第173話「消えぬ影、剣を持つ影」
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がら空きの喉元を突いたはずの手ごたえは、まだ腕に残っている。
だが、今はそれを噛み締めている暇もなかった。
部屋の奥まで、等間隔に並んだ松明の炎が、赤々と揺れていた。
丸盾とレイピアを構えた仮面の剣士が、静かに間合いを詰めてくる。
ワングが、へたり込んだままのカインをかばうように、村雨を構え直した。
「拙者が、まず様子を見るでござる」
「頼んだ」
カインが、短く返す。
「こいつの弱点は、影だったな」
カインが、肩で息をしながら呟く。
七番目の部屋で、一度は倒した相手だ。
だが、今日は勝手が違った。
部屋の壁という壁に、松明がびっしりと並んでいる。
前回の一本きりの灯りとは、まるで違う光量だった。
浮かぶ影は、幾つも、幾重にも重なっている。
濃いもの、薄いもの、輪郭のはっきりしないもの。
「どれが、本物の影なんだ」
ネリスが、目を凝らす。
それらしき影に爪を突き立てても、手応えはない。
「こっちも、駄目」
スルが、別の影を短剣で払った。
刃は、ただ壁を叩くだけだった。
「そっちも」
ミラも、近くの影を長剣で突く。
やはり、何も起こらない。
「拙者が見た影も、はずれでござった」
ワングが、舌打ちする。
「真贋の瞳は、道具にしか効かないでござる。今は、頼りにならないでござるな」
ワングが、首を振った。
「だよな」
カインが、頷いた。
「なら、こっちは」
カインも、剣先を近くの影へ突き込んだ。
無駄だった。
舌打ちが、また一つ、増えていった。
五人がかりで手当たり次第に影を狙っても、当たりは一つも出ない。
「数打ちゃ当たる、ってわけでもないらしい」
ノリアが、忌々しげに呟いた。
「なら、これならどう」
ノリアが、影の一つへ狙いを絞り、小さな火花炎を放つ。
これも、外れだった。
剣士のレイピアが、迷うことなく振り下ろされる。
「くっ……!」
ミラが、盾で受け止めた。
浅く、腕を裂かれる。
「大丈夫か!」
カインが、声を上げた。
「これくらい、平気」
ミラが、傷口を押さえながら、なおも立ち位置を保つ。
「今度は、私が」
ミラが、体勢を立て直し、長剣を突き出した。
切っ先は、あっさりと弾かれる。
「拙者も」
ワングが、村雨を横に薙いだ。
こちらも、同じく弾かれた。
物理は、通じない。
以前と、変わらない前提らしかった。
「守護の盾、お願い!」
ノリアが、ワングに叫ぶ。
「承知!」
ワングの唱えた光が、六人を包んだ。
ノリアが、大きく杖を振りかぶる。
「業炎獄!」
すさまじい炎が、剣士を丸ごと呑み込んだ。
熱気が、部屋の空気ごと揺らす。
炎が収まった後も、剣士は、そこに立っていた。
傷らしい傷は、どこにも見当たらない。
「嘘でしょ……」
ノリアが、杖を握る手を、震わせた。
「なら、これも試す」
ミラが、杖を掲げ、裁きの光を放つ。
前の相手には効いた光も、こちらには何の反応も引き起こさなかった。
「聖魔法も、駄目か」
ミラが、肩を落とす。
「連発できる回数も、そう残ってない」
ノリアが、小さく息を吐く。
「影しか、弱点はないのか」
カインが、歯を食いしばる。
松明の炎が揺れるたび、影の輪郭も揺れて、狙いを定めさせない。
無数の影の中から、正しい一つを選び当てることは、賭けに等しかった。
「もう一度、手当たり次第に……」
ネリスが、爪を構え直しかける。
足元で、ミーが、ひょうひょうと呟いた。
「無ければ、作ればいい」
「……作る?」
カインが、聞き返す。
「影を、作れって言うのか」
ワングが、松明の並ぶ壁を見渡した。
「そうか!」
ネリスが、真っ先に駆け出した。
「ネリス、危ない!」
ミラの声にも構わず、壁際の松明を、爪で次々と叩き消していく。
全部ではない。
片側の壁だけを、狙って。
剣士が、ネリスの動きを察知し、間合いを詰めようとした。
「行かせるかよ」
スルが、体を割り込ませて盾で塞ぐ。
「拙者も、加勢するでござる!」
ワングが、剣士の正面に立ち塞がった。
レイピアの切っ先が、スルの盾を掠める。
「浄光!」
ミラが、走りながらスルへ光を飛ばした。
松明が、一つ、また一つと消えていく。
三つ目、四つ目。
壁の陰影が、少しずつ形を変えていく。
「まだ、足りない?」
ネリスが、汗を拭いながら振り返る。
「もう少し!」
カインが、答えた。
「五つ目、いくよ!」
ネリスが、残る力を振り絞って、また一つ叩き落とした。
明かりが半分ほど減った途端、剣士の向かい側の壁に、くっきりとした影が浮かび上がった。
これまでの、薄く重なった影とは、まるで違う。
一つだけ、はっきりと。
「見えた……!」
「そこだ!」
スルが、腰の短剣を影の中心めがけて投げる。
刃は、迷わず吸い込まれていった。
「うぐぅ……」
剣士が、低く唸る。
その体が、光の粒子となって崩れていった。
消えた後、床に短剣だけが転がっていた。
スルが、拾い上げて鞘に収める。
部屋には、束の間の静けさが戻る。
ネリスが潰した松明が、何事もなかったかのように、ひとりでに灯った。
「怪我は」
カインが、皆を見回す。
「浅手だけ」
ミラが、自分の腕を見せた。
「拙者も、かすり傷程度でござる」
「ネリスは?」
カインが、振り返る。
「息が切れただけ」
ネリスが、膝に手をついたまま、笑ってみせた。
「村雨に、目立った刃こぼれはなさそうでござるな」
ワングが、刃を検めながら、ほっと息をついた。
「カインは」
ミラが、気遣わしげに聞く。
「まだ、本調子じゃないけど、動ける」
カインが、剣を握り直しながら、無理に笑ってみせた。
「今度こそ、終わり……」
ノリアが、そう呟いた矢先だった。
同時に、新たな気配が二つ、いや四つ、立ち上る。
鎧の騎士が二体。
ローブの老人が二体。
「……騎士が、剣を持ってる」
ワングが、目を細めた。
五番目の部屋の騎士は、大盾しか持っていなかったはずだ。
反撃をしてこない、大人しい相手だったはずだった。
今、目の前の二体は、大盾に加えて、抜き身の剣まで携えている。
かたや、ローブの老人たちも、以前より心なしか、纏う空気が張り詰めて見えた。
「今度は違う、ってことでござるか」
「ということは」
カインの声が、緊張を帯びる。
「あの老人たちが、ただ突っ立ってるだけの相手だとは、思わないほうがいい」
「魔法も、来るってことか」
ネリスが、爪を構え直した。
「たぶん」
カインが、頷く。
「六番目の部屋では、一撃の格が物を言った、はず」
ノリアが、記憶をたどるように呟く。
「今度も、それが通じるとは、限らないでござるな」
ワングが、釘を刺した。
「物理と魔法、両方来る。今度は」
「なら、役割を分けるでござるな」
ワングが、村雨を構えた。
「拙者とスル殿が、騎士を」
「うむ」
スルが、頷いた。
「私とノリアで、老人たちを引き受ける」
ミラが、頷く。
「俺とネリスは、隙を見て動く」
カインが、皆を見回した。
「隙を見て、っていうのが、いちばん難しいでござるな」
ワングが、苦笑した。
「文句言うなよ。適材適所だろ」
カインが、肩をすくめる。
「異論なし」
ネリスが、爪を鳴らす。
「ララは、呼べないのか」
ネリスが、ふと聞いた。
「試してみる」
カインが、印を組もうとするが、何も反応がない。
「駄目だ、印すら組めない」
「ここでは、召喚も封じられてる、ってことか」
ワングが、唸った。
「私たちの詠唱、老人たちに弾かれないといいけど」
ノリアが、不安そうに漏らす。
「弾かれたら、その時考えるでござる」
ワングが、あっさりと言った。
「休む暇も、なさそうだね」
ノリアが、疲れの滲む声で、杖を掲げ直した。
足元のミーが、小さく鳴いて、六人を見上げる。
「まだ、続くらしいぞ」
その声には、からかうような、それでいて労うような響きが混じっていた。
ミーは、六人から少し離れた物陰へ、するりと身を寄せる。
いつもの、定位置だった。
鎧の騎士たちが、剣を抜き放つ音が、部屋に低く響いた。
二体の騎士が、じり、と半歩前に出る。
ローブの老人たちは、まだ動かない。
老人たちの目だけが、静かに六人を捉えていた。
その静けさが、かえって不気味だった。
六人は、四体を前に、じりじりと身構えた。
いかがでしょうか?
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