第154話 閑話「取り戻す声、誓う盾」スル
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祝いの席がお開きになっても、スルは眠れなかった。
ヘクサインの窓から、月の光が差し込んでいる。
体を横たえても、目だけが冴えていた。
そっと部屋を出る。
石畳を歩く音が、やけに大きく響いた。
フォージタウンの方角に、灯りがひとつ見えた。
近づくと、鍛冶の音がしていた。
窓の隙間から、そっと覗く。
ダダが槌を振るっていた。
台の上にあるのは、まだ半分ほどの形をした盾だった。
自分のための物だと、すぐにわかった。
サイズが、ダダのものではない。
声をかけようとして、やめた。
今は、そっとしておきたい気がした。
背を向け、静かに歩き出す。
胸の中に、名前のつかない熱が、じわりと広がっていた。
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正式に、パーティの一員になった。
その事実が、まだ、うまく飲み込めずにいる。
書類に自分の名前が記された瞬間のことを、何度も思い出す。
嬉しい、という言葉だけでは足りない気がした。
もっと重くて、もっと、頼りない何かだった。
自分に、その資格があるのか。
そう思う瞬間が、正直に言えば、今でもある。
蘇生した夜のことを、スルはよく覚えている。
目を開けた瞬間、真っ先に聞こえたのは、ミラの声だった。
「よかった……!」
その声が、震えていたことを覚えている。
次に見えたのは、ネリスの顔だった。
涙で、ぐしゃぐしゃになっていた。
「兄さん」
その一言だけで、何もかもが、押し寄せてきた。
自分が誰なのか。
何をしていたのか。
思い出そうとするたびに、頭の奥に、靄がかかる。
エアの深いところで、何かに呑まれた記憶がある。
痛みだったのか、それとも、他の何かだったのか。
今も、はっきりとはわからない。
魔物として過ごした年月の記憶は、断片でしかない。
暗い通路。
誰かの足音。
自分のものではないような、唸り声。
それが、自分の声だったのかどうかさえ、確信が持てない。
その間に、自分が何をしたのか。
誰かを、傷つけたのではないか。
考え出すと、止まらなくなる夜がある。
聞いても、誰も答えをくれない。
答えを持っている者が、そもそも、いない。
わからないまま、抱えて生きるしかないのだと、少しずつ、飲み込みつつある。
それでも、完全に飲み込めたわけではない。
夜中に、ふと目を覚ますことがある。
自分の唸り声だったかもしれない何かが、耳の奥に残っている夜だ。
そんな時は、隣の部屋から聞こえる、誰かの寝息に耳を澄ませる。
それだけで、少し、息がしやすくなる。
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召喚モンスターとして、初めてカインの前に現れた時のことは、あまり覚えていない。
だが、「スル」と呼ばれた瞬間のことだけは、なぜか、はっきりしている。
その響きに、体の奥がかすかに震えた。
自分の名前だと、頭より先に、何かが理解していた。
蘇生した後も、その名前は変わらなかった。
「スルでいいよな」
カインに、そう確かめられた時、迷わず頷いた。
新しい名前を、望む理由がなかった。
その名前を、ずっと呼び続けてくれていたのが、他でもないカインだった。
召喚された獣として、意思も言葉も定かでなかった頃から、ずっと。
礼を言う機会は、まだ、うまく作れずにいる。
ミノタウロスとの戦いで、ネリスを庇った瞬間のことも、記憶は曖昧なままだ。
誰を庇っているのか、その時、はっきりとわかっていたわけではない。
ただ、守らなければ、という衝動だけがあった。
それが本能なのか、それとも、どこかに残っていた兄としての何かだったのか。
これも、答えは出ない。
出ないまま、今日まで来た。
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蘇生した直後、スルはうまく話せなかった。
「ワカッタ」「ヤル」「マカセロ」。
出てくる言葉は、片言のカタカナばかりだった。
もどかしかった。
伝えたいことは、いくつもあるのに、声にならない。
そんな自分に、根気強く付き合ってくれたのが、ミラだった。
「焦らなくていい」
毎日のように、そう繰り返してくれた。
簡単な単語から、少しずつ、言葉を教え直してくれた。
「今日は、ちゃんと言えたね」
一言うまく言えるたびに、我が事のように喜んでくれた。
その根気に、何度、救われたかわからない。
ワングは、多くを語らなかった。
だが、稽古の合間、そっと武具の手入れの仕方を教えてくれた。
「言葉は、後からでも、間に合うでござる」
不器用な言い方だったが、その気遣いは、はっきりと伝わった。
ノリアは、初めて言葉を交わせるようになった日、真っ先に話しかけてくれた。
「疲れてない? 無理しなくていいから」
その気安さに、肩の力が抜けたのを覚えている。
言葉を取り戻せたのは、自分ひとりの力ではなかった。
そのことを、忘れずにいたい。
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町の広場の噴水のふちに、腰を下ろす。
水の音が、静かに響いていた。
「やっぱり、ここにいた」
振り返ると、ネリスが立っていた。
「眠れなくて」
「私も」
ネリスが隣に座る。
しばらく、二人とも黙っていた。
「今日から、本当に、六人目だね」
ネリスがぽつりと言う。
「そうだな」
「怖い?」
不意打ちのような問いだった。
「怖い」
正直に答えた。
隠す理由が、見つからなかった。
「私も、ちょっと怖かった」
ネリスが膝を抱える。
「兄さんが、また、いなくなるんじゃないかって」
その一言に、スルは何も返せなかった。
「でも、今日、書類に名前が書かれたの見て、少し、安心した」
「安心、したのか」
「うん」
ネリスがこちらを見る。
「ちゃんと、戻ってきたんだなって」
夜風が、二人の間を通り過ぎていく。
「小さい頃、いつも、俺の後ろをついてきてたな」
スルがふと口を開いた。
「覚えてるのか」
「少しだけ」
「木登りが、得意だったって」
「そんなことまで」
ネリスが、驚いた顔をする。
「思い出せることは、少ないんだ」
スルが静かに続けた。
「でも、お前のことは、忘れなかった気がする」
「気がする、って」
「わからない。それでも、そう思う」
ネリスは、それ以上、何も聞かなかった。
ただ、隣に座り続けていた。
それだけで、十分だという気がした。
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昼間、ダダに前衛を任せたいと言われた時のことを、思い出す。
「怖くないのか」
そう聞いたのは、自分の方だった。
ダダの答えは、正直だった。
「怖い」
その一言に、なぜか、救われた気がした。
怖くて当然のことを、怖いと言える強さがあった。
「お前の盾に、恥じないようにする」
自分でも、驚くほど、はっきりとそう言えた。
言葉にした瞬間、初めて、覚悟が固まった気がした。
自分は、モンスターだった時間を持っている。
何をしたか、わからない過去も抱えている。
それでも、この六人は、迷わず自分を、仲間として迎えてくれた。
その事実に、応える方法は、ひとつしかない。
前に立ち、盾になること。
託された分だけ、確かに返すこと。
それだけだった。
「銘は、まだ決めてない」
ダダはそうも言っていた。
「決まったら、教えてくれ」
スルが返すと、ダダは少し驚いた顔をした。
「気になるのか」
「自分の得物になるものだ。気にならないわけがない」
「そうだな」
ダダが初めて笑った。
多くを語る男ではない。
だが、その一つ一つの言葉に、嘘がないことは、もう十分にわかっていた。
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「戻ろうか」
ネリスが立ち上がる。
「ああ」
二人並んで、ヘクサインへの道を歩いた。
フォージタウンの灯りは、まだ、消えていなかった。
「あの盾、私のと同じ模様、入れてもらおうかな」
ネリスが、灯りの方を見ながら、いたずらっぽく笑う。
「頼んでみるといい」
スルも、少しだけ、口元を緩めた。
明日には、四層に足を踏み入れる。
まだ、わからないことばかりの場所だ。
自分の過去も、魔物だった年月の記憶も、いまだに霧の向こうにある。
それでも、怖さだけではなかった。
わからないままでいい、と思えることが、少しずつ増えている。
隣を歩く妹がいて、託された盾がある。
名を呼んでくれた仲間がいて、待っていてくれた仲間がいる。
それだけで、前を向く理由としては、十分すぎるほどだった。
夜明け前の空が、少しずつ、白み始めていた。
新しい一日が、静かに、確かに始まろうとしていた。
いかがでしょうか?
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