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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第五部 迷宮エア編 四層

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第167話「偽りの隙、届いた手刀」

マランの世界、連日投稿してます。

毎日2話投稿中です。


翌日、六人はフォージタウンの工房を訪ねた。

「おう、来たか」

ダダが、槌を置いて振り返る。

「例のやつ、持ってきたでござる」

ワングが、折れた氷姫と、村雨を差し出した。

ダダが、まず氷姫を手に取る。

刃のない柄を、光にかざしてじっくり眺めた。

「……根元から、きれいに折れてるな」

「戦いの中で、力を出し切ってくれたでござる」

「なら、直しがいがある」

ダダが、柄を軽く撫でる。

「時間はもらうが、直してみるよ」

「かたじけない」

ワングが、頭を下げた。

続けて、ダダは村雨を鞘から抜いた。

刀身が、鈍い光を弾く。

しばらく、無言だった。

工房の中に、鎚の音すら聞こえなくなる。

「……おい」

「なんだ」

「これ、どこで拾った」

「エアの九行目でござる」

「そうか」

ダダが、刀身を透かすように見る。

刃紋を指でなぞり、柄の作りを確かめ、また刀身に目を戻した。

「俺の目でも、只者じゃないってことしかわからん」

「わからないのか」

ノリアが、意外そうに言った。

「これだけの代物は、俺の見立てじゃ底が見えない」

ダダが、慎重に鞘へ戻す。

「打った職人の腕もそうだが、それだけじゃない何かが、乗ってる気がする」

「何か、って」

カインが、身を乗り出した。

「うまく言えないが……曰くつき、ってやつだろうな」

「アプレイザルに回した方がいい。銘の意味も、由来も、あっちの方が詳しいはずだ」

「承知した」

ワングが、村雨を懐へしまう。

「まあ、氷姫は任せとけ」

ダダが、にっと笑った。

「あんたの相棒だからな。適当な仕事はしない」

「頼りにしているでござる」

ワングが、深く頭を下げた。

「終わったら、フラグメンツで一杯奢れよ」

「望むところでござる」

---

数日後、六人は再びエアへ潜った。

九行目までを、迷わず抜ける。

十行目の扉に、文字が浮かんでいた。

「気配を残す者は拒まれ、気配を断つ者にのみ届く。」

カインが、それを読み上げる。

「気配を、断つ」

「あたしじゃん」

ネリスが、真っ先に言った。

「忍者に、なったばっかりだけど」

「あんたしか、いないでしょ」

ノリアが頷く。

「爪しか使わないあんたが、気配まで断てるとは思えないけどね」

「ちょっと」

ネリスが、むっとした顔をする。

「これでも、修行はしてるんだから」

「無茶は、しないで」

ミラが、心配そうにネリスを見た。

「わかってる」

ネリスが、軽く笑ってみせる。

「一人が、得意なんだから」

「一人で平気とか、みんな同じこと言うよね」

ノリアが、小さく肩をすくめた。

「その台詞、ワングも言ってたでござるよ」

ワングが、苦笑気味に口を挟んだ。

「拙者は、あまり信じなかったが」

「今度は、信じてくれる?」

「信じるでござる」

ワングが、真面目な顔で頷く。

「拙者と同じく、必ず戻ってくると」

「当たり前」

ネリスが、鼻を鳴らした。

扉に手をかける。

抵抗なく、開いた。

「行ってくる」

短く言って、ネリスは中へ消えた。

---

薄暗い部屋だった。

灯りはなく、壁際にわずかな燐光が滲んでいるだけ。

中央に、黒ずくめの人影が、音もなく佇んでいる。

顔も、体の輪郭さえも、闇に溶けているようだった。

猫系獣人の目でさえ、輪郭を捉えきれない。

(気配、感じない)

ネリスは、息を潜めた。

自分の呼吸の音さえ、うるさく感じる。

爪を、そっと構え直した。

その瞬間、人影がしゃがみ込む。

まるで、獲物を狙う獣のような、低い姿勢だった。

次の瞬間には、宙に舞っていた。

「速……!」

ネリスは、辛うじて身をかわす。

すれ違いざま、腰のくないを投げた。

相手は、短刀でそれを弾き返す。

金属音が、部屋に響いた。

弾かれたくないが、床を滑って闇へ消える。

「本当に、隙がない」

構え直しながら、ネリスは唇を噛んだ。

追撃の爪が、空を切る。

かわされた反動で、体勢が崩れかけた。

そこへ、短刀の切っ先が伸びる。

「く……!」

とっさに身をひねり、頬に浅い傷を負いながら躱した。

熱い痛みが、遅れて追いついてくる。

だが、止まっている暇はなかった。

打ち合いは、何度も続いた。

爪と、短刀。

床を蹴る音。

息を殺す間合い。

一つ躱せば、一つ突かれる。

一つ弾けば、一つ流される。

読み合いと、読み合い。

互角。

どちらも、決定打を打てないまま、時間だけが過ぎていく。

(このままじゃ、あたしが先に潰れる)

腕の感覚が、鈍くなっていた。

呼吸が、乱れている。

汗が、背中を伝う。

視界の端が、わずかに霞み始めていた。

(どこかで、決めないと)

ふと、脳裏をよぎるものがあった。

なぜ、こんなにも迷宮に潜りたがるのか。

自分でも、うまく言葉にできない理由。

だが今は、それを考えている場合ではない。

ネリスは、覚悟を決めた。

罠を見抜くのが得意なら、罠を張るのも得意なはずだ。

そう、自分に言い聞かせる。

わざと、押し込まれたふりをする。

一歩、また一歩、後ろへ下がる。

肩を落とし、息を乱し、追い詰められた冒険者を、そのまま演じた。

相手の間合いが、わずかに詰まる。

食いついた、と感じた。

そして――右足を、大きく滑らせた。

「あっ……!」

よろける。

無防備な、右半身。

見逃す相手ではなかった。

黒い影が、地を這うように距離を詰める。

短刀が、まっすぐに迫る。

喉元を、狙っていた。

その刹那。

ネリスは、崩れる体をそのまま使い、後方へ跳んだ。

背中で、壁を蹴る。

反動で、宙を裂くように、相手の背後へ回り込んだ。

「――もらった」

手刀を、首筋へ叩き込む。

確かな手応え。

骨まで届くような、重い感触があった。

相手の体が、ぐらりと傾いだ。

短刀が、乾いた音を立てて床に落ちる。

そのまま、光を帯びていく。

輪郭が崩れ、粒子となって、闇に溶けるように消えていった。

最後まで、顔は見えなかった。

気配すら、最初から最後まで、掴ませなかった相手だった。

部屋に、静けさが戻る。

膝から、力が抜けそうになった。

床に、何かが転がっている。

短刀だった。

「……あとで、真贋の瞳で見てもらおう」

倒れそうになりながら、ネリスはそれだけ思った。

---

扉が開く。

「ネリス!」

真っ先に駆け寄ったのは、ミラだった。

「大丈夫、ちょっと、疲れただけ」

膝に手をついたまま、ネリスが笑う。

「頬、切れてる」

ミラが、そっと指摘した。

「あ……気づかなかった」

「浄光」

ミラの光が、そっと降り注いだ。

頬の傷が、みるみる塞がっていく。

強張っていた体から、少しずつ力みが抜けていった。

「無理しすぎ」

ミラが、軽く睨む。

「ごめんって」

ネリスが、両手を上げて降参する仕草を見せた。

「決まったのか」

カインが、拾われた短刀に目をやった。

「ぎりぎり」

ネリスが、肩をすくめる。

「わざと転んで、隙を作った」

「わざと?」

「あたし、罠を見抜くのは得意でしょ」

ネリスが、にやりと笑った。

「なら、仕掛ける方も、いけると思って」

「危ない賭けでござるな」

ワングが、感心と呆れの混じった声を出す。

「賭けじゃないよ」

ネリスが、短く言い返した。

「これしかない、って思っただけ」

その言い方に、誰も反論しなかった。

「気配、断てたのか」

ノリアが、興味深そうに聞く。

「断てたかどうかは、わからない」

ネリスが、正直に答えた。

「でも、扉は開いたから、そういうことなんだと思う」

「相変わらず、感覚だけで生きてるな」

ノリアが、呆れたように笑う。

「悪い?」

「悪くはない。あんたらしい」

スルが、妹の肩に、そっと手を置いた。

「よく、やった」

「ん」

ネリスが、短く頷く。

その一言だけで、少しだけ、体の強張りが緩んでいく。

兄の不器用な優しさは、昔から変わらなかった。

拾った短刀を、懐へしまう。

「これも、あとで見てもらわないとね」

カインは、ふと考え込むように、板を見つめた。

ワングの時も、氷姫の代わりに村雨が遺された。

今度は、ネリスの前に短刀が残った。

一つ一つの部屋が、ただの試練ではなく、何かを置いていく。

(次は、俺の番かもしれない)

その予感を、口には出さなかった。

十行目の板に、淡い光が宿った。

十一行目が何を映すのか、今はまだ、誰にもわからなかった。

ただ、板の光だけが、静かに六人を見つめていた。

いかがでしょうか?


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