第126話 閑話「置いてきた背中、待ち続けた歳月」ルーシェナ・ガラント
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当面、毎日2話投稿の予定です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
**ルーシェナ**
あいつが、生きていた。
その事実だけで、正直、まだ、胸がざわつく。
ベーダー。
殿を務めて、消えたはずの男。
あたしは、あの日、あいつを置いて逃げた側の一人だ。
ガラントほど、表には出さなかっただけで、後悔は、ずっと抱えている。
十五、六年前の、あの化け物の咆哮を、今でも、時々、夢に見る。
逃げろ、と怒鳴ったあいつの声も、一緒に。
夢の中では、いつも、うまく走れない。
足が、鉛みたいに重くなって、あいつの背中が、どんどん、遠ざかっていく。
目が覚めると、決まって、汗をかいている。
あの時、あたしたちは、まだ、若かった。
強くなったつもりで、実際は、何も見えていなかった。
ベーダーだけが、その差を、正確に測っていた。
だから、殿を、買って出た。
誰よりも、冷静に。
あたしたちを逃がすことだけを、考えて。
その判断の速さと重さを、今なら、少しはわかる。
当時のあたしには、わからなかった。
ただ、走ることしか、できなかった。
振り返ることさえ、怖かった。
振り返れば、戻りたくなる。
戻れば、共倒れになる。
そうわかっていたはずなのに、今でも、あの夜の光景だけは、鮮明に思い出せる。
生き残った、という事実だけを、抱えて、あたしたちは、それぞれの道を歩いてきた。
ある者は、剣を置いた。
ある者は、酒場の主になった。
あたしは、この椅子に、座り続けている。
誰も、あの夜のことを、口に出さないまま。
エカチェリーナと、同じ類の存在になった、か。
驚きはしたが、どこかで、納得もしていた。
迷宮には、そういうものが、いる。
あたし自身、嫌というほど、知っている。
初めて、エカチェリーナに終焉を撃たれた時のことを、今でも覚えている。
生きて帰れると、正直、思わなかった。
それでも、六度、撃ち合った。
意地だけで、立ち続けた。
あの時、隣にいたのが、ベーダーだった。
あいつがいなければ、あたしは、きっと、五度目で、膝をついていた。
そういう男が、今度は、迷宮の側に立っている。
不思議な巡り合わせだと思う。
皮肉なくらいに。
あいつが管理する側に回った、ということは、あの化け物についても、何か知っているのかもしれない。
いずれ、聞かなければならないことが、増えていく。
そんな予感がしている。
六人には、まだ、全部は話していない。
エカチェリーナのことも、あたしが背負ってきたものも、話すべき時が来れば、話す。
ギルド長という椅子を、押し付けられた時のことも、いつか、あの子たちに、話す日が来るのかもしれない。
まだ、早い。
今は、まだ。
だが、あの子たちなら、きっと、たどり着く。
自分の足で、自分の頭で。
そこまで、見守るのが、今の、あたしの役目だ。
カインという少年は、時々、昔のベーダーに、少し似ている。
判断が早く、周りをよく見ている。
だからこそ、危うい時もある。
背負いすぎないように、それとなく、気を配っておこう。
書類に、また、判子を押す。
いつもと同じ、変わらない一日のはずなのに、指先が、少しだけ、震えている。
窓の外を、しばらく、眺めた。
クロスロードの喧騒が、今日も、変わらず、続いている。
その音を聞きながら、あたしは、また、椅子に、深く座り直した。
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**ガラント**
あの日から、少しだけ、眠りが浅い。
悪い意味じゃない。
むしろ、久しぶりに、頭の中が、うるさいくらいに、動いている。
いつか、また、あいつと、飲める日が来るかもしれない。
そう思うだけで、店の掃除にも、力が入る。
棚の酒瓶を、一本ずつ、丁寧に並べ直す。
こんなこと、ここ最近、していなかった。
樽の奥に、少しずつ、エールを仕込み始めた。
あいつが好きだった配合を、記憶を頼りに、少しずつ、思い出しながら。
ホップの量を、少し多めにするのが、あいつの好みだった。
苦い方が、後に残る。
そう言って、笑っていたのを、覚えている。
あの頃の記憶は、随分と、色褪せずに残っているものだと、自分でも、少し驚く。
十五年分の埃を、払っているような気分だった。
美味くなるまで、まだ、時間がかかる。
だが、それでいい。
待つことにも、慣れている。
十五年、待ったんだ。
今更、数ヶ月やそこら、大したことじゃない。
そう、自分に、言い聞かせている。
正直、まだ、実感が湧かない部分もある。
あいつの声を、確かに聞いたのは、俺じゃなく、あの六人だ。
俺の耳に届いたのは、コインを通した、あの一瞬だけだった。
それでも、十分すぎるくらいだった。
あの日、あいつを置いて、逃げた。
いや、逃がされた、という方が、正しいのかもしれない。
それでも、逃げた、という事実は、消えない。
ずっと、そう思って、生きてきた。
酒場を始めたのも、正直、逃げの延長だったのかもしれない。
冒険者を、やめる理由が、欲しかっただけだ。
でも、この店で、六人と出会った。
がむしゃらに、前へ進もうとする、あいつらを見ているうちに、少しずつ、何かが、変わっていった気がする。
情けない話だが、あいつらに、教えられることの方が、多い。
逃げた過去は、消えない。
だが、逃げたままで、終わらせるかどうかは、まだ、自分で決められる。
そのことに、最近、ようやく、気づけた気がする。
あいつが、生きていた。
それだけで、十分だった。
詫びる機会が、まだ、残っている。
それだけで、十分だった。
今度は、逃げずに、待つだけだ。
カウンターを、また、磨き上げる。
木目に沿って、丁寧に、布を滑らせる。
この店を始めてから、数え切れないくらい、繰り返してきた動作だった。
だが、今日は、いつもより、少しだけ、丁寧に磨いている気がした。
窓から差し込む夕日が、磨き上げたカウンターに、細く長い光の筋を作っている。
明日も、あいつらが、来る。
その日常が、今は、何より、ありがたい。
いかがでしょうか?
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