第164話「躱す剣、貫く影」
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一度、街へ戻った。
翌朝、ヘクサインの食堂で、六人はいつも通り顔を揃えた。
「今日で、七つ目まで行けるでござろうか」
ワングがパンをちぎりながら言う。
「行けるところまで、行くしかない」
カインがスープを飲み干した。
「相変わらず、気合だけは十分だね」
ノリアが笑う。
「気合しか、頼れるものがないでござる」
ワングも笑って肩をすくめた。
食べ終えると、六人はいつも通りエアへ向かった。
一部屋目から六部屋目までは、迷わず抜けた。
六つの扉の先、これまで誰も見たことのない通路が、まだ奥へと続いていた。
「この先は、初めてでござるな」
ワングが刀の柄に手を添える。
「エランドは、幾つか越えてるって言ってたけど」
ノリアが天井を見上げた。
「幾つ、なんだろうね」
「わからない」
カインが正直に答える。
「行けば、わかるかもしれない」
七つ目の扉の前に、六人は立った。
扉の脇の壁に、文字が刻まれていた。
「形を斬る者は空を切り、影を斬る者にのみ届く。」
カインがそれを声に出して読む。
「形を斬る者は空を切り……本体を斬っても効かない、ってことでござるか」
ワングが眉を寄せた。
「影を斬る、って書いてある」
ミラが板を覗き込む。
「文字通りの影のこと、なのかな」
「決めつけるのは早い」
カインが皆を見回した。
「今までも、額面通りには進まなかった」
扉が開いた。
奥に立っていたのは、細身の剣士だった。
小さな丸盾を左手に、右手には鋭く細い剣を提げている。
顔には、表情のわからない仮面がついていた。
身のこなしには、これまでの魔物にはない優雅さがあった。
「レイピア、でござるか」
ワングが目を細める。
「見たことのない得物でござるな」
「行くぞ」
カインが剣を構え、前へ出た。
ワング・スル・ミラ・カインの四人が、剣士を取り囲むように仕掛けた。
刃と刃がぶつかり、鋭い音が広間に響く。
だが、剣士の動きは、それを軽くいなすほど滑らかだった。
「速い……」
ミラが剣を弾かれ、片膝をついた。
「くっ」
カインが斬り込んでも、切っ先が空を切る。
ワングの刀も、紙一重で躱され続けた。
「掠りもしないでござる」
スルが盾で押し込もうとしても、剣士は身をひねって間合いを外す。
四人がかりでも、まるで手が届かない。
「息が、合ってないわけじゃないでござるが」
ワングが刀を構え直しながらぼやいた。
「向こうが、一枚上手すぎるでござる」
「文句を言ってる暇はない」
カインが再び斬りかかる。
やはり、刃は空を切った。
汗が額から滴り落ちる。
「なら、あたしも」
ネリスが爪を構え、地を蹴った。
俊敏さには自信があった。
だが、剣士はそれ以上の速さで身を沈め、爪先をかわす。
「嘘でしょ……」
ネリスが着地しながら、信じられないという顔をした。
「あたしより、速い」
「囲んでも、躱される。前に出ても、躱される」
カインが息を切らす。
「なら」
ノリアが杖を構えた。
「えい、面倒くさい」
「雷殺!」
一筋の雷が剣士を貫いた。
「まだ、いける!」
「雷殺!」
二筋目が続けて落ちる。
「これで、三つ目!」
ノリアが叫び、杖を振り抜いた。
「雷殺!」
三筋の雷が重なり、剣士の姿が弾けるように崩れた。
「やった……のか?」
カインが目を凝らす。
崩れたはずの輪郭が、ゆっくりと形を取り戻していく。
仮面の奥から、何の感情も伝わってこない。
「戻った……」
ネリスが後ずさる。
「魔法でも、駄目なのか」
ワングが刀を構え直しながら唸った。
「一旦、引くぞ」
カインの声に、誰も異を唱えなかった。
六人は前室まで下がった。
「物理は躱される。魔法は、消しても戻ってくる」
カインが額の汗を拭う。
「もう一度、文言を見るでござる」
ワングが板を差し出した。
「形を斬る者は空を切り、影を斬る者にのみ届く」
ミラがそれをなぞるように読んだ。
「形、っていうのは」
「本体のことだと思う」
カインが頷く。
「じゃあ、影は」
「文字通りの、影じゃないか」
カインが自分の足元に落ちる影を指した。
「あいつが、どこかに影を落としてるなら」
「松明の灯りが、あちこちにあったでござる」
ワングが思い出すように言う。
「影は、一つとは限らないでござるな」
「動いてる間に、どこかへ落ちてる影を狙う」
ミラが静かに続けた。
「口で言うほど簡単じゃなさそうだけど」
ノリアが肩をすくめる。
「俺は、どうすればいい」
スルが盾を軽く叩いた。
「スルは、あたしと一緒に影を探してくれ」
ネリスが答える。
「壁際は、任せる」
「わかった」
スルが短く頷く。
「やるしかない」
カインが皆を見た。
「ワングと僕で、正面から食いつく。他は、影を探してくれ」
「承知でござる」
ワングが頷いた。
扉を開け、六人は再び広間へ踏み込んだ。
剣士が、また静かに剣を構える。
「行くぞ!」
カインとワングが同時に斬りかかった。
剣士の意識が、真正面の二人へ引き寄せられる。
その隙に、ネリスが壁際へ走った。
松明の灯りに照らされて、剣士の影が壁に長く伸びている。
「見つけた」
ネリスが低く呟く。
「まだ、動くな」
カインが剣を振るいながら叫んだ。
「タイミングを合わせろ」
剣士の剣先が、カインの喉元すれすれをかすめる。
ワングが横から斬り込み、剣士の意識を引き戻した。
心臓が、大きく跳ねる。
その一瞬。
ネリスが跳んだ。
宙で体をひねり、伸びた影の中心めがけて、爪を振り下ろす。
手応えがあった。
これまでのどの攻撃とも違う、確かな手応えだった。
影を貫いた瞬間、剣士の体から赤い血しぶきが上がる。
「入った……!」
ネリスが着地しながら叫んだ。
剣士の輪郭が、内側から光を帯びていく。
仮面の奥の瞳が、初めて何かを映したように見えた。
その姿が、粒子となって崩れ、静かに消えていった。
広間に、静けさが戻る。
さっきまでの喧騒が、嘘のようだった。
「……終わった、のか」
カインが剣を下ろした。
「終わったでござる」
ワングが肩で息をつく。
「影だったんだ、本当に」
ミラが呆然と壁を見つめた。
「本体を斬っても、意味がなかったってこと」
「たぶんな」
カインが苦笑する。
「血、出てたよね」
ネリスが自分の爪を見つめる。
「あれは、本物の血だったのか」
「影だから血が出ない、とも限らないでござろう」
ワングが腕を組んだ。
「考えても、わからないでござる」
「でも、なんで影なんだ」
「わからない」
ミラが首を振った。
「あの仮面も、最後まで何も語らなかった」
「規格外な相手ばかりでござるな、この四層は」
ワングが刀を鞘に収めながら言う。
「毎回、そう思ってる気がする」
ネリスが爪の血を払いながら笑った。
板に刻まれた七行目の文言は、そのまま光を帯びて残った。
その日の夕方、フォージタウンの工房にダダを訪ねた。
「今日は、また新顔と当たったのか」
ダダが図面から顔を上げる。
「仮面をつけた、剣士でござった」
ワングが得物を壁に立てかけた。
「本体を斬っても、まるで駄目でな」
カインが椅子に腰を下ろす。
「影を斬ったら、あっさり終わった」
「影、か」
ダダが眉を上げた。
「また、聞いたことのない理屈だな」
「四層は、毎回そうだよ」
ノリアが杖を担ぎ直す。
「今回は、ネリスの跳躍が最後の決め手でござった」
ワングがネリスの肩を叩く。
「たまたまだよ」
ネリスが照れくさそうに笑った。
「たまたまでも、届いたんだから十分だ」
カインが頷く。
「次は、どんな部屋だと思う」
ダダが聞いた。
「わからない」
カインが正直に答える。
「でも、八行目がある以上、まだ先は続いてる」
「エランドの言った壁の数、少しは進んだのかもな」
ミラが静かに呟いた。
「それも、確かめようがないでござるが」
ワングが苦笑する。
「今日のところは、それでいい」
カインが小さく息をついた。
「明日は、八行目からでござるな」
ワングが少し楽しみそうに言った。
「楽しみにするのは、そこまでにしとけよ」
ダダが苦笑する。
「わかってるでござる、多分」
ワングが笑って答えた。
七行目の文言は、まだ工房の話題に残っていた。
八行目が、どんな姿を見せるのかは、今夜もまだ誰にもわからなかった。
いかがでしょうか?
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