第135話「託した一杯、還る影」
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朝のフラグメンツは、まだ椅子が上がったままだった。
「昨日の話、聞かせてくれ」
ガラントが、いつもの席に、六人を座らせる。
その声は、しっかりしていた。
だが、テーブルの下で組んだ手は、固く握られていた。
カインが、順を追って話す。
飾り布の魔物、円を描く太刀筋、ワングの呼びかけ。
そして、剣が止まったこと。
「止まった、のか」
ガラントが、低く聞き返す。
「一瞬だけ、でござる」
ワングが、静かに答える。
「されど、確かに、止まったでござる」
ガラントは、しばらく、何も言わなかった。
やがて、カウンターの奥から、小さな瓶を持ってきた。
「ダインが、好きだった酒だ」
ガラントが、瓶を、そっと押し出す。
「金翼、っていう蒸留酒でな」
「金翼」
カインが、繰り返す。
「あいつと飲む時は、いつもこれだった。強い酒で、二杯目からは、俺の方が先に潰れてた」
ガラントが、目を細める。
「今も、仕込んでる。渡す相手が、いなかったから」
「渡してきます」
カインが、瓶を、そっと受け取った。
「無理は、するなよ」
ガラントの声が、震えていた。
「言葉じゃなくても、いい。届けば、それで」
「届けます」
ワングが、深く頭を下げた。
「必ず」
「ダインさんって、どんな人だったんですか」
ミラが、静かに聞く。
「さっき、話したろう」
ガラントが、少し笑う。
「陽気で、よく笑う奴だった」
「それだけ、じゃないでしょう」
ダダが、静かに続ける。
「聞いてる、俺たちは」
ガラントが、少し驚いたように、ダダを見た。
「……鋭いな、相変わらず」
「昔から、そうだ」
ガラントが、椅子に座り直す。
「あいつは、俺より先に、危ない場所へ踏み込む奴だった。俺が止める前に、もう飛び込んでる」
「今のワングさんと、似てますね」
カインが、ふと、口にする。
ワングが、ぎくりと肩を揺らした。
「拙者は、そんなに、無茶はしていないでござる」
「「「「「してた」」」」」
皆の声が、揃った。
その一言で、少しだけ、場の空気がほどけた。
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その足で、六人はエアへ向かった。
クロスロードを抜ける際、リゼットが、いつも通り声をかけてきた。
「今日も、エアですか」
「はい」
カインが、短く答える。
「気を付けて」
リゼットは、それ以上、何も聞かなかった。
何かを察したのか、いつもより、少しだけ、声が柔らかかった。
エアの入口で、カインが、いつも通り印を組む。
光の中から、カイザーが姿を現した。
「一度出したら、消すまで、そばにいる」
カインが、歩きながら、皆に言う。
「今日は、ずっと出しておく。何かあった時、一人でも多く、前に出せた方がいい」
「なるほど」
ダダが、頷く。
「戦うためじゃ、なくてもか」
「戦うためじゃ、ないからこそ、だよ」
カインが、静かに答える。
「何が起きても、おかしくない相手だから」
板の示す、次のポイント。
いつもの通路に近づくにつれ、誰の口数も、少しずつ減っていった。
「今日は、どんな顔で会えばいいのか、わからないでござる」
ワングが、ぽつりと呟く。
「顔なんて、決めなくていいよ」
ネリスが、隣を歩きながら言う。
「昨日の続きを、話しに行くだけ」
「そう、でござるな」
ワングが、小さく笑った。
その笑いは、いつもより硬かった。
「大丈夫か」
ダダが、短く聞く。
「大丈夫でござる」
「まあ、大丈夫って顔じゃないけどな」
ダダが、盾を持ち直しながら言う。
「それでも、行くしかないでござる」
やがて、見覚えのある通路に出た。
だが、様子が、昨日までと違っていた。
「いない……?」
ネリスが、耳を澄ませる。
「五体、どこにも」
「初めてでござるな、こんなこと」
ワングが、辺りを見回す。
「奥に、何かある」
ダダが、通路の先を指す。
進んだ先、開けた小部屋に、一人の人影が立っていた。
飾り布を纏った、あの一体だった。
だが、剣は、鞘に収まったままだった。
「戦う、つもりはない、みたいだな」
カインが、静かに言う。
「待って、ください」
ミラが、皆を、手で制した。
「ワング、行って」
ワングが、頷く。
一歩、また一歩、進んでいく。
その背中を、五人は、黙って見送った。
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「ダイン殿」
ワングが、静かに呼びかける。
人影は、動かなかった。
ただ、こちらを、見ていた。
「ガラント殿から、預かってきたでござる」
ワングが、瓶を、そっと地面に置く。
「金翼、と、仰っていた」
人影の肩が、かすかに動いた。
「あなたが、誰であっても」
ワングが、続ける。
「拙者たちは、あなたを、あなたとして呼びに来たでござる」
しばらく、沈黙が続いた。
その間、カインの頭に、いつもの考えがよぎった。
(取り込めるかも、しれない)
召喚の印を、組みかけて、すぐに止める。
これは、迎える相手じゃない。
送り出す相手だ。
カインは、静かに、その考えを手放した。
隣で、カイザーが、静かに佇んでいた。
無言のまま、向かいの人影を、見つめている。
同じ姿をした二体が、鏡合わせのように、向き合っていた。
「お前も、何か、感じてるのか」
カインが、小さく、カイザーに聞く。
答えは、返ってこなかった。
いつも通り、何も語らない。
それでも、心なしか、その佇まいが、いつもより静かに見えた。
(もし、こいつも、誰かだったら)
カインは、その先を、考えないことにした。
今、考えることじゃない。
やがて、人影が、片膝をついた。
剣を、鞘ごと、地面に横たえる。
その姿は、降伏でも、敗北でもなかった。
もっと、穏やかな何かだった。
足元が、淡く光る。
小さな、色のないコインが、そこに現れた。
「コインが……」
ミラが、驚いたように、駆け寄る。
「今までと、違う」
ワングが、そっと、コインを拾い上げる。
触れた瞬間、頭の中に、映像が流れ込んだ。
言葉を伴わない、短い光景。
若い二人の男が、木剣を打ち合っている。
一人は、間違いなく、若き日のガラントだった。
もう一人が、笑いながら、剣を弾き飛ばす。
映像は、そこで、途切れた。
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「見た、でござるか」
ワングが、皆を振り返る。
「見た」
カインが、頷いた。
人影は、もう、揺らいでいた。
輪郭が、光の粒に、ほどけていく。
最後に、深く、頭を下げた。
かつて、カイザーが見せた、あの一礼と、よく似ていた。
光は、静かに、宙へ溶けていく。
瓶だけが、その場に、そっと残された。
中の酒は、いつの間にか、半分になっていた。
「飲んだのか、これ」
ダダが、瓶を、そっと持ち上げる。
「ダインさんが」
ミラが、目を潤ませる。
「そうかもな」
カインが、静かに、瓶に蓋をした。
その場に、しばらく、誰も言葉を発さなかった。
「拙者の中の、あの既視感」
ワングが、ぽつりと言う。
「まだ、正体は、わからないでござる」
「それは、また今度でいいよ」
ネリスが、静かに言う。
「今日は、これで、十分」
「鎧の魔物、あと四体、残ってるんだよな」
ノリアが、腕を組む。
「そっちは、まだ、何も終わってない」
「わかってる」
カインが、頷く。
「でも、今日は、一つ、区切りがついた。それでいい」
板の上、丸い印だけが、いつもと変わらず、静かに動いていた。
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夕方、六人はフラグメンツへ戻った。
ガラントが、瓶を見て、目を見開く。
「半分……」
「向こうで、飲んだみたいです」
カインが、静かに言う。
コインを、そっと、カウンターに置いた。
「触れてみますか」
ガラントの手が、コインへ伸びる。
触れた瞬間、その目が、大きく見開かれた。
肩が、震え出す。
しばらくして、ガラントは、静かに、笑った。
涙を、拭おうともしなかった。
「あの、馬鹿笑いだ」
「変わってない、って」
ミラが、そっと聞く。
「ああ。あの日のままだ」
ガラントが、瓶を、両手で包む。
「今度は、ちゃんと、渡せたな」
「はい」
六人が、揃って頷いた。
「ダイン」
ガラントが、瓶に向かって、小さく呟く。
「また、飲みに来いよ。いつでも」
その声に、答えは、なかった。
だが、カウンターの向こうで、ガラントは、確かに、笑っていた。
「これで、良かったんでしょうか」
ミラが、静かに聞く。
「良かった、んだと思う」
カインが、答える。
「還ってくる場所が、あったんだから」
ノストスの教義が、少しだけ、近くに感じられた夜だった。
六人は、その夜、久しぶりに、静かな酒を飲んだ。
誰も、多くを語らなかった。
それでも、店の空気は、いつもより、少しだけ、あたたかかった。
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翌朝、六人はクロスロードを経由して、ギルド長室を訪ねた。
ルーシェナが、静かに、六人の話を聞く。
コインの話、そして、ダインが還っていったこと。
「そう」
ルーシェナが、目を伏せる。
「あいつも、逝ってたのね」
その声に、いつもの明るさは、なかった。
「知らせてくれて、ありがとう」
ルーシェナが、顔を上げる。
その目は、少し赤かった。
「対の迷宮のこと、まだ、続けるの?」
ルーシェナが、静かに聞く。
「はい、でも」
カインが、少し言葉を選ぶ。
「今日、はっきりしたことが、一つあります」
「はっきりした、こと?」
「鎧の魔物と、対の迷宮は、たぶん、別のものです」
カインが続ける。
「対の迷宮は、俺たちにそっくりな六人組。鎧の魔物は、姿も紋章も、みんな違う」
「鎧の魔物、というと」
ルーシェナが、聞き返す。
「白の点で会った、六体のうちの」
カインが、指を折る。
「一体は、俺が取り込んで、カイザーになりました。もう一体が、今日のダインさんです」
「残る四体の正体は、まだ、何も」
ミラが、静かに続ける。
ルーシェナが、しばらく、黙り込んだ。
「だとしたら……根が、深いわね」
「かもしれません」
カインが、頷く。
「でも、一人ずつ、確かめていくしかないので」
「無理は、しないで」
ルーシェナが、静かに言う。
「一人ずつでいい。今日みたいに」
「はい」
六人は、揃って、頭を下げた。
アーカイブへの報告は、ティリーに任せることになった。
「色のないコイン」という、新しい記録が、また一つ、増えることになる。
鎧の魔物、残り四体の正体は、まだ、誰にもわからない。
いかがでしょうか?
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