第177話「尽きる手駒、色を変えた影」
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四体のサーベルタイガーが、闇の奥で低く唸っている。
金色の瞳が、八つ、揃って六人を見据えていた。
闇の奥から、低い唸りが絶え間なく響いてくる。
以前、刃を収めたまま耐え続けた、あの部屋の主だった。
だが、今は誰も、刃を収めるつもりでいなかった。
張り詰めた気配が、部屋全体を包んでいた。
「前の二体より、明らかに数が多い」
カインが、剣を構え直しながら呟く。
「まともにぶつかれば、押し切られるでござるな」
ワングが、村雨の柄に手をかけたまま応じた。
四体の巨躯が、じりじりと間合いを詰めてくる。
低い唸り声が重なり合い、部屋そのものが震えているようだった。
肌がひりつくような緊張が、六人を包んでいた。
退路のないこの階では、後ろへ下がるという選択肢自体が存在しない。
進むか、削られるか、二つに一つだった。
「とりあえず、魔法で何割か削りたい」
カインが、周りを見回しながら言った。
数を減らせるなら、それに越したことはない。
誰の顔にも、余裕は残っていなかった。
「防御も唱えておく」
ミラが、杖を強く握り直す。
先に守りを固めておかなければ、削る前にこちらが崩される。
「守りの聖歌!」
淡い光の帯が、六人の体を包み込んだ。
肌の上を、薄い加護の膜が滑るように広がっていく。
これで、最初の一撃だけは、まともに受けても崩れずに済む。
それでも、油断はできなかった。
四体の巨躯が、揃って前脚に力を溜め始めた。
「業炎獄はもう無いの」
ノリアが、悔しげに杖を握る手を見つめた。
四体まとめて薙ぎ払う手駒は、もう手元に残っていない。
以前なら、この一言で済ませられる場面ではなかった。
自分の主力が欠けていることを、認めるしかない状況だった。
悔しさを噛み殺すような声だった。
「業火弾!」
代わりに放たれた炎が、四体をまとめて呑み込む。
以前ほどの威力はないが、確かな手応えがあった。
四体の毛皮が、焦げた匂いを放ち始める。
「拙者も、続くでござる」
ワングが村雨を鞘に収め、代わりに右の掌を突き出した。
剣一辺倒だと思われがちだが、まだ切れる手札は残っている。
「侍だからと、剣しか使わぬわけではないでござる」
自分に言い聞かせるように、ワングが小さく付け加えた。
「業炎獄!」
村雨とは異なる、赤黒い炎の渦が四体へ襲いかかる。
滅多に使わない一撃だったが、狙いは外れなかった。
赤黒い炎が、じわりと敵の体を炙っていく。
二重の炎を浴びた四体のうち、二体が特に深い手傷を負っていた。
毛皮が焼け焦げ、足取りが目に見えて鈍くなっている。
残る二体も、勢いこそ削がれたものの、まだ牙を失ってはいなかった。
傷ついた二体の足取りが、はっきりと乱れているのが見て取れた。
好機は、そう長くは続かない。
「今のうちに!」
ネリスが、低い姿勢のまま踏み込んだ。
爪が、傷ついた一体の喉元を正確に切り裂く。
断末魔の唸りもなく、巨躯が力を失って崩れていく。
血の匂いが、かすかに漂った。
「こっちも」
スルが、盾で押し込みながら、もう一体へ体当たりを叩き込んだ。
弾き飛ばされた巨体が、そのまま起き上がらなくなる。
重い音を立てて、床が軋んだ。
二体のサーベルタイガーが、相次いで崩れ落ちていく。
「残り2体!」
カインの声に、六人の緊張が一段上がった。
だが、残る二体の動きは、傷ついた仲間よりずっと速い。
まだ手傷一つ負っていない分、勢いも衰えていなかった。
残る二体の目に、なおも獰猛な光が宿っていた。
六人は、それぞれ息を整えながら、次の動きへ神経を尖らせる。
一体が、低く身を沈めたかと思うと、跳躍した。
狙いは、後方で杖を握るノリアだった。
「危ない!」
カインが、間に合うかどうかもわからないまま踏み込む。
剣が、跳びかかる巨躯の喉を、間一髪で貫いた。
生温かい血が、カインの腕を伝って落ちる。
心臓が、まだ激しく打っていた。
「っ……ありがと」
ノリアが、崩れ落ちる巨体を横目に、掠れた声で答える。
心臓が、まだ早鐘を打っていた。
一歩でも踏み込みが遅れていたら、と思うと背筋が冷える。
冷や汗が、こめかみを伝った。
「礼はあとだ」
カインが、剣を引き抜きながら短く返した。
残る一体が、牙を剥き出しにして威嚇する。
仲間を三体失ってなお、目の光は衰えていなかった。
追い詰められてなお、獣は退く気配を見せない。
「拙者が、仕留めるでござる」
ワングが、掌に残った力を絞り出すように構えた。
「滅却光!」
白く濁った光が、防御ごと巨躯を貫いていく。
ぎりぎりのところで光が届き、最後の一体が崩れ落ちた。
四体分の重みが、部屋の床にようやく静けさとなって落ち着く。
静寂が、束の間、部屋を満たした。
膝から力が抜けたように、ワングがその場に片膝をつく。
村雨だけでなく、掌の呪文にまで頼らざるを得なかった戦いだった。
「危なかったでござるな、正直」
「ノリア、大丈夫か!」
ミラが、駆け寄りながら叫んだ。
跳躍を受け止めた際の傷は、見た目以上に深かった。
「完全治癒!」
強い光が、ノリアの体を包み込む。
裂けた傷が、みるみるうちに塞がっていった。
温かな光が、傷口を優しく包み込んでいた。
「助かった……」
ノリアが、息をつきながら立ち上がる。
だが、他の五人も、それぞれ限界に近い消耗を隠せずにいた。
肩で息をするスル、息の上がったネリス、剣を杖代わりにするカイン。
誰の顔にも、余裕と呼べるものは残っていなかった。
荒い息づかいだけが、部屋に響いていた。
「大丈夫か、スル」
ネリスが、兄の様子を覗き込みながら聞く。
「平気」
スルが、短く答えた。
その一言だけでは、消耗の度合いまでは伝わらない。
スルの表情から、本当のところは読み取れなかった。
だが、それ以上を語らないのが、いつものスルだった。
「手遅れになるとマズイから」
ミラが、杖を構え直す。
「群癒!」
淡い光が、六人全体を柔らかく包んだ。
強張っていた体から、わずかに力が戻ってくる。
それでも、疲労の色までは消えなかった。
「これで、完全治癒があと2回」
ミラが、指を折りながら数える。
「癒しの波が、3回」
その数字に、誰も余裕の表情は見せなかった。
誰もが、次の展開を思い、表情を曇らせていた。
「大群癒は、まだ戻らないんでござるな」
ワングが、確かめるように聞く。
「戻らない。ヘクサインで休まないと」
ミラが、力なく首を振った。
「回復も、ぎりぎりの手札で回してる状態」
カインが、乾いた声で呟く。
「攻めの手駒も、似たようなものでござる」
ワングが、右の掌を見つめながら言った。
削れるだけ削った実感が、掌の奥にまだ残っていた。
疲労が、じわりと体の奥に沈んでいく。
「二番目の部屋は、これで終わりでござるな」
ワングが、村雨の柄を握り直しながら周りを見る。
「次は……」
カインが、記憶をたどるように呟いた。
逆順にたどるなら、あと一部屋。
そこまで来た、という安堵が、束の間、六人の間をよぎった。
その安堵は、長くは続かなかった。
だが、十三番目の部屋の前例を思えば、油断できる保証はどこにもない。
同じ相手が、弱点を変えて再登場した、あの多段戦の記憶がまだ新しい。
言い終わるより早く、部屋の奥に、新たな気配が満ちていく。
一つ、二つ、三つと、輪郭が浮かび上がった。
四つ、五つ、六つ。
見覚えのある巨躯が、次々と闇の中に立ち上がっていく。
「サイクロプス、6体……」
ネリスが、低く呻く。
一番目の部屋で最初に相対した相手のはずだった。
だが、その巨体を覆う肌の色は、記憶にあるものと違っていた。
かつて倒した個体は、くすんだ土色の肌をしていたはずだった。
今、目の前に並ぶ六体は、揃って青黒く沈んだ色をしている。
「え、前の時のサイクロプスと、色が違う……」
ノリアが、目を細める。
「別種、か?」
その問いに、誰も答えを持ち合わせていなかった。
単なる再登場ではないのかもしれない、という不安だけが残る。
誰の顔にも、隠しきれない緊張が浮かんでいた。
「色が違うだけなら、まだいいけど」
ネリスが、爪を構え直しながら呟く。
「弱点まで変わってたら、厄介でござるな」
ワングが、荒い息のまま応じた。
疲れ切った体に、なおも力を込め直す。
六つの巨眼が、揃って六人を見下ろす。
低い唸り声が、部屋の空気を震わせた。
消耗しきった体のまま、六人は、無言でそれぞれの得物を構え直した。
いかがでしょうか?
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