第118話「あの日の後悔、託したい願い」
マランの世界、連日投稿中です。
当面、毎日2話投稿の予定です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
ガラントの手は、止まったままだった。
グラスの曇りが、拭われずに残っている。
ネリスは、その横顔から、目を離せずにいた。
覚えのある翳りだった。
自分が、スルの前でしていたのと、同じ顔だ。
「……ちょっと、待っててくれ」
ガラントが、掠れた声で言う。
カウンターを出て、入り口の札を、静かに裏返した。
「今日は、早じまいだ」
常連たちが、怪訝な顔をしながらも、席を立っていく。
戸が閉まる音のあと、店の中は、急に静かになった。
---
ガラントが、いつもの席の向かいに、腰を下ろす。
グラスの代わりに、瓶を一本、卓に置いた。
「ベーダー、か」
その名を、噛みしめるように呟く。
「懐かしい名前だ。もう、十五、六年は経つな」
「十五年……」
ダダが、思わず声を漏らした。
「昔の仲間だ。俺を含めて、六人だった」
ガラントが、瓶の栓を、開けもせずに指で弄る。
「あの頃の俺たちも、お前らと同じで、エアに潜ってた」
「エアの、どのあたりでござろうか」
ワングが、静かに尋ねる。
「あそこに、層なんて、ちゃんとしたものはない。ただ、随分と深いところだった」
ガラントの目が、遠くを見るように、細くなった。
「灯りの届かない場所でな。冷たさが、骨まで来る」
「その先で、何が」
カインが、先を促した。
「化け物に、当たった」
ガラントが、瓶をきつく握る。
「名前もわからない相手だった。図体だけは、やたらとでかくてな」
「戦って、勝てなかったんですか」
ミラが、静かに聞いた。
「勝てなかった。押し返すだけで、精一杯だった」
「六人がかりでも……」
ノリアが、息を呑む。
「あの頃の俺は、腕には自負があった。だが、通じなかった」
ガラントが、自嘲するように、口の端を上げる。
「殴っても、斬っても、手応えだけが返ってくる。倒れる気配が、ない」
「そんな相手、どうやって……」
ダダが、拳を握る。
「どうにも、できなかった。ただ、時間だけが、削られていった」
「時間が、削られると」
カインが、繰り返す。
「松明の油も、術者の力も、有限だ。粘るほど、こっちが、先に尽きる」
ガラントが、瓶の底を、指でなぞった。
「削られる側にいる怖さは、あんたらも、少しは知ってるだろう」
その言葉に、誰も、すぐには答えなかった。
ミノタウロス戦の記憶が、六人の間を、無言で通り過ぎていく。
---
「隊列を、崩された」
ガラントが、続けた。
「押し込まれて、退路まで、塞がれかけた」
「その時に、ベーダーさんが」
ネリスが、静かに、先を継いだ。
ガラントが、驚いたように、こちらを見る。
「……そうだ。よく、わかるな」
「わかります」
ネリスは、短く言った。
それ以上は、続けなかった。
「あいつが、殿を買って出た」
ガラントが、瓶を、卓に強く置く。
「『先に行け』の一言だけだった。それ以上、聞く暇もなかった」
「行けって言われて……行ったんですね」
ダダが、低く聞く。
「行った。行かされた、が近い」
ガラントの声が、初めて、揺れた。
「あいつの背中を、押されるようにして、走った。今でも、覚えてる」
「押されて……」
「情けない話だ。押されなきゃ、動けなかったんだから」
ガラントが、自分の手のひらを、じっと見つめる。
「振り向いたら、あいつの姿が、もう見えなかった」
「声は、聞こえたんですか。その後」
ミラが、そっと尋ねた。
「聞こえなかった。ただ、暗闇の奥から、何かがぶつかる音だけが、しばらく続いてた」
その音を、思い出しているのか、ガラントの目が、一瞬、遠くなる。
---
「戻らなかったんですか。あなたは」
カインが、思わず、口にした。
言ってから、しまったという顔をする。
だがガラントは、責める様子もなく、頷いた。
「戻ろうとした。何度も」
「でも」
「隊の連中に、止められた。ルーシェナにもな」
「ギルド長が……」
ノリアが、目を見開く。
「あいつも、同じパーティだった。今は、笑って、受付の奥に座ってるがな」
ガラントが、目を伏せる。
「あいつは、その場で、俺を殴った。『戻れば全員死ぬ』ってな」
「殴られて、それで」
ネリスが、静かに聞く。
「動けなかった。悔しいが、あいつの言う通りだった」
ガラントの拳が、卓の上で、固く握られる。
「生きて帰った連中は、皆、口を揃えて言った。あいつのおかげだ、と」
「ベーダーさんの、おかげ」
ミラが、繰り返す。
「殿を務めた奴の名を、誰も、忘れられずにいる。俺も、含めてな」
「それから、俺は、剣を置いた」
「引退の、理由でござったか」
ワングが、静かに問う。
「そうだ。あそこであいつを置いてきた腕で、この先も潜り続ける自信が、なくなった」
---
「今さら、都合のいい話だと、わかってる」
ガラントが、瓶の栓を、ようやく開けた。
「生きてるかもしれないと聞いて、こんな胸がざわつくなんてな」
「ざわついて、いいと思います」
ミラが、穏やかに言う。
「会いたいなら、会いたいと、言っていいはずです」
「一言、詫びたいだけだ」
ガラントが、掠れた声で、絞り出す。
「詫びて、それで、どうなるものでもないが」
「詫びたいなら、詫びに行けばいい」
ダダが、腕を組んだまま、言い切った。
「難しいことは、抜きにして」
「あたしにも、少しだけ、わかる気がします」
ネリスが、口を開く。
「探すのを、諦められない気持ち。見つかった時の、怖さも」
「怖いのか。見つかるのが」
ガラントが、意外そうに聞いた。
「怖いです。でも、それでも、知りたいと思う気持ちの方が、強かった」
「スルの時、そうだった、って言うのか」
「はい」
ネリスが、まっすぐ、ガラントを見返す。
「だから、ガラントさんの気持ちも、他人事だとは、思えません」
その言葉に、ガラントが、ふっと息を吐いた。
長年、誰にも見せなかった顔が、少しだけ、緩んでいた。
「俺たちが、連れて行きます」
カインが、まっすぐに、ガラントを見た。
「ガラントさんの分まで、探しに行くとは、言いません」
「でも、ガラントさんの願いも、一緒に、背負って行きます」
「拙者たちの探索に、あなたの理由が、一つ増えるだけのこと」
ワングが、静かに頷く。
「無茶なことは、するな」
ガラントが、目元を、拭う仕草をした。
「まあ、お前らに、今さら言っても、無駄だろうがな」
「無駄でござる」
ワングが、珍しく、即答した。
小さな笑いが、卓を、そっと包んだ。
---
瓶の酒が、六つの杯に、注がれていく。
いつもより、幾分か、量が多かった。
「今夜だけは、俺の奢りだ」
ガラントが、杯を、軽く掲げる。
「ベーダーに」
その一言に、六人も、それぞれの杯を、静かに上げた。
ネリスは、杯の向こうで揺れる、ガラントの横顔を見ていた。
もう、翳りは、消えていた。
代わりに、何か確かなものが、そこに残っていた。
「見つけたら、まず、殴られるかもしれないですね」
カインが、ふと、そんなことを言う。
「殴られて済むなら、安いもんだ」
ガラントが、笑った。
久しぶりに見る、迷いのない笑い方だった。
「十五年分、注ぎ足す酒がある。伝えといてくれ」
「伝えます」
ワングが、静かに、頷いた。
「一つ、聞いてもいいですか」
カインが、少し、言葉を選ぶ。
「ルーシェナさんは、今日のこと、知ってるんですか」
「知らん。あいつには、あいつなりの、抱え方があるんだろう」
ガラントが、瓶を、棚へ戻す仕草をする。
「聞かれれば、答えるさ。だが、こっちから話す気は、まだない」
「わかりました」
「深く、踏み込まないでくれると、助かる」
「承知した」
ワングが、短く応じた。
その言葉に、他の五人も、それぞれ小さく頷く。
戸の外は、いつの間にか、すっかり夜が更けていた。
六人は、それぞれの杯を空けると、静かに席を立った。
「またな。無事に、帰ってこいよ」
ガラントの声が、いつもの軽さを、少しだけ取り戻していた。
いかがでしょうか?
感想、フォロー 頂けましたら喜びます。
よろしくお願いいたします。




