第134話「呼んだ名、退いた影」
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開店前のフラグメンツは、静かだった。
「朝から、悪いな」
カインが、椅子を借りながら言う。
「客、いない時間の方が、都合いいこともあるだろ」
ガラントが、カウンターの向こうで、片眉を上げた。
「これ、見てほしくて」
カインが、布に包んだ欠片を、そっと差し出す。
ガラントが、布をほどく。
欠片に刻まれた紋章を見た瞬間、ガラントの表情が、凍りついた。
グラスを拭く手も、完全に止まっていた。
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「……どこで、これを」
ガラントの声が、掠れていた。
「エアの三層で。鎧の魔物、五体を倒した跡地に」
カインが、静かに答える。
ガラントは、しばらく、何も言わなかった。
欠片を、両手で包むように持ち、じっと見つめている。
指先が、かすかに震えていた。
「ダインの、紋章だ」
やがて、絞り出すように、それだけ言った。
「ダイン……」
ワングが、繰り返す。
「かつての、拙者たちの、前衛の相方だ」
ガラントが、続ける。
「俺と、二人で、前を張ってた。剣の腕は、あいつの方が、ずっと上だった」
「ガラントさんより、上」
カインが、驚いたように、聞き返す。
「ああ。負けたことなんて、数えるほどしかない」
ガラントが、小さく笑う。
「悔しくて、毎日稽古を挑んでた頃が、懐かしいな」
「どんな、人だったんですか」
ミラが、そっと聞く。
「陽気な奴だった。誰よりも、よく笑った」
ガラントが、目を細める。
「戦いになると、人が変わったみたいに、静かになる。今のワングと、少し似てるかもな」
「拙者と……」
ワングが、目を伏せた。
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「十五、六年前、ベーダーが殿を務めて俺たちを逃がした話は、したな」
ガラントが、静かに続ける。
「ダインも、あの時、一緒に逃げた」
「じゃあ、無事だったんですね」
ミラが、身を乗り出す。
「無事、では、なかった」
ガラントの声が、低くなる。
「深い傷を、負っていた。街に戻って、しばらくして……逝った」
その場に、重い沈黙が落ちた。
「治療院にも、通わせた。できることは、全部やった」
ガラントが、遠くを見るように、続ける。
「それでも、駄目だった」
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「遺体は、ノストスに」
ガラントが、続ける。
「本人が、生前、言っていた。もし死んだら、エアに還してくれと」
「エアに、ですか」
カインが、聞き返す。
「あいつは、エアが、好きだった。誰よりも」
ガラントが、小さく笑う。
その笑みは、今にも崩れそうだった。
「以来、十五、六年。エアの深いところに還された者が、どうなるか……お前らも、もう知ってるだろう」
誰も、答えなかった。
答えられなかった。
「今まで、白の点の話を聞いても、まさかとは思わなかった」
ガラントが、小さく首を振る。
「思いたく、なかったんだと思う。今日まで」
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「討伐しろとは、言わない」
ガラントが、皆を見渡す。
「かといって、手加減しろとも、言わない」
「じゃあ、何を」
カインが、静かに聞く。
「もし、また会ったら」
ガラントが、目を伏せる。
「名を、呼んでやってくれ」
「名を」
「それだけでいい。それだけで、あいつは、まだそこにいるって、わかるだろうから」
その一言に、ワングが、深く頭を下げた。
「承知した」
「拙者が、必ず、呼ぶでござる」
「頼んだ」
ガラントの声は、震えていたが、はっきりしていた。
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その足で、六人はエアへ向かった。
「行くのか、今日も」
ダダが、確かめるように聞く。
「行く」
カインが、迷わず答えた。
「立ち止まってても、ダインさんは、還ってこない」
「無理は、するなよ」
ダダが、静かに言う。
「わかってる」
板の示す、次のポイント。
いつもより、六人の足取りは、静かだった。
誰も、無駄口を叩かなかった。
その静けさが、いつもとは違う覚悟の表れだと、六人ともわかっていた。
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通路の先、今日は、五つの人影が待っていた。
「五体……」
ネリスが、指を折りながら呟く。
「昨日、片づけたばかりなのに」
「同じ数が、また現れた」
ダダが、盾を構え直しながら言う。
「偶然、とは思えないでござるな」
ワングが、静かに刀に手をかける。
「昨日の五体が、生き返った可能性は」
ミラが、そっと聞く。
「エアの魔物は、そういう存在じゃないと思う」
カインが、首を振る。
「でも、じゃあ、これは」
「新しく、湧いた口かもしれない」
ノリアが、素っ気なく言う。
「対の迷宮から、送り込まれてる可能性も、捨てきれない」
「昨日の話と、繋がってるのかな」
ミラが、囁くように言う。
「ダインさんの……」
その名前に、ワングの肩が、わずかに強張った。
「わからない」
カインが、繰り返す。
「でも、もし、あの中に」
言いかけて、カインは、言葉を止めた。
「考えすぎても、仕方ない」
ダダが、静かに割って入る。
「今は、目の前の五体に集中しよう」
「そう、でござるな」
ワングが、刀を構え直す。
その目に、昨日とは違う光が、宿っていた。
先頭に立つ一体だけ、他とは装いが違う。
肩に、紋章入りの飾り布を、纏っていた。
「あれが……」
ワングの声が、震える。
「来る」
ネリスの声と同時に、五体が、一斉に踏み込んだ。
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「前衛、三人で」
ダダの盾が、まず先頭の一撃を受け止める。
だが、押し込まれた。
「重い、いつも以上に」
ダダの足が、後ろへ、じりっと下がる。
「浄光」
ミラの光が、すぐさま傷を塞いだ。
カイザーが、二体を同時に相手取り、鍔迫り合いを繰り返す。
ネリスが、低く跳び、脚を狙って斬りつける。
「後ろ!」
ダダの声に、ミラが間一髪、身をかわす。
背後から迫った一撃が、髪の先を、かすめて通り過ぎた。
「ありがとう」
ミラが、息を整えながら、光を放つ。
「加護」
ダダの防御が、一段、跳ね上がった。
一体、二体と、雑兵が崩れていく。
だが、飾り布を纏った一体だけは、まだ動いていなかった。
離れた場所で、じっと、戦況を見つめている。
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「あいつ、様子見か」
ダダが、盾越しに睨む。
「三体、片づけたら、動くかもな」
カインの読み通り、三体目が崩れた瞬間、飾り布の魔物が初めて踏み出した。
「ワング、そいつは」
カインが、鋭く声を上げる。
「拙者が、相手をする」
ワングが、刀を構え、前へ出た。
飾り布の魔物が、円を描くように、切っ先を返す。
まったく同じ、あの太刀筋。
刃と刃が、幾度も交差する。
火花が散り、痺れが腕に走る。
「速い……!」
ワングが、後退しながら呻いた。
一撃が、頬をかすめる。
血が、一筋、流れた。
「ワング!」
ミラの叫びに、しかしワングは、引かなかった。
「大丈夫でござる」
答える声に、余裕はなかった。
さらに踏み込まれ、片膝が、地面につく。
刀を、両手で、かろうじて支える。
「くっ……!」
刃と刃の間から、火花が散った。
押し切られる寸前、ワングは歯を食いしばって、押し返した。
体勢を立て直し、間合いを取り直す。
相手の剣が、また、あの円を描いた。
見えている。
だが、見えているのに、体がついていかない。
何度も、何度も、紙一重でかわし続けるしかなかった。
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「今日は、まだ本気の呪文、使ってないな」
カインが、皆を見渡す。
「使うか、ノリア」
「まだ、いける」
ノリアが、短く答えた。
「でも、ワングの相手には、届かない。狙いすぎたら、当たる」
「他の雑兵は」
「そっちなら、任せて」
ノリアが、静かに手をかざす。
その間にも、雑兵の一体が、横合いから斬りかかってきた。
「危ない!」
ネリスの爪が、寸前で、その腕を弾く。
「今のうち」
「業火弾」
放たれた炎が、残る雑兵を、まとめて呑み込んだ。
轟音とともに、雑兵たちが、次々と崩れ落ちる。
土煙の向こうで、カイザーの太刀筋だけが、変わらず正確に最後の一体を仕留めていた。
「なら」
カインが、印を組みかけ、止める。
(取り込んでは、いけない)
その考えを、頭から振り払った。
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鍔迫り合いの中、ワングが、ふとあの言葉を思い出す。
――名を、呼んでやってくれ。
刃を押し返しながら、ワングは腹の底から、声を絞り出した。
「ダイン殿!」
その瞬間、飾り布の魔物の剣が、わずかに止まった。
ほんの、瞬き一つ分。
だが、確かに、止まった。
「今だ!」
カインの声が、間髪入れずに響く。
ワングの刀が、大きく弧を描いた。
一閃。
飾り布の魔物が、大きく体勢を崩す。
倒れはしなかった。
だが、後ずさり、通路の奥へ身を翻した。
「待て……!」
ワングが、追おうとした足が、止まる。
主を失った気配だけが、静かに、通路の奥へ消えていった。
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戦いの跡に、静けさが戻る。
コインは、今回も、一枚も落ちていなかった。
「逃げた、な」
ダダが、盾を下ろしながら、低く言う。
「逃げた、というより」
ワングが、荒い息のまま、答える。
「拙者たちを、見た、気がするでござる」
「見た、って」
ネリスが、聞き返す。
「あの一瞬、止まった時。剣ではなく、拙者の顔を、見ていた気がした」
その言葉に、誰も、すぐには答えられなかった。
「拙者の顔を見て、それで、退いたんだとしたら」
ワングが、続ける。
「まだ、何かが、あいつの中に残っているんでござる」
「残っているなら」
カインが、静かに言う。
「次は、もっと、話せるかもしれない」
「話せる、といいでござるな」
ワングの声に、初めて、かすかな希望が滲んでいた。
「今日のこと、ガラントさんに、話す?」
ミラが、静かに聞く。
「話す」
カインが、頷いた。
「まだ、何も終わってないけど。呼べば、届くってことだけは、わかったから」
風の音さえ聞こえない通路の奥を、六人は、しばらく見つめ続けていた。
いかがでしょうか?
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