第115話「叩き伏せた角、呼んだ名」
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低い唸りが、まだ耳の奥にこびりついている。
ミノタウロスの赤い目が、六人を、順に見渡した。
品定めをするような、静かな動きだった。
「来る……!」
ネリスが、低く身構える。
「散開!」
ワングの声に、六人が同時に動いた。
ミノタウロスが、斧を大きく振りかぶる。
一撃が、地面を割った。
土煙が、視界を白く塗りつぶす。
轟音が、崖に反響した。
「デカい図体して、速い……!」
ダダが、盾を構え直しながら唸った。
「引きつけて、隙を作る」
カインが、剣を抜きながら叫ぶ。
「スル、前へ」
「ワカッタ」
短く答え、スルが、真正面から間合いを詰めた。
両腕を広げ、威嚇の声を上げる。
ミノタウロスの視線が、一瞬、そちらへ引き寄せられた。
「今のうちに」
ネリスが、地を這うように、横合いへ回り込む。
爪を構え、脇腹へ向けて跳んだ。
だが、爪の先は、分厚い皮膚に阻まれ、浅く弾かれる。
「硬い……!」
舌打ちしながら、すぐさま距離を取った。
「拙者が、隙を作るでござる」
ワングが、正面から斬り込む。
振り下ろされる斧の軌道を、紙一重で見切り、刀の腹で軽く受け流した。
いなされた斧が、大きく地面を抉る。
「その受け方、いいでござるな……!」
自らの動きに、驚きながらも、ワングはすぐさま体勢を整えた。
だが、追撃の一振りが、想像より速い。
「くっ……!」
刀で受けきれず、体ごと弾き飛ばされる。
「ワング!」
ミラが、駆け寄りながら叫んだ。
肩を貸し、なんとか立たせる。
「大丈夫でござる。ただ、力が、桁違いでござるな」
ワングが、苦笑しながら刀を握り直した。
「無理、しないで」
「承知した」
短く答え、ワングは、すぐに構え直す。
その隙に、ミノタウロスが、次の獲物を定めるように、視線を巡らせた。
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「業炎獄!」
ノリアの杖から、渦を巻く炎が放たれる。
炎は、正確にミノタウロスの体を捉えた。
だが、次の瞬間。
炎が、まるで壁に弾かれたように、逆流した。
「危ない!」
ミラが、ノリアの前へ割り込み、剣で炎の余波を払う。
熱風が、頬をかすめた。
「跳ね返す、のか……!」
ノリアが、青ざめた顔で杖を握り直す。
「魔法、当てちゃ駄目だ!」
カインが、鋭く声を張った。
「じゃあ、どうすれば……!」
「物理で、削る。呪文は、防御だけに絞れ」
ワングが、皆へ向けて叫ぶ。
刀を構え直し、ミノタウロスの側面へ回り込んだ。
「わかった。庇護陣、私の方に集中させる」
ミラが、剣を握り直しながら答えた。
「悔しいけど、それしかなさそう」
ノリアが、杖を後方に構え直す。
攻めから支援へ、瞬時に頭を切り替えていた。
「真贋の瞳」
カインが、短く唱え、ミノタウロスの姿へ目を凝らす。
淡い光の膜が、一瞬だけ、巨体の輪郭をなぞった。
「脚の腱、あそこが薄い……!」
カインが、膝の裏を指差す。
「魔法を弾くのは、上半身だけみたいだ」
「なら、狙いどころは決まりでござるな」
ワングが、刀を握り直しながら頷いた。
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ダダが、盾を前に踏み込む。
斧の一撃を、真正面から受け止めた。
「くっ……重い!」
膝が、深く沈む。
それでも、後ろへは引かない。
「今!」
その隙に、ワングとミラが、左右から斬りかかった。
氷姫の刃が、脇腹を薄く裂く。
ミラのロングソードが、続けて同じ場所を狙う。
ミノタウロスが、怒りの咆哮を上げた。
太い腕が、薙ぎ払うように振られる。
「跳べ!」
ネリスの声に、二人が同時に飛び退いた。
紙一重で、風圧だけが、頬を叩く。
「なんて力だ……」
ワングが、荒くなった息を整える。
スルが、その隙を突いて、脚に組みついた。
巨体が、わずかによろめく。
「今のうちに、脚を!」
カインが叫び、ネリスが地を蹴った。
低く踏み込み、鋼の爪が、膝裏を深く抉る。
短い悲鳴とともに、ミノタウロスが片膝をついた。
「よし、そこだ!」
ダダが、盾を構えたまま、ウォーハンマーを振り抜く。
狙い澄ました一撃が、同じ膝裏へ、重く打ち込まれた。
骨が軋むような、鈍い音が響く。
「効いてる!」
ダダが、盾を握り直しながら声を上げる。
「ネリス、無理するな。掠り傷でも、後で響くぞ」
ダダが、ちらりと視線を寄越しながら言った。
「わかってる」
答えたネリスの二の腕には、浅く裂けた痕が、うっすらと赤く滲んでいた。
「癒しの波」
ミラが、走りながら短く唱える。
淡い光が、ネリスの傷を包み、みるみる塞いでいった。
「助かる」
ネリスが、短く礼を言い、すぐに前へ出直す。
だが、ミノタウロスの動きは、鈍らなかった。
膝をついたまま、太い腕が、地面を叩く。
衝撃が、波のように広がった。
「踏ん張れ!」
ダダが、盾を突き立て、その場に踏みとどまる。
他の五人は、揺れる地面に足を取られながらも、なんとか堪えた。
「立たせるな!」
ワングが、崩れた体勢のまま、刀を振るう。
刃が、腕の付け根を掠めた。
ミノタウロスが、痛みに任せて、大きく腕を振り回す。
「危ない!」
カインが、剣で受け流しながら、後方へ跳ぶ。
体勢を立て直す間もなく、ミノタウロスが、勢いよく立ち上がった。
その体は、傷だらけの六人を見下ろすほどに、大きかった。
肩の傷から、黒っぽい血が、じわりと滲んでいる。
先に頭の中で見た光景——五人の冒険者を屠った、あの姿そのものだった。
「あんな真似、二度とさせるかよ」
ダダが、盾を握り直しながら、低く唸る。
「庇護陣、ダダに!」
カインが、印を結びながら唱える。
淡い光が、ダダの体を包んだ。
「助かる」
ダダが、短く応じ、再び盾を構え直す。
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だが、それも束の間だった。
片膝をついたまま、ミノタウロスの目が、赤く燃えるように光る。
斧が、大きく持ち上がった。
狙いは、脚元にいたネリスだった。
刃の影が、大きく、ゆっくりと伸びていくように見えた。
「危ない!」
カインの声が、届くより早く。
斧が、振り下ろされる。
その瞬間、白い影が、ネリスの前に割り込んだ。
「スル……!」
鈍い音が、響いた。
斧の刃が、スルの体を、深く斬り裂く。
スルの体が、大きく傾ぎ、地に崩れ落ちた。
「スル!」
ネリスが、悲鳴に近い声を上げる。
膝をつき、崩れたスルへ、手を伸ばした。
「私を、庇って……」
声が、震えている。
その姿を見て、残る五人の中で、何かが変わった。
「許さない」
ワングの声が、低く、鋭くなった。
「ノリア、いけるか」
カインが、振り返らずに聞く。
「いける。守護の盾、頼める?」
「任せろ」
ワングが、刀を構えたまま叫んだ。
「守護の盾!」
淡い光の膜が、四人を包み込む。
ワングの新しい呪文が、実戦で初めて形になった瞬間だった。
「終焉!」
ノリアの杖が、大きく掲げられた。
渦を巻く光が、杖の先に凝縮していく。
「これで、決める!」
膨れ上がった光が、ミノタウロスへ向けて、まっすぐ放たれた。
同時に、ダダが盾ごと体当たりし、体勢を崩す。
「はぁあっ!」
ワングとミラの刃が、左右から胴を貫いた。
苦悶の咆哮が、崖にこだまする。
それでも、ミノタウロスは、なお倒れなかった。
「まだだ……!」
「ここまでだ!」
カインの剣が、最後にとどめを刺す。
心臓の位置を、まっすぐに貫いた。
光と衝撃が、あたりを包んだ。
木々が、大きく揺れる。
川面が、大きく波打ち、水しぶきが宙に舞った。
崖の岩肌に、深い亀裂が走る。
しばらくして、光が収まると、ミノタウロスの巨体が、ゆっくりと崩れ落ちていた。
焼け焦げた地面から、静かに煙が立ちのぼる。
戦いが、終わった。
---
だが、誰も、勝利を喜ぶ余裕はなかった。
「スル!」
ネリスが、倒れたスルへ駆け寄る。
血に濡れた白い体を、震える手で抱き起こした。
体の輪郭が、揺らめくように、淡く光り始めていた。
滲むように、人型が崩れていく。
現れたのは、猫の耳と尾を持つ、獣人族の青年だった。
痩せた頬に、深い傷跡が幾つも刻まれている。
その顔立ちに、ネリスと似た面影が、確かにあった。
薄れゆく意識の中、青年の唇が、かすかに動く。
「ネリス……」
それだけを、絞り出すように呟いた。
そのまま、青年の体から、力が抜けていった。
「スル……スル!」
ネリスが、震える声で、名を呼び続ける。
答えは、返らなかった。
「そんな……」
ダダが、盾を取り落とし、その場に立ち尽くした。
「ミラ、頼む!」
カインが、叫びながら振り返る。
「今、行く!」
ミラが、駆け寄りながら剣を投げ捨て、両手を青年の胸へかざした。
「完全治癒!」
淡い光が、傷口を包み込む。
だが、光は、すぐに弱々しく揺らめき、そのまま消えていった。
「駄目、届かない……」
ミラの声が、掠れる。
「なんで……なんでだよ」
ワングが、拳を強く握りしめた。
「拙者たちが、もっと早く気づいていれば……」
言葉を、最後まで続けられなかった。
カインは、何も言えずに、ただ立ち尽くしていた。
助けなければと思うほど、体が動かなかった。
ノリアも、杖を握りしめたまま、俯くことしかできずにいた。
風だけが、静かに、川縁を吹き抜けていった。
誰も、言葉を発せなかった。
ただ、ネリスの声だけが、いつまでも、その場に響いていた。
板の上で、緑の印が、静かに色を失っていくのを、誰も見てはいなかった。
いかがでしょうか?
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