第175話「終焉の代償、迫る影」
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グレーテスト・デーモンの巨躯が、部屋の空気を圧するように迫った。
岩のように厚い肌の節々から、蒸気がひっきりなしに噴き出している。
焦げたような匂いが、鼻を突いた。
四本の腕が、それぞれ別の間合いを測るように蠢いた。
赤黒い双眸だけが、無機質に六人を見下ろしている。
見上げる六人の顔から、次々と血の気が引いていく。
肌に纏わりつくような、生ぬるい空気が漂っている。
声を出すことさえ、ためらわれた。
一度は、無茶を押し通して葬った相手だった。
二度目の顔合わせは、笑えない再会だった。
苦い記憶が、否応なく甦ってくる。
前回は、傷ついたスルを見て、ノリアが相談も待たずに単身で突き進み、終焉の二連発で決着をつけた。
今回は、あの時のような無茶を、誰か一人に押しつけるわけにはいかない。
しかも、この部屋には退路がない。
背後の扉は、最初から開かないと決まっている。
逃げ場のないまま、正面から片づけるしかなかった。
前の激戦から、まだ呼吸すら整っていない。
それでも、休む猶予は与えられなかった。
「前は、ノリアの呪文で凌いだけど」
カインが、低く言う。
「終焉、二発だった」
ノリアが、自分の掌を見つめたまま呟いた。
指を折るまでもなく、答えはもう出ている。
「ここで、使う?」
一発しか撃てないと言ったばかりの札を、いきなり切ることになる。
誰も、すぐには言葉を継げなかった。
「防護魔法も、いる」
ミラが、割り込んだ。
「先に守りを固めないと、詠唱の途中で潰される」
「悠長に構えている暇は、ござらん」
ワングが、村雨を構えたまま唸る。
「かといって、行き当たりばったりも困る」
カインが、歯を食いしばりながら周りを見回した。
誰の顔にも、正解は浮かんでいない。
役割も、順番も、まだ決まっていない。
六人で相談する間さえ、なかった。
重い沈黙だけが、その場を支配している。
「前衛は、私が」
スルが、盾を前に出す。
「なら、拙者も」
ワングが、隣に並んだ。
「私も、隙があれば爪を入れる」
ネリスが、低く身構える。
腕の一本さえ切り落とせれば、状況は変わるかもしれない。
そんな淡い期待も、すぐに打ち砕かれることになる。
部屋の空気が、張り詰めた糸のように震えていた。
四本の腕のうち、一本が持ち上がる。
「来るぞ!」
「守護の盾!」
ワングが叫ぶのとほぼ同時に、グレーテスト・デーモンの太い腕から、紫色の光が放たれる。
刺すような光が、視界の端を焼く。
結界が、軋むような音を立てて震えた。
光を浴びた六人の足が、そろって後ろへ滑る。
耳の奥まで痺れるような衝撃だった。
かろうじて、耐え切った。
衝撃の余韻が、骨の芯まで響いている。
膝が、かすかに笑っていた。
その隙に、ネリスが低い姿勢のまま踏み込み、太い前脚へ爪を叩き込む。
硬い手応えだけが返ってきた。
傷一つ、つかない。
硬い甲殻のような肌が、爪の一撃さえ弾き返していた。
「駄目、これ……!」
ネリスが、跳び退りながら舌打ちする。
「次は、保たないでござる」
ワングが、村雨を握る手に力を込めた。
「こっちの盾も、もう限界」
スルが、盾を見つめながら言う。
盾に走った罅が、じわりと広がっていた。
もう一発、同じ威力を受ければ、確実に破られる。
額を伝う汗が、止めどなく流れ落ちていく。
四本の腕のうち、二本が同時に持ち上がった。
「二発、来るぞ!」
カインの声に、六人の背筋が凍りついた。
考える猶予は、もう残されていない。
息を詰めたまま、次の一手を探すしかなかった。
「神域で守るから、終焉、お願い!」
ミラが叫んだ。
「わかった!」
ノリアが、迷いを振り切るように杖を掲げる。
「神域!」
ミラの唱えた光が、六人を丸ごと包み込む。
温かな光の膜が、肌の上を滑るように広がった。
「終焉!」
「終焉!」
ノリアの声が、二度、続けて響いた。
かつて、この魔物を一撃で葬った、あの二連発だった。
グレーテスト・デーモンの放つ呪文と、終焉の光が正面からぶつかり合う。
打ち消し合いながらも、なお絡み合う光が、魔物の巨躯を包み込んでいく。
視界を白く染める閃光に、思わず目を細めた。
固唾を呑んで、結果を見守るしかない。
「これで……!」
ネリスが、爪を握り締めた。
だが、崩れなかった。
「倒れて、ない……!」
ネリスの声が、上ずる。
代わりに、四本の腕のうち別の一本が、赤く輝きはじめた。
「業炎獄……!」
カインが、叫ぶ。
放たれた炎が、六人を舐めるように襲いかかる。
熱気が、肌をひりつかせた。
「こっちだ!」
スルが、燃え広がる炎の一角へ盾ごと飛び込み、ミラを庇った。
熱風が、頬を焼くように吹き抜ける。
「もう出し惜しみしてる場合じゃない」
「「業炎獄!」」
ノリアが、ぶつけるように同じ呪文を放った。
「終焉!」
ワングの声が重なる。
二つの光が、放たれた炎ごと、グレーテスト・デーモンを呑み込んでいく。
轟音とともに、巨躯が、跡形もなく消え去った。
余韻を残す震動が、床を通して伝わってくる。
舞い上がった粉塵が、ゆっくりと部屋の床に降り積もっていく。
静寂が、部屋に落ちる。
積もった粉塵の匂いが、鼻の奥に残っていた。
だが、誰も安堵の息を吐けなかった。
守護の盾が防ぎきれなかった余波が、六人の体を貫いていた。
「くっ……」
ミラが、片膝をつく。
「痺れる……」
ノリアが、杖を杖代わりにして、体を支えた。
カインも、腕を押さえたまま、その場にしゃがみ込む。
他の五人も、程度の差はあれ、同じように体を丸めていた。
ワングは、村雨を杖代わりについて、辛うじて立っている。
スルとネリスも、無言のまま、その場に膝をついていた。
荒い息づかいだけが、狭い部屋に満ちている。
すぐには、誰も立ち上がれずにいた。
「大群癒!」
ミラが、震える声で唱える。
淡い光が満ちるが、まだ足りない。
体の芯に残った痛みが、消えずに燻っている。
「もう一度……大群癒!」
二度目の光が、ようやく六人の体を立て直した。
強張っていた体から、少しずつ力が戻ってくる。
それでも、痛みの芯までは拭えていない。
「大群癒を、二回か」
カインが、荒く息をつきながら呟く。
「痛いな、これは」
「回復は、ミラ頼みだから」
ネリスが、肩で息をしながら言った。
「その私も、そろそろ底が見えてきてる」
ミラが、乾いた声で笑う。
「拙者の『終焉』も、残り二回でござる」
ワングが、静かに言った。
「こっちは、もう一回しかない」
ノリアが、力なく首を振る。
切り札は、もう出し切ったに等しかった。
重い疲労が、六人の肩にのしかかっていた。
「みんな、似たようなものでござるな」
ワングが、刃こぼれを確かめる余裕もないまま、村雨を鞘へ収めた。
そう言っている間に、新たな気配が二つ、また二つ。
リッチが、二体。
魔女が、二体。
朽ちた白骨の眼窩と、フードの奥に沈んだ双眸が、揃って六人へ向けられる。
見覚えのある顔ぶれが、六人の前に立ちはだかる。
物理を寄せつけず、術と防御でしか渡り合えなかった相手だった。
剣も爪も、あの部屋では何の役にも立たない。
あの時の苦戦が、いまだ生々しく記憶に残っている。
「あの時は、終末の裁きと、雷殺と、業炎獄の三連発だったな」
ワングが、記憶をたどるように呟く。
「守護の盾と神域、それに盾防御も、全部使った上での話でござる」
「今の私たちに、同じだけの手駒があるとは思えない」
ミラが、静かに首を振った。
「なら、削るしかない」
カインが、絞り出すように言う。
「一発ずつでも、確実に。時間をかけてでも」
「時間をかければ、こっちの回復が保たない」
ノリアが、すかさず切り返した。
正解のない問いを、誰も持ち合わせていなかった。
重苦しい沈黙が、再びその場に降りた。
「魔法、持つかな」
スルが、盾を構え直しながら、ぽつりと言った。
「持たさないと」
ネリスが、短く答えた。
答えになっていないことは、誰よりもネリス自身がわかっていた。
張り詰めた空気が、再び六人を包んでいた。
カインは、拳を握り直し、リッチと魔女の姿を睨みつけた。
隣で、ワングが村雨を静かに抜き放つ。
退路のない部屋で、休む間もなく、次の戦いが始まろうとしていた。
いかがでしょうか?
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