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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第四部 迷宮エア編 三層

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第134話「呼んだ名、退いた影」

マランの世界、連日投稿してます。

毎日2話投稿中です。


開店前のフラグメンツは、静かだった。


「朝から、悪いな」


カインが、椅子を借りながら言う。


「客、いない時間の方が、都合いいこともあるだろ」


ガラントが、カウンターの向こうで、片眉を上げた。


「これ、見てほしくて」


カインが、布に包んだ欠片を、そっと差し出す。


ガラントが、布をほどく。


欠片に刻まれた紋章を見た瞬間、ガラントの表情が、凍りついた。


グラスを拭く手も、完全に止まっていた。


---


「……どこで、これを」


ガラントの声が、掠れていた。


「エアの三層で。鎧の魔物、五体を倒した跡地に」


カインが、静かに答える。


ガラントは、しばらく、何も言わなかった。


欠片を、両手で包むように持ち、じっと見つめている。


指先が、かすかに震えていた。


「ダインの、紋章だ」


やがて、絞り出すように、それだけ言った。


「ダイン……」


ワングが、繰り返す。


「かつての、拙者たちの、前衛の相方だ」


ガラントが、続ける。


「俺と、二人で、前を張ってた。剣の腕は、あいつの方が、ずっと上だった」


「ガラントさんより、上」


カインが、驚いたように、聞き返す。


「ああ。負けたことなんて、数えるほどしかない」


ガラントが、小さく笑う。


「悔しくて、毎日稽古を挑んでた頃が、懐かしいな」


「どんな、人だったんですか」


ミラが、そっと聞く。


「陽気な奴だった。誰よりも、よく笑った」


ガラントが、目を細める。


「戦いになると、人が変わったみたいに、静かになる。今のワングと、少し似てるかもな」


「拙者と……」


ワングが、目を伏せた。


---


「十五、六年前、ベーダーが殿を務めて俺たちを逃がした話は、したな」


ガラントが、静かに続ける。


「ダインも、あの時、一緒に逃げた」


「じゃあ、無事だったんですね」


ミラが、身を乗り出す。


「無事、では、なかった」


ガラントの声が、低くなる。


「深い傷を、負っていた。街に戻って、しばらくして……逝った」


その場に、重い沈黙が落ちた。


「治療院にも、通わせた。できることは、全部やった」


ガラントが、遠くを見るように、続ける。


「それでも、駄目だった」


---


「遺体は、ノストスに」


ガラントが、続ける。


「本人が、生前、言っていた。もし死んだら、エアに還してくれと」


「エアに、ですか」


カインが、聞き返す。


「あいつは、エアが、好きだった。誰よりも」


ガラントが、小さく笑う。


その笑みは、今にも崩れそうだった。


「以来、十五、六年。エアの深いところに還された者が、どうなるか……お前らも、もう知ってるだろう」


誰も、答えなかった。


答えられなかった。


「今まで、白の点の話を聞いても、まさかとは思わなかった」


ガラントが、小さく首を振る。


「思いたく、なかったんだと思う。今日まで」


---


「討伐しろとは、言わない」


ガラントが、皆を見渡す。


「かといって、手加減しろとも、言わない」


「じゃあ、何を」


カインが、静かに聞く。


「もし、また会ったら」


ガラントが、目を伏せる。


「名を、呼んでやってくれ」


「名を」


「それだけでいい。それだけで、あいつは、まだそこにいるって、わかるだろうから」


その一言に、ワングが、深く頭を下げた。


「承知した」


「拙者が、必ず、呼ぶでござる」


「頼んだ」


ガラントの声は、震えていたが、はっきりしていた。


---


その足で、六人はエアへ向かった。


「行くのか、今日も」


ダダが、確かめるように聞く。


「行く」


カインが、迷わず答えた。


「立ち止まってても、ダインさんは、還ってこない」


「無理は、するなよ」


ダダが、静かに言う。


「わかってる」


板の示す、次のポイント。


いつもより、六人の足取りは、静かだった。


誰も、無駄口を叩かなかった。


その静けさが、いつもとは違う覚悟の表れだと、六人ともわかっていた。


---


通路の先、今日は、五つの人影が待っていた。


「五体……」


ネリスが、指を折りながら呟く。


「昨日、片づけたばかりなのに」


「同じ数が、また現れた」


ダダが、盾を構え直しながら言う。


「偶然、とは思えないでござるな」


ワングが、静かに刀に手をかける。


「昨日の五体が、生き返った可能性は」


ミラが、そっと聞く。


「エアの魔物は、そういう存在じゃないと思う」


カインが、首を振る。


「でも、じゃあ、これは」


「新しく、湧いた口かもしれない」


ノリアが、素っ気なく言う。


「対の迷宮から、送り込まれてる可能性も、捨てきれない」


「昨日の話と、繋がってるのかな」


ミラが、囁くように言う。


「ダインさんの……」


その名前に、ワングの肩が、わずかに強張った。


「わからない」


カインが、繰り返す。


「でも、もし、あの中に」


言いかけて、カインは、言葉を止めた。


「考えすぎても、仕方ない」


ダダが、静かに割って入る。


「今は、目の前の五体に集中しよう」


「そう、でござるな」


ワングが、刀を構え直す。


その目に、昨日とは違う光が、宿っていた。


先頭に立つ一体だけ、他とは装いが違う。


肩に、紋章入りの飾り布を、纏っていた。


「あれが……」


ワングの声が、震える。


「来る」


ネリスの声と同時に、五体が、一斉に踏み込んだ。


---


「前衛、三人で」


ダダの盾が、まず先頭の一撃を受け止める。


だが、押し込まれた。


「重い、いつも以上に」


ダダの足が、後ろへ、じりっと下がる。


「浄光」


ミラの光が、すぐさま傷を塞いだ。


カイザーが、二体を同時に相手取り、鍔迫り合いを繰り返す。


ネリスが、低く跳び、脚を狙って斬りつける。


「後ろ!」


ダダの声に、ミラが間一髪、身をかわす。


背後から迫った一撃が、髪の先を、かすめて通り過ぎた。


「ありがとう」


ミラが、息を整えながら、光を放つ。


「加護」


ダダの防御が、一段、跳ね上がった。


一体、二体と、雑兵が崩れていく。


だが、飾り布を纏った一体だけは、まだ動いていなかった。


離れた場所で、じっと、戦況を見つめている。


---


「あいつ、様子見か」


ダダが、盾越しに睨む。


「三体、片づけたら、動くかもな」


カインの読み通り、三体目が崩れた瞬間、飾り布の魔物が初めて踏み出した。


「ワング、そいつは」


カインが、鋭く声を上げる。


「拙者が、相手をする」


ワングが、刀を構え、前へ出た。


飾り布の魔物が、円を描くように、切っ先を返す。


まったく同じ、あの太刀筋。


刃と刃が、幾度も交差する。


火花が散り、痺れが腕に走る。


「速い……!」


ワングが、後退しながら呻いた。


一撃が、頬をかすめる。


血が、一筋、流れた。


「ワング!」


ミラの叫びに、しかしワングは、引かなかった。


「大丈夫でござる」


答える声に、余裕はなかった。


さらに踏み込まれ、片膝が、地面につく。


刀を、両手で、かろうじて支える。


「くっ……!」


刃と刃の間から、火花が散った。


押し切られる寸前、ワングは歯を食いしばって、押し返した。


体勢を立て直し、間合いを取り直す。


相手の剣が、また、あの円を描いた。


見えている。


だが、見えているのに、体がついていかない。


何度も、何度も、紙一重でかわし続けるしかなかった。


---


「今日は、まだ本気の呪文、使ってないな」


カインが、皆を見渡す。


「使うか、ノリア」


「まだ、いける」


ノリアが、短く答えた。


「でも、ワングの相手には、届かない。狙いすぎたら、当たる」


「他の雑兵は」


「そっちなら、任せて」


ノリアが、静かに手をかざす。


その間にも、雑兵の一体が、横合いから斬りかかってきた。


「危ない!」


ネリスの爪が、寸前で、その腕を弾く。


「今のうち」


「業火弾」


放たれた炎が、残る雑兵を、まとめて呑み込んだ。


轟音とともに、雑兵たちが、次々と崩れ落ちる。


土煙の向こうで、カイザーの太刀筋だけが、変わらず正確に最後の一体を仕留めていた。


「なら」


カインが、印を組みかけ、止める。


(取り込んでは、いけない)


その考えを、頭から振り払った。


---


鍔迫り合いの中、ワングが、ふとあの言葉を思い出す。


――名を、呼んでやってくれ。


刃を押し返しながら、ワングは腹の底から、声を絞り出した。


「ダイン殿!」


その瞬間、飾り布の魔物の剣が、わずかに止まった。


ほんの、瞬き一つ分。


だが、確かに、止まった。


「今だ!」


カインの声が、間髪入れずに響く。


ワングの刀が、大きく弧を描いた。


一閃。


飾り布の魔物が、大きく体勢を崩す。


倒れはしなかった。


だが、後ずさり、通路の奥へ身を翻した。


「待て……!」


ワングが、追おうとした足が、止まる。


主を失った気配だけが、静かに、通路の奥へ消えていった。


---


戦いの跡に、静けさが戻る。


コインは、今回も、一枚も落ちていなかった。


「逃げた、な」


ダダが、盾を下ろしながら、低く言う。


「逃げた、というより」


ワングが、荒い息のまま、答える。


「拙者たちを、見た、気がするでござる」


「見た、って」


ネリスが、聞き返す。


「あの一瞬、止まった時。剣ではなく、拙者の顔を、見ていた気がした」


その言葉に、誰も、すぐには答えられなかった。


「拙者の顔を見て、それで、退いたんだとしたら」


ワングが、続ける。


「まだ、何かが、あいつの中に残っているんでござる」


「残っているなら」


カインが、静かに言う。


「次は、もっと、話せるかもしれない」


「話せる、といいでござるな」


ワングの声に、初めて、かすかな希望が滲んでいた。


「今日のこと、ガラントさんに、話す?」


ミラが、静かに聞く。


「話す」


カインが、頷いた。


「まだ、何も終わってないけど。呼べば、届くってことだけは、わかったから」


風の音さえ聞こえない通路の奥を、六人は、しばらく見つめ続けていた。


いかがでしょうか?


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