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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第四部 迷宮エア編 三層

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第149話「注いだ氷、託した一投」

マランの世界、連日投稿してます。

毎日2話投稿中です。


ドラゴンの咆哮が広間全体を震わせた。

石の床がびりびりと鳴る。

天井から、細かな砂が音もなく降ってきた。

黒い鱗が松明の炎を鈍く映している。

広間の空気は重く沈んでいた。

どこか遠くで、水の滴る音がしていた。

六人は、決めた通りに動いた。

スルが最前列へ進み出て、両膝を軽く落とす。

いつでも動ける、低い構えだった。

「頼む」

カインが短く言う。

「わかった」

ララが杖を構え直した。

その瞳に、迷いはなかった。

離れた場所で、ドラゴンが低く唸り、二人の位置を測るように首を巡らせている。

「早く、頼む」

カインが焦りを滲ませながら言った。

「まず、拙者から」

ワングが器を受け取り、太刀を鞘に収める。

両手で器を包み込み、静かに印を組んだ。

「氷棘」

冷気が刃となって、器の中へ吸い込まれていく。

淡い光が一拍おいて灯った。

「一発」

ワングが低く数える。

二発目、三発目と、迷いのない動作で注ぎ込んでいく。

額に、薄く汗が滲んでいた。

器の表面に、うっすらと霜が張り始める。

指先がかじかむほどの冷たさだった。

「拙者の分、これで四つでござる」

ワングが器をララへ渡した。

「次は、私」

ララが静かに杖を掲げる。

見つめる先で、器がぼんやりと発光していた。

「氷結界」

ララの詠唱に合わせ、器の奥から蒼い光が滲み出す。

一発ごとに、光の輪が幾重にも重なっていった。

その傍らで、ミラが両手を組み、静かに祈りを捧げている。

言葉にならない祈りが、戦場の喧騒に紛れて消えていった。

それでも、その祈りが誰かに届いているような気がした。

その間、ドラゴンが動いた。

太い前脚が地を割るように振り下ろされる。

「危ない……!」

誰かが叫ぶ。

スルが低く身を沈め、紙一重で躱した。

爪の跡が床に深く刻まれる。

土煙が視界を一瞬だけ白く曇らせた。

「かすっただけだ。続けろ」

スルが煙の中から短く叫ぶ。

「よそ見してる場合じゃないでござるぞ!」

ワングが器から目を離さぬまま叫ぶ。

「わかってる」

カインが印を組み、氷棘を放った。

放たれた氷の刃がドラゴンの首元を掠める。

ドラゴンが体をよじり、氷を弾き飛ばした。

「浅いか……!」

カインが舌打ちする。

「動きは、単調でござる」

ワングが手元の器から目を離さずに言う。

「右、右、左の順で、狙いを変えてくる」

「わかった。読んでおく」

カインが小さく頷いた。

ドラゴンの視線がまっすぐカインを捉えた。

牙の並んだ顎が大きく開く。

「そっちを見るな……!」

カインが横っ飛びに転がった。

牙が空を噛み、火花のような音を立てる。

服の裾がわずかに裂けていた。

再び印を組み直し、二発目を叩き込んだ。

今度は肩口に突き刺さり、鈍い音を立てて砕ける。

黒い鱗に、白い霜が這うように広がった。

ドラゴンが苦しげに身をよじる。

「入った、が」

ダメージは、確かにある。

傷口から、蒸気のようなものが立ち上っていた。

だが、致命傷には程遠かった。

このままでは、押し切れない。

誰の目にも、それは今や明らかだった。

だからこそ、託した一投がすべてだった。

三発目を放つ間も、カインの足は止まらない。

ドラゴンの尾が地を薙ぐように迫った。

「跳べ……!」

スルが叫び、カインの襟を掴んで引き寄せる。

尾が二人の頭上を、唸りを上げて通り過ぎた。

風圧だけで、頬が切れそうになる。

砕けた岩の破片が雨のように降り注ぐ。

「助かった」

カインが息を切らしながら言う。

「礼は、後だ」

スルが短く答え、既に次の位置取りへ動いていた。

「まだだ」

体勢を立て直したカインが三発目の印を結ぶ。

氷棘がドラゴンの喉元を捉えた。

「三発、撃ち切ったでござるな」

ワングが器から目を離さず言った。

「これで、少しは時間を稼げる」

カインが荒い息を整える。

腕が震えていた。

三発すべてを撃ち切った反動が、遅れて全身に押し寄せてくる。

膝に、力が入らなかった。

ドラゴンが咆哮とともに、両翼を大きく広げた。

風圧が広間の空気を押し出す。

松明の炎が一斉に大きく揺れた。

「来るぞ、防御!」

ミラが叫び、杖を掲げた。

「守りの聖歌!」

温かな光が六人を包み込んでいく。

肌に、じんわりとした熱が広がった。

「俺からも、一つ」

カインが荒い呼吸のまま印を組み、鉄壁陣を唱える。

淡い障壁が、皆の輪郭に沿って浮かび上がった。

「ノリア、側面は」

「任せて」

ノリアが業火弾を構え、横から迫っていた瓦礫の欠片を撃ち落とす。

砕けた欠片が火花となって散った。

崩れかけていた足場が、それ以上崩れることはなかった。

壁際の松明が大きく揺れ、影を伸ばした。

「危なかった、ね」

ミラが額の汗を拭いながら呟く。

障壁の縁がまだかすかに震えていた。

「まだ、続く」

ノリアが次の呪文へ意識を切り替えた。

障壁越しに、ドラゴンの唸り声が低く響き続けている。

刻一刻と、時間だけが過ぎていった。

「器の方は、あとどれくらい」

ミラが叫ぶように聞く。

「もう少しでござる」

ワングの声にも、余裕は感じられなかった。

「あと少しでござる」

ワングとララの元で、光が最後の輝きを増していく。

その輝きに、ドラゴンの目が反応した。

低い唸りとともに、狙いが二人へ向く。

「まずい……!」

カインが叫んだ。

土煙を巻き上げながら、巨躯が一気に距離を詰めてきた。

ドラゴンが地を蹴って突進する。

「させるか!」

スルが真横から割り込み、肩から体当たりを浴びせた。

衝撃に、鱗が鈍い音を立てた。

巨躯がわずかにたたらを踏む。

「今のうちに……!」

カインが声を張り上げた。

「わかってる」

ワングが片手で太刀を抜き、突き出された前脚を弾き返した。

火花が散り、金属の音が響く。

巨躯が大きくのけ反る。

ドラゴンが後退し、再び距離を取った。

「助かったでござる」

「礼はいい。急げ」

スルが低く言い、再び前へ出る。

その肩口に、鉤爪の掠った跡が赤く滲んでいた。

「スル、肩……!」

ミラが叫び、駆け寄りながら浄光を放つ。

裂けた皮膚が、淡い光に包まれて塞がっていく。

「軽い。動ける」

スルが短く言い、痛みを振り払うように腕を回した。

「四発、揃った」

ワングが太刀を再び構え直す。

その額から、汗が一筋流れ落ちた。

「こちらも」

ララが静かに頷いた。

その涼しげな表情には、疲労の色がまるで見えなかった。

器の中で、冷気と蒼い輝きが渦を巻いている。

内側から、かすかな振動が伝わってきた。

表面を覆う霜の下で、光が脈打つように明滅している。

まるで、放たれる瞬間を待っているようだった。

「終わったぞ!」

ワングが叫んだ。

「スル、受け取れ!」

器が宙を舞う。

スルが片手で確実に受け止めた。

その手のひらに、器の冷たさがひたひたと染み込んでいく。

握った瞬間、器の中で光がひときわ強く瞬いた。

「ネリス、位置は!」

「もう、跳んでる」

その声は、既に頭上から聞こえた。

ネリスは、既に助走をつけていた。

爪先が床を強く蹴りつける。

ネリスが地を蹴り、ドラゴンの顔の高さまで一息に跳び上がっていた。

風が耳元で唸る。

眼下に、ドラゴンの巨躯が見えた。

落ちれば、ただでは済まない高さだと、すぐにわかった。

それでも、ネリスの目に迷いはなかった。

「行くぞ!」

スルが振り向きざま、器を大きく放り投げる。

蒼白く光る軌跡が宙に弧を描いた。

その軌道は、まっすぐネリスの手元へ伸びていった。

ドラゴンが、大きく顎を開いた。

喉の奥で、赤い光が渦を巻き始めている。

熱気が下から吹き上がってきた。

肌がじりじりと焼けるように熱い。

ブレスの、予兆だった。

ドラゴンの赤い瞳が、宙に浮くネリスの姿を捉える。

「気づかれた……!」

カインが叫んだ。

だが、もう誰にも止められなかった。

「今しかない……!」

全身の力を、腕の一点に集めていく。

ネリスが宙で器を掴み取った。

指先に、器の重みと冷たさがはっきりと伝わった。

眼下で、五人分の視線が一斉にこちらを見上げているのがわかった。

「外すな……!」

誰かの声が遠くで聞こえた気がした。

体を大きく捻り、開いたままの顎めがけて腕を振り抜く。

時間が、ほんの一瞬だけ引き延ばされたように感じられた。

風を切る鋭い音だけが、やけに鮮明に耳へ届いていた。

器が、まっすぐにドラゴンの口の中へ吸い込まれていく。

いかがでしょうか?


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