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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第四部 迷宮エア編 三層

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第135話「託した一杯、還る影」

マランの世界、連日投稿してます。

毎日2話投稿中です。


朝のフラグメンツは、まだ椅子が上がったままだった。


「昨日の話、聞かせてくれ」


ガラントが、いつもの席に、六人を座らせる。


その声は、しっかりしていた。


だが、テーブルの下で組んだ手は、固く握られていた。


カインが、順を追って話す。


飾り布の魔物、円を描く太刀筋、ワングの呼びかけ。


そして、剣が止まったこと。


「止まった、のか」


ガラントが、低く聞き返す。


「一瞬だけ、でござる」


ワングが、静かに答える。


「されど、確かに、止まったでござる」


ガラントは、しばらく、何も言わなかった。


やがて、カウンターの奥から、小さな瓶を持ってきた。


「ダインが、好きだった酒だ」


ガラントが、瓶を、そっと押し出す。


「金翼、っていう蒸留酒でな」


「金翼」


カインが、繰り返す。


「あいつと飲む時は、いつもこれだった。強い酒で、二杯目からは、俺の方が先に潰れてた」


ガラントが、目を細める。


「今も、仕込んでる。渡す相手が、いなかったから」


「渡してきます」


カインが、瓶を、そっと受け取った。


「無理は、するなよ」


ガラントの声が、震えていた。


「言葉じゃなくても、いい。届けば、それで」


「届けます」


ワングが、深く頭を下げた。


「必ず」


「ダインさんって、どんな人だったんですか」


ミラが、静かに聞く。


「さっき、話したろう」


ガラントが、少し笑う。


「陽気で、よく笑う奴だった」


「それだけ、じゃないでしょう」


ダダが、静かに続ける。


「聞いてる、俺たちは」


ガラントが、少し驚いたように、ダダを見た。


「……鋭いな、相変わらず」


「昔から、そうだ」


ガラントが、椅子に座り直す。


「あいつは、俺より先に、危ない場所へ踏み込む奴だった。俺が止める前に、もう飛び込んでる」


「今のワングさんと、似てますね」


カインが、ふと、口にする。


ワングが、ぎくりと肩を揺らした。


「拙者は、そんなに、無茶はしていないでござる」


「「「「「してた」」」」」


皆の声が、揃った。


その一言で、少しだけ、場の空気がほどけた。


---


その足で、六人はエアへ向かった。


クロスロードを抜ける際、リゼットが、いつも通り声をかけてきた。


「今日も、エアですか」


「はい」


カインが、短く答える。


「気を付けて」


リゼットは、それ以上、何も聞かなかった。


何かを察したのか、いつもより、少しだけ、声が柔らかかった。


エアの入口で、カインが、いつも通り印を組む。


光の中から、カイザーが姿を現した。


「一度出したら、消すまで、そばにいる」


カインが、歩きながら、皆に言う。


「今日は、ずっと出しておく。何かあった時、一人でも多く、前に出せた方がいい」


「なるほど」


ダダが、頷く。


「戦うためじゃ、なくてもか」


「戦うためじゃ、ないからこそ、だよ」


カインが、静かに答える。


「何が起きても、おかしくない相手だから」


板の示す、次のポイント。


いつもの通路に近づくにつれ、誰の口数も、少しずつ減っていった。


「今日は、どんな顔で会えばいいのか、わからないでござる」


ワングが、ぽつりと呟く。


「顔なんて、決めなくていいよ」


ネリスが、隣を歩きながら言う。


「昨日の続きを、話しに行くだけ」


「そう、でござるな」


ワングが、小さく笑った。


その笑いは、いつもより硬かった。


「大丈夫か」


ダダが、短く聞く。


「大丈夫でござる」


「まあ、大丈夫って顔じゃないけどな」


ダダが、盾を持ち直しながら言う。


「それでも、行くしかないでござる」


やがて、見覚えのある通路に出た。


だが、様子が、昨日までと違っていた。


「いない……?」


ネリスが、耳を澄ませる。


「五体、どこにも」


「初めてでござるな、こんなこと」


ワングが、辺りを見回す。


「奥に、何かある」


ダダが、通路の先を指す。


進んだ先、開けた小部屋に、一人の人影が立っていた。


飾り布を纏った、あの一体だった。


だが、剣は、鞘に収まったままだった。


「戦う、つもりはない、みたいだな」


カインが、静かに言う。


「待って、ください」


ミラが、皆を、手で制した。


「ワング、行って」


ワングが、頷く。


一歩、また一歩、進んでいく。


その背中を、五人は、黙って見送った。


---


「ダイン殿」


ワングが、静かに呼びかける。


人影は、動かなかった。


ただ、こちらを、見ていた。


「ガラント殿から、預かってきたでござる」


ワングが、瓶を、そっと地面に置く。


「金翼、と、仰っていた」


人影の肩が、かすかに動いた。


「あなたが、誰であっても」


ワングが、続ける。


「拙者たちは、あなたを、あなたとして呼びに来たでござる」


しばらく、沈黙が続いた。


その間、カインの頭に、いつもの考えがよぎった。


(取り込めるかも、しれない)


召喚の印を、組みかけて、すぐに止める。


これは、迎える相手じゃない。


送り出す相手だ。


カインは、静かに、その考えを手放した。


隣で、カイザーが、静かに佇んでいた。


無言のまま、向かいの人影を、見つめている。


同じ姿をした二体が、鏡合わせのように、向き合っていた。


「お前も、何か、感じてるのか」


カインが、小さく、カイザーに聞く。


答えは、返ってこなかった。


いつも通り、何も語らない。


それでも、心なしか、その佇まいが、いつもより静かに見えた。


(もし、こいつも、誰かだったら)


カインは、その先を、考えないことにした。


今、考えることじゃない。


やがて、人影が、片膝をついた。


剣を、鞘ごと、地面に横たえる。


その姿は、降伏でも、敗北でもなかった。


もっと、穏やかな何かだった。


足元が、淡く光る。


小さな、色のないコインが、そこに現れた。


「コインが……」


ミラが、驚いたように、駆け寄る。


「今までと、違う」


ワングが、そっと、コインを拾い上げる。


触れた瞬間、頭の中に、映像が流れ込んだ。


言葉を伴わない、短い光景。


若い二人の男が、木剣を打ち合っている。


一人は、間違いなく、若き日のガラントだった。


もう一人が、笑いながら、剣を弾き飛ばす。


映像は、そこで、途切れた。


---


「見た、でござるか」


ワングが、皆を振り返る。


「見た」


カインが、頷いた。


人影は、もう、揺らいでいた。


輪郭が、光の粒に、ほどけていく。


最後に、深く、頭を下げた。


かつて、カイザーが見せた、あの一礼と、よく似ていた。


光は、静かに、宙へ溶けていく。


瓶だけが、その場に、そっと残された。


中の酒は、いつの間にか、半分になっていた。


「飲んだのか、これ」


ダダが、瓶を、そっと持ち上げる。


「ダインさんが」


ミラが、目を潤ませる。


「そうかもな」


カインが、静かに、瓶に蓋をした。


その場に、しばらく、誰も言葉を発さなかった。


「拙者の中の、あの既視感」


ワングが、ぽつりと言う。


「まだ、正体は、わからないでござる」


「それは、また今度でいいよ」


ネリスが、静かに言う。


「今日は、これで、十分」


「鎧の魔物、あと四体、残ってるんだよな」


ノリアが、腕を組む。


「そっちは、まだ、何も終わってない」


「わかってる」


カインが、頷く。


「でも、今日は、一つ、区切りがついた。それでいい」


板の上、丸い印だけが、いつもと変わらず、静かに動いていた。


---


夕方、六人はフラグメンツへ戻った。


ガラントが、瓶を見て、目を見開く。


「半分……」


「向こうで、飲んだみたいです」


カインが、静かに言う。


コインを、そっと、カウンターに置いた。


「触れてみますか」


ガラントの手が、コインへ伸びる。


触れた瞬間、その目が、大きく見開かれた。


肩が、震え出す。


しばらくして、ガラントは、静かに、笑った。


涙を、拭おうともしなかった。


「あの、馬鹿笑いだ」


「変わってない、って」


ミラが、そっと聞く。


「ああ。あの日のままだ」


ガラントが、瓶を、両手で包む。


「今度は、ちゃんと、渡せたな」


「はい」


六人が、揃って頷いた。


「ダイン」


ガラントが、瓶に向かって、小さく呟く。


「また、飲みに来いよ。いつでも」


その声に、答えは、なかった。


だが、カウンターの向こうで、ガラントは、確かに、笑っていた。


「これで、良かったんでしょうか」


ミラが、静かに聞く。


「良かった、んだと思う」


カインが、答える。


「還ってくる場所が、あったんだから」


ノストスの教義が、少しだけ、近くに感じられた夜だった。


六人は、その夜、久しぶりに、静かな酒を飲んだ。


誰も、多くを語らなかった。


それでも、店の空気は、いつもより、少しだけ、あたたかかった。


---


翌朝、六人はクロスロードを経由して、ギルド長室を訪ねた。


ルーシェナが、静かに、六人の話を聞く。


コインの話、そして、ダインが還っていったこと。


「そう」


ルーシェナが、目を伏せる。


「あいつも、逝ってたのね」


その声に、いつもの明るさは、なかった。


「知らせてくれて、ありがとう」


ルーシェナが、顔を上げる。


その目は、少し赤かった。


「対の迷宮のこと、まだ、続けるの?」


ルーシェナが、静かに聞く。


「はい、でも」


カインが、少し言葉を選ぶ。


「今日、はっきりしたことが、一つあります」


「はっきりした、こと?」


「鎧の魔物と、対の迷宮は、たぶん、別のものです」


カインが続ける。


「対の迷宮は、俺たちにそっくりな六人組。鎧の魔物は、姿も紋章も、みんな違う」


「鎧の魔物、というと」


ルーシェナが、聞き返す。


「白の点で会った、六体のうちの」


カインが、指を折る。


「一体は、俺が取り込んで、カイザーになりました。もう一体が、今日のダインさんです」


「残る四体の正体は、まだ、何も」


ミラが、静かに続ける。


ルーシェナが、しばらく、黙り込んだ。


「だとしたら……根が、深いわね」


「かもしれません」


カインが、頷く。


「でも、一人ずつ、確かめていくしかないので」


「無理は、しないで」


ルーシェナが、静かに言う。


「一人ずつでいい。今日みたいに」


「はい」


六人は、揃って、頭を下げた。


アーカイブへの報告は、ティリーに任せることになった。


「色のないコイン」という、新しい記録が、また一つ、増えることになる。


鎧の魔物、残り四体の正体は、まだ、誰にもわからない。


いかがでしょうか?


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