半人前とは呼ばんかったよ」
「……そういう、ものか」
ワングの口調が、うっかり移りかけて、ダダは慌てて言い直す。
ブロムが、それには答えず、ただ笑っていた。
その日は結局、打ちかけの一振りを、鍛冶場の隅に置いたままにした。
三日が過ぎても、六人は戻らなかった。
四日目、五日目。
街には、いつも通りの喧騒が続いている。
それが、かえって落ち着かなかった。
クロスロードに顔を出すと、受付のリゼットが、いつもの調子で書類をめくっていた。
「エアの、六人のパーティですか」
「戻ってきてないだろう」
「入場記録は、確認できます。それ以上は」
「本人から聞いた方がいい、か」
「よく、ご存知で」
リゼットが、いつもの一線を崩さずに答える。
それ以上、聞ける言葉はなかった。
工房に戻ると、いつも通りの仕事が待っている。
それでも、槌を振るう手は、いつもより忙しなかった。
打ち込む数を、無意識に数えていた。
三十、四十、五十。
数えたところで、何かがわかるわけでもない。
わかっていて、それでも数えるのをやめられなかった。
五日目の昼、ブロムがふらりと顔を出した。
「まだ、うちの一振りに手をつけとらんな」
「それどころじゃない」
「らしいな」
ブロムは、それ以上は聞かず、隅に置かれたままの打ちかけを一瞥しただけで帰っていった。
六日目の夕方だった。
「随分と、遅かったな」
ダダが、槌を振るう手を止めて顔を上げる。
戸口に立っていたのは、六人だった。
装備のあちこちが擦り切れ、乾いた血の匂いがする。
それでも、六人とも、確かに立っていた。
「長い戦いだった」
カインが、短く答える。
声に、隠しきれない疲労がにじんでいた。
それだけで、只事ではなかったことは伝わった。
ダダは、黙って椅子を勧めた。
語られた話は、想像を超えていた。
過去のボスが、姿を変えて次々と立ちはだかったこと。
退路が封じられ、逃げ場のないまま連戦を強いられたこと。
極めつけは、ノリアが最後に放った一撃の代償で、危うく命を落としかけたことだった。
「よく、無事だったな」
ダダが、低く言った。
「無事、ってほどでもない」
ネリスが、包帯の巻かれた腕を軽く持ち上げる。
「それでも、帰ってきた」
スルが、静かに付け加えた。
その一言に、それ以上の説明はいらなかった。
台の上の、折れた氷姫に目をやる。
村雨の、まだ癒えない刃こぼれにも。
六人の傷は、いずれ癒える。
だが、得物の傷は、誰かが打ち直さなければ、そのままだった。
「氷姫、急いで仕上げる」
ダダが、そう言うと、ワングが意外そうに目を丸くした。
「急がなくていい、と言っていたでござろう」
「気が変わった」
ブロムの言葉が、ようやく腑に落ちていた。
戦う剣ではなく、六人を戦わせ続けるための剣。
それを打つのが、今の自分の役目だった。
六人が、街のどこかで体を休めているあいだ。
ダダは、一人、工房に残っていた。
炉の火を、いつもより少し長く焚べる。
鎚を振り上げるたび、火花が散った。
一つ、また一つ。
以前より、迷いのない音だった。
盾は、もう提げない。
その代わり、六人の得物すべてに、自分の名を刻む。
そう決めていた。
台に置いた氷姫の柄を、改めて手に取る。
折れた根元の断面を、指の腹でなぞった。
同じ鋼を、あと二晩は炙らなければならない。
刃を継ぐだけなら、一晩で済む仕事だった。
だが、前より深く、前より強く継ぐには、それだけの時間がいる。
急ぐと言った自分の言葉を、少しだけ訂正することにした。
「急いで、丁寧に、仕上げる」
誰に言うでもなく、そう呟く。
隅に置かれたままの、盾役だった頃の一振りには、もう目もくれなかった。
夜が更けても、鍛冶場の明かりは消えなかった。
翌朝、いつもの老人が、農具の刃を提げてやってきた。
「今日も精が出るな」
「精を出さないと、腕が鈍るでな」
いつも通りの、短いやり取りだった。
それでも、槌を握る手の感触が、昨日までとは少しだけ違っている。
炉の奥では、氷姫の刃が、静かに熱を溜めていた。
いずれ、六人がまた迷宮へ向かう朝が来る。
その時、渡す得物に恥じないだけの仕事を、今日もこなすだけだった。
ダダの一日は、いつも通りに始まっていた。
いかがでしょうか?
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