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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第五部 迷宮エア編 四層

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第175話「終焉の代償、迫る影」

マランの世界、連日投稿してます。

毎日2話投稿中です。


グレーテスト・デーモンの巨躯が、部屋の空気を圧するように迫った。

岩のように厚い肌の節々から、蒸気がひっきりなしに噴き出している。

焦げたような匂いが、鼻を突いた。

四本の腕が、それぞれ別の間合いを測るように蠢いた。

赤黒い双眸だけが、無機質に六人を見下ろしている。

見上げる六人の顔から、次々と血の気が引いていく。

肌に纏わりつくような、生ぬるい空気が漂っている。

声を出すことさえ、ためらわれた。

一度は、無茶を押し通して葬った相手だった。

二度目の顔合わせは、笑えない再会だった。

苦い記憶が、否応なく甦ってくる。

前回は、傷ついたスルを見て、ノリアが相談も待たずに単身で突き進み、終焉の二連発で決着をつけた。

今回は、あの時のような無茶を、誰か一人に押しつけるわけにはいかない。

しかも、この部屋には退路がない。

背後の扉は、最初から開かないと決まっている。

逃げ場のないまま、正面から片づけるしかなかった。

前の激戦から、まだ呼吸すら整っていない。

それでも、休む猶予は与えられなかった。

「前は、ノリアの呪文で凌いだけど」

カインが、低く言う。

「終焉、二発だった」

ノリアが、自分の掌を見つめたまま呟いた。

指を折るまでもなく、答えはもう出ている。

「ここで、使う?」

一発しか撃てないと言ったばかりの札を、いきなり切ることになる。

誰も、すぐには言葉を継げなかった。

「防護魔法も、いる」

ミラが、割り込んだ。

「先に守りを固めないと、詠唱の途中で潰される」

「悠長に構えている暇は、ござらん」

ワングが、村雨を構えたまま唸る。

「かといって、行き当たりばったりも困る」

カインが、歯を食いしばりながら周りを見回した。

誰の顔にも、正解は浮かんでいない。

役割も、順番も、まだ決まっていない。

六人で相談する間さえ、なかった。

重い沈黙だけが、その場を支配している。

「前衛は、私が」

スルが、盾を前に出す。

「なら、拙者も」

ワングが、隣に並んだ。

「私も、隙があれば爪を入れる」

ネリスが、低く身構える。

腕の一本さえ切り落とせれば、状況は変わるかもしれない。

そんな淡い期待も、すぐに打ち砕かれることになる。

部屋の空気が、張り詰めた糸のように震えていた。

四本の腕のうち、一本が持ち上がる。

「来るぞ!」

「守護の盾!」

ワングが叫ぶのとほぼ同時に、グレーテスト・デーモンの太い腕から、紫色の光が放たれる。

刺すような光が、視界の端を焼く。

結界が、軋むような音を立てて震えた。

光を浴びた六人の足が、そろって後ろへ滑る。

耳の奥まで痺れるような衝撃だった。

かろうじて、耐え切った。

衝撃の余韻が、骨の芯まで響いている。

膝が、かすかに笑っていた。

その隙に、ネリスが低い姿勢のまま踏み込み、太い前脚へ爪を叩き込む。

硬い手応えだけが返ってきた。

傷一つ、つかない。

硬い甲殻のような肌が、爪の一撃さえ弾き返していた。

「駄目、これ……!」

ネリスが、跳び退りながら舌打ちする。

「次は、保たないでござる」

ワングが、村雨を握る手に力を込めた。

「こっちの盾も、もう限界」

スルが、盾を見つめながら言う。

盾に走った罅が、じわりと広がっていた。

もう一発、同じ威力を受ければ、確実に破られる。

額を伝う汗が、止めどなく流れ落ちていく。

四本の腕のうち、二本が同時に持ち上がった。

「二発、来るぞ!」

カインの声に、六人の背筋が凍りついた。

考える猶予は、もう残されていない。

息を詰めたまま、次の一手を探すしかなかった。

「神域で守るから、終焉、お願い!」

ミラが叫んだ。

「わかった!」

ノリアが、迷いを振り切るように杖を掲げる。

「神域!」

ミラの唱えた光が、六人を丸ごと包み込む。

温かな光の膜が、肌の上を滑るように広がった。

「終焉!」

「終焉!」

ノリアの声が、二度、続けて響いた。

かつて、この魔物を一撃で葬った、あの二連発だった。

グレーテスト・デーモンの放つ呪文と、終焉の光が正面からぶつかり合う。

打ち消し合いながらも、なお絡み合う光が、魔物の巨躯を包み込んでいく。

視界を白く染める閃光に、思わず目を細めた。

固唾を呑んで、結果を見守るしかない。

「これで……!」

ネリスが、爪を握り締めた。

だが、崩れなかった。

「倒れて、ない……!」

ネリスの声が、上ずる。

代わりに、四本の腕のうち別の一本が、赤く輝きはじめた。

「業炎獄……!」

カインが、叫ぶ。

放たれた炎が、六人を舐めるように襲いかかる。

熱気が、肌をひりつかせた。

「こっちだ!」

スルが、燃え広がる炎の一角へ盾ごと飛び込み、ミラを庇った。

熱風が、頬を焼くように吹き抜ける。

「もう出し惜しみしてる場合じゃない」

「「業炎獄!」」

ノリアが、ぶつけるように同じ呪文を放った。

「終焉!」

ワングの声が重なる。

二つの光が、放たれた炎ごと、グレーテスト・デーモンを呑み込んでいく。

轟音とともに、巨躯が、跡形もなく消え去った。

余韻を残す震動が、床を通して伝わってくる。

舞い上がった粉塵が、ゆっくりと部屋の床に降り積もっていく。

静寂が、部屋に落ちる。

積もった粉塵の匂いが、鼻の奥に残っていた。

だが、誰も安堵の息を吐けなかった。

守護の盾が防ぎきれなかった余波が、六人の体を貫いていた。

「くっ……」

ミラが、片膝をつく。

「痺れる……」

ノリアが、杖を杖代わりにして、体を支えた。

カインも、腕を押さえたまま、その場にしゃがみ込む。

他の五人も、程度の差はあれ、同じように体を丸めていた。

ワングは、村雨を杖代わりについて、辛うじて立っている。

スルとネリスも、無言のまま、その場に膝をついていた。

荒い息づかいだけが、狭い部屋に満ちている。

すぐには、誰も立ち上がれずにいた。

「大群癒!」

ミラが、震える声で唱える。

淡い光が満ちるが、まだ足りない。

体の芯に残った痛みが、消えずに燻っている。

「もう一度……大群癒!」

二度目の光が、ようやく六人の体を立て直した。

強張っていた体から、少しずつ力が戻ってくる。

それでも、痛みの芯までは拭えていない。

「大群癒を、二回か」

カインが、荒く息をつきながら呟く。

「痛いな、これは」

「回復は、ミラ頼みだから」

ネリスが、肩で息をしながら言った。

「その私も、そろそろ底が見えてきてる」

ミラが、乾いた声で笑う。

「拙者の『終焉』も、残り二回でござる」

ワングが、静かに言った。

「こっちは、もう一回しかない」

ノリアが、力なく首を振る。

切り札は、もう出し切ったに等しかった。

重い疲労が、六人の肩にのしかかっていた。

「みんな、似たようなものでござるな」

ワングが、刃こぼれを確かめる余裕もないまま、村雨を鞘へ収めた。

そう言っている間に、新たな気配が二つ、また二つ。

リッチが、二体。

魔女が、二体。

朽ちた白骨の眼窩と、フードの奥に沈んだ双眸が、揃って六人へ向けられる。

見覚えのある顔ぶれが、六人の前に立ちはだかる。

物理を寄せつけず、術と防御でしか渡り合えなかった相手だった。

剣も爪も、あの部屋では何の役にも立たない。

あの時の苦戦が、いまだ生々しく記憶に残っている。

「あの時は、終末の裁きと、雷殺と、業炎獄の三連発だったな」

ワングが、記憶をたどるように呟く。

「守護の盾と神域、それに盾防御も、全部使った上での話でござる」

「今の私たちに、同じだけの手駒があるとは思えない」

ミラが、静かに首を振った。

「なら、削るしかない」

カインが、絞り出すように言う。

「一発ずつでも、確実に。時間をかけてでも」

「時間をかければ、こっちの回復が保たない」

ノリアが、すかさず切り返した。

正解のない問いを、誰も持ち合わせていなかった。

重苦しい沈黙が、再びその場に降りた。

「魔法、持つかな」

スルが、盾を構え直しながら、ぽつりと言った。

「持たさないと」

ネリスが、短く答えた。

答えになっていないことは、誰よりもネリス自身がわかっていた。

張り詰めた空気が、再び六人を包んでいた。

カインは、拳を握り直し、リッチと魔女の姿を睨みつけた。

隣で、ワングが村雨を静かに抜き放つ。

退路のない部屋で、休む間もなく、次の戦いが始まろうとしていた。

いかがでしょうか?


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