第143話「軽くなった身、重くなった一撃」
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朝、ヘクサインの一室で、ネリスは短剣を握りしめていた。
「今、やる」
「今すぐか」
カインが少し驚いたように聞く。
「昨日の今日だぞ」
「待ってても、変わらない」
ネリスが短剣を両手で包む。
「見ててくれれば、それでいい」
刃が鈍く光を返した。
冷たい感触が掌から腕へと伝っていく。
体の奥で、何かが静かに切り替わる感覚があった。
「……終わったみたい」
ネリスが自分の手をじっと見つめる。
見た目は何も変わっていなかった。
「わかるのか、自分で」
ワングがそっと聞く。
「わからない」
ネリスが首を振る。
「でも、何かが変わったのは確か」
「スルにも、後で話しておく」
カインが静かに言う。
「今日は工房の日でござったな」
ワングが頷く。
「戻ったら、ちゃんと伝えるから」
ミラが微笑む。
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その足で、六人はアプレイザルへ向かった。
「鑑定、お願いします」
ネリスが鑑定具にそっと触れる。
「確認します」
鑑定士が記録用紙に目を落とした。
「24から、19に、落ちてます」
「本当に……」
ネリスが絶句する。
「ミラさんの時と同じですね」
鑑定士が続ける。
「力を開放する形の転職は、決まってレベルが下がる」
「私も転職した時、同じでした」
ミラが静かに言う。
「あの時は、怖かったな。積み上げた分が消える感じがして」
「今も怖くない、と言ったら嘘になる」
ネリスが正直に言う。
「でも、後悔はしてない」
「代わりに、新しいスキルが三つ」
鑑定士が指を折る。
「クリティカルヒット、罠看破、俊敏」
「俊敏は前から速かったでござるが」
ワングが首を傾げる。
「今までとは、桁が違うはずです」
鑑定士が静かに言う。
「防具の方も確認しましょう」
ネリスがいつもの胸当てに腕を通そうとする。
「入らない……?」
「今つけられるのは、篭手と、肘当て、膝当てだけです」
鑑定士が防具を並べながら言う。
「他はサイズが合わなくなっています」
「太った、とか、痩せた、とかじゃないですよね」
ミラが心配そうに聞く。
「体格は変わっていません」
鑑定士が首を振る。
「忍者という職業自体が、重い防具を受け付けないようです」
「防具なしで、大丈夫なのか」
カインが眉を寄せる。
「そこなんですが」
鑑定士が紙に数字を書きながら続けた。
「アーマークラス、ACという指標があります」
「なんですか、それ」
カインが首を傾げる。
「古い迷宮の記録に伝わる、防御力の数え方です」
鑑定士が続ける。
「数字が低いほど、守りが硬いという、少し変わった数え方をします」
「低いほど、硬い……」
ワングが繰り返す。
「ネリスさんの今のACは、並の重装備をつけた冒険者と、同じくらいです」
「防具、ほとんどないのに?」
カインが目を見開く。
「記録の調査はできています」
鑑定士が続ける。
「忍者は、レベルが上がるほど、防具なしでも、ACが下がっていく、と言われています」
「理由は」
「わかっていません」
鑑定士が静かに答えた。
「素の体が鎧になっていく、とでも言うような」
「妙な話でござるな」
ワングが腕を組む。
「防具を足すほど強くなる、というならわかるでござるが」
「脱ぐほど強くなる、というのは」
「私も初めて見る事例です」
鑑定士が頷く。
「数字の上では、辻褄が合っています。でも、なぜそうなるのかは、また別の話です」
「打つ方としては」
ダダがぽつりと言う。
「防具、作りようがなくなるな、それだと」
「そこも含めて面白い、と思っていただければ」
鑑定士が少し笑った。
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念のため、エア二層で確かめることになった。
カイン、ネリス、ノリア、ミラ、ワング、そしてダダ。
「無理はするなよ」
ダダが盾を構えながら言う。
「隣で見ててやる」
「うん」
ネリスが短く頷く。
通路の入り口で、小型の魔物が数体姿を見せた。
「まずはこれで」
ネリスが前へ出る。
一体の背後に、一瞬で回り込む。
爪の一撃が急所を正確に捉えた。
魔物が通常よりも大きく吹き飛び、崩れ落ちる。
「今の、力の入り方、違ったでござるな」
ワングが目を細める。
「クリティカルヒット、ってやつかもね」
ミラがそっと言う。
「入る時と入らない時の差が、はっきりしてる」
残る魔物も続けざまに片付いていった。
分岐の先、大きな影が一つ姿を見せた。
グレートベアだった。
「私、一人でやってみる」
ネリスが爪をそっと外す。
「素手でやるのか」
カインが目を見開く。
「試すなら、今」
ネリスが静かに答えた。
「危なくなったら、任せてくれれば」
ダダが盾を握り直す。
「うん」
ネリスが頷く。
グレートベアが咆哮とともに前脚を振り上げた。
爪の一撃が地面を大きく抉る。
ネリスはすでにそこにいなかった。
「消えた……?」
ミラが息を呑む。
グレートベアが苛立ったように、鼻を鳴らす。
獲物を見失ったらしかった。
「ネリス、どこだ」
カインが周囲を見渡す。
次の瞬間、ネリスはグレートベアの真横に立っていた。
手刀が一閃する。
太い首がそのまま地面へ落ちた。
胴体が遅れて崩れ落ちる。
静寂が通路に戻った。
「今の、見えたでござるか」
ワングが掠れた声で聞く。
「見えなかった」
カインが首を振る。
「動いたことすらわからなかった」
ネリスが手刀を放った手をじっと見つめる。
「爪より、速い気がする」
「素手であの首を……」
ミラが言葉を失う。
「今のもさっきと同じ、力の入り方だったでござる」
ワングが静かに言う。
「クリティカルヒット、また乗ったんじゃないでござるか」
「かもしれない」
ネリスが頷く。
「毎回、というわけじゃなさそうだけど」
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奥の小部屋に、宝箱が一つ置かれていた。
「罠、見てくる」
ネリスが屈み込む。
見た瞬間、糸の位置がすべて頭に入った。
指先が迷いなく二本の糸を切る。
「解除、完了」
一秒とかからなかった。
「早すぎるでござろう」
ワングが覗き込んだまま、動けずにいた。
「これまでの比じゃない」
「前は、目を凝らして、やっと見えるくらいだったのに」
ネリスが自分の指先を見つめる。
「今は、見た瞬間、答えがわかる感じ」
「罠看破、伊達じゃないな」
カインが苦笑する。
宝箱の中身はいつも通りの魔石だった。
「レベルは落ちたはずなのに」
ノリアが腕を組む。
「動き自体は、前より速くなってる」
「みたいだね」
ネリスが自分の手を開いたり閉じたりしながら答えた。
「不思議な感覚」
「忍者、恐るべしでござる」
ワングが太刀を鞘に収めながら、おののく。
「拙者の剣も、鱗一つ傷つけられなかったでござるのに」
「あのドラゴンに、通じるかは」
カインが静かに言う。
「まだわからない」
「わからない」
ネリスが頷く。
「でも、少なくとも、今より遠くへは行けそうな気がする」
「レベルが下がったのに、強くなった、というのも、妙な話だね」
ノリアが腕を組む。
「数字だけじゃ、測れないものがあるってことかもね」
「私もしばらく慣れる時間がいる」
ネリスが拾い集めた爪を道具袋にしまいながら言う。
「素手の感覚、まだ体が驚いてる」
「明日以降も、様子を見ながら、進めよう」
カインが皆を見渡す。
夕陽が通路の壁を赤く染めていた。
六人は静かにクロスロードへの道を引き返し始めた。
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夕方、ヘクサインに戻ると、工房帰りのスルが待っていた。
「聞いたぞ」
スルがネリスの手を見つめながら言う。
「レベルが下がったって」
「うん」
ネリスが頷く。
「代わりに、こうなった」
爪のない、素手をそっと見せる。
「見せてくれ」
スルが静かに言う。
「今度、俺とも、一本」
「望むところ」
ネリスが少しだけ笑った。
窓の外はすっかり暮れていた。
新しい手が次の敵にどこまで届くのか。
答えはまだ誰にもわからなかった。
いかがでしょうか?
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