第150話「凍った咆哮、解き放つ終焉」
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器が、ドラゴンの喉の奥へ消えた。
一拍の間があった。
「効いてる……!」
ネリスが宙で叫ぶ。
喉の奥から、蒼白い光が漏れ始めた。
閉じかけていた顎の隙間から、冷気が噴き出す。
ドラゴンの巨躯が、びくりと大きく震えた。
「来るぞ……!」
カインが叫び、両腕で頭を庇う。
だが、次に来たのは、炎ではなかった。
内側から膨れ上がった氷が、鱗の隙間という隙間から噴き出してくる。
蒼い光の柱が、喉から一気に噴き上がった。
ネリスは間一髪で身をよじり、その光の外へ跳び退いた。
着地の瞬間、床が凍りついているのに気づく。
爪先から伝わる冷たさに、思わず息を呑んだ。
「動いて、ない……?」
ドラゴンの巨躯が、そのままの姿勢で止まっていた。
開いたままの顎から、白い息だけが漏れ続けている。
全身を覆う鱗の表面に、みるみる霜が這っていった。
赤かった瞳の輝きさえ、今は薄い氷の膜の奥に沈んでいる。
広げられたままの両翼にも、白い霜がびっしりと張りついていた。
「よし……!」
カインが拳を握りしめる。
「今のうちだ、畳みかけろ!」
ワングが真っ先に踏み込んだ。
太刀の一閃が、氷の張った肩口へ叩き込まれる。
硬い音が響き、刃が弾かれた。
「入らない、でござるか……!」
ワングが太刀を握り直しながら唸る。
刃先には、傷一つついていなかった。
ミラが続けて斬り込む。
ロングソードの切っ先が、鱗の継ぎ目を正確に捉えた。
だが、鱗はびくともしなかった。
「嘘、でしょ……」
カインも剣を構え、渾身の一撃を叩き込む。
鈍い音とともに、刃が滑るように逸れていった。
「凍らせただけじゃ、駄目なのか……!」
ネリスが低く唸り、爪を突き立てる。
鋼の爪が火花を散らし、傷一つつけられずに跳ね返された。
「爪も、通らない」
ネリスが悔しげに手を見つめる。
スルも拳を握り、氷の張った脇腹へ叩き込んだ。
骨まで響くような衝撃だけが、拳を伝って返ってくる。
「硬い。凍っても、変わらない」
スルが低く呟いた。
五人分の全力の一撃が、いずれも表面をかすめただけで終わっていた。
「刃も、拳も、駄目か……」
スルが拳を握ったまま動きを止める。
その拳にも、迷いが見えた。
「拙者の太刀でも駄目とは、只者ではないでござるな」
ワングが太刀を鞘へ戻しながら呟く。
「時間がない」
ミラが振り返る。
凍りついたまま、ドラゴンの喉の奥で、赤い光がわずかに揺れ始めていた。
「まだ、生きてる」
ネリスが低く言う。
誰の顔にも、焦りが浮かんでいた。
その時だった。
「私が決める」
ノリアの声が、静かに、しかし鋭く響いた。
皆の視線が、一斉にノリアへ向いた。
「ミラ、守りの聖歌をお願い。可能なら、重ね掛けで」
ノリアが淡々と告げる。
「ララ、守護の盾をお願い。同じく、重ね掛けで」
「私は」
ノリアが杖を握り直した。
「終焉を、限界まで重ねる」
「それは……」
カインが息を呑む。
「わかってる。代償も、反動も」
ノリアが遮るように言った。
「それでも、今しかない」
一瞬の沈黙が広間を満たした。
「わかった」
ミラが静かに頷き、両手を胸の前で組む。
「私も」
ララが杖を掲げ、頷いた。
その涼しげな瞳に、迷いの色は見えなかった。
「頼む」
カインが短く答え、剣を構え直した。
「守りの、そばにいる」
スルが静かにノリアの傍らへ寄った。
万一の隙が生まれても、すぐに割って入れる位置だった。
ワングとカインも、剣を構えたまま二人の前に立つ。
いつ氷が割れて牙が伸びてきても、対応できる構えだった。
広間の空気が、一段と冷たく張り詰めていった。
ミラの声が、澄んだ調子で響き始めた。
「守りの聖歌」
温かな光が、足元から立ち上るように六人とララを包んでいく。
光の粒が幾重にも重なり、淡い膜となって皆の輪郭をなぞった。
「もう一度」
ミラが再び詠唱を紡ぐ。
二重、三重と、光の層が静かに厚みを増していった。
祈るように組まれた指先が、かすかに震えている。
その傍らで、ララの杖の先に、蒼い燐光が灯る。
「守護の盾」
囁くような声とともに、透き通った結晶の壁が、パーティを薄く覆っていった。
壁の表面に、幾何学的な紋様が浮かんでは消えていく。
まるで、誰かが古い文字を書き付けているようだった。
見たこともない意匠の紋様が、光の線となって幾つも連なっていく。
まるで、結晶そのものが呼吸をしているようだった。
ミラが息を呑んで見つめる。
「これほどの、密度……」
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
「もう一枚」
その声に、疲れの色はまるで感じられなかった。
ララが静かに杖を振るう。
結晶の壁が、内側からもう一層、重なるように広がった。
二人の詠唱が絡み合い、光の結晶が、脈打つように呼応している。
温かな光と、冷たく澄んだ結晶の輝きが、互いを補うように混ざり合っていった。
二つの守りが重なり合う様は、まるで一枚の織物のようだった。
その只中で、ノリアは静かに目を閉じていた。
杖の先に、赤黒い光が凝縮していく。
周囲の空気が、その一点へ吸い寄せられるように流れ始めた。
床に落ちていた砂粒が、細い渦を描きながら浮き上がる。
広間の音という音が、次第に遠のいていくようだった。
まるで、この場所だけが、外の世界から切り離されていくかのようだった。
「終焉」
最初の一言が、低く、地の底から響くように広間を満たした。
杖先の光が、渦を巻きながら密度を増していく。
空気そのものが、軋むような音を立てた。
遠くの壁に、細かな亀裂が音もなく走っていく。
日常の戦いでは、決して抜かない一手だった。
それでも、迷いはなかった。
通常の手数では届かない相手だと、誰よりも自分がわかっていた。
「もう一度」
二度目の詠唱が、一度目の余韻の上に重ねられる。
光の渦が、二重に折り重なり、色を赤から白へと変えていった。
床に転がっていた氷の欠片が、熱に炙られたように音もなく蒸発していく。
ノリアの額から、汗が一筋流れ落ちた。
それでも、その声は揺らがなかった。
周囲の松明が、まるで呼応するように一斉に色を失っていく。
「終焉」
三度目の詠唱。
杖先に凝縮していた光が、もはや直視できないほどの輝きへと膨れ上がる。
風もないはずの広間に、内側から外へ向かう強い気流が生まれていた。
松明の炎が、一斉に大きく傾ぐ。
「ノリア……!」
カインが声をかけようとした。
「まだ、いける」
ノリアが遮るように言い切った。
その声には、これまでに聞いたことのない硬さがあった。
「限界まで、と言った」
杖を握る両手が、小刻みに震えている。
それでも、視線だけはまっすぐ、凍りついたドラゴンへ向けられていた。
額から流れた汗が、顎先から床へと落ちていった。
「これで、最後」
四度目の言葉が、静かに紡がれる。
光の渦が、ノリアの周囲でひとつに収束していった。
守りの聖歌と守護の盾の光が、震えながらもその輝きを保ち続けている。
広間全体が、白熱した光を宿した炉のように見えた。
「行け……!」
ノリアが杖を振り下ろした。
「終焉!」
その声とともに、白く灼けた光が、一直線に放たれた。
光の奔流が、凍りついたドラゴンの巨躯を丸ごと呑み込んでいく。
轟音が広間全体を揺らした。
熱風が六人の頬を焼くように吹き抜ける。
カインが思わず腕で顔を庇った。
ネリスの耳が、勢いに押されて大きく伏せられる。
石の壁に、幾筋もの亀裂が走った。
床全体が、大きく波打つように揺れる。
天井から、砕けた岩片が雨のように降り注ぐ。
ワングが太刀を杖代わりに、片膝をついて堪えた。
視界のすべてが、白い光に塗りつぶされていった。
ドラゴンのいた場所から、悲鳴とも咆哮ともつかない声が、一瞬だけ響いた。
それきり、何も聞こえなくなった。
光が広間の隅々まで満ち、すべての輪郭を焼き尽くしていく。
床の氷が、端から次々と白い蒸気に変わっていった。
灼けた空気が、肌を刺すように痛い。
耳の奥で、甲高い音だけが鳴り続けていた。
足の裏から、床の震動が絶え間なく伝わってくる。
舞い上がった塵が、光の中で無数の火の粉のように輝いて見えた。
熱気が波のように押し寄せては、また引いていく。
誰も、声を上げられなかった。
ただ、光の中心だけを見つめていた。
いかがでしょうか?
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