第114話「討った緑、蘇った影」
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お楽しみいただけましたら幸いです。
川縁は、思ったより静かだった。
水音だけが、ずっと同じ調子で続いている。
崖の縁から吹き下ろす風が、湿った匂いを運んでくる。
緑の光は、大きな岩の陰に留まったまま、瞬きを繰り返していた。
昨日までの、逃げ回るような揺れ方とは、明らかに違う。
「動かない、な」
ダダが、声を落とす。
「待ち伏せ、かもしれない」
ネリスが、耳を澄ませながら、じりじりと間合いを詰めた。
岩の向こうから、低い唸り声が聞こえた。
一つではない。
重なり合う唸りが、少なくとも三つ。
「来るぞ」
ワングが、刀の柄に手をかけた。
岩陰から、鱗に覆われた影が、三体、姿を現す。
トカゲに似た顔つきだが、背には小さな翼を思わせる突起があり、尾の先が刃物のように尖っていた。
体高は、ダダの背丈ほどもある。
「竜みたいな……」
ノリアが、息を呑んだ。
三体は、じっとこちらを見据えたまま、動かない。
値踏みされている。
そう感じさせる、静かな視線だった。
「油断するな。動かないのは、待ってるだけだ」
ワングが、皆を制する。
赤い舌が、するりと空を舐めた。
三体とも、明らかに知恵のある目をしている。
エアのモンスターらしい、値踏みの視線だった。
「囲まれると、面倒な形でござるな」
ワングが、三体の並びを目で追う。
「横並びに、なってる」
ネリスが、低く指摘した。
「一体ずつ、削るのは、難しそう」
「なら、まず引き剥がす」
「スル、出すか」
カインが、板をしまいながら聞いた。
「うん。数、合わせたい」
ネリスが、頷く。
カインが印を組むと、足元の影が膨らみ、あの人型の輪郭が浮かび上がった。
「ワカッタ。ヤル」
短くそう答え、スルが、一歩前へ出る。
三体の視線が、一斉にスルへ集まった。
初めて見る気配に、値踏みの色が、わずかに揺れる。
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「私が、前に出る」
ミラが、小さく息を吸った。
「スル、頼めるか」
「マカセロ」
短い返事とともに、スルが地を蹴った。
大きく踏み込み、三体の正面へ、まっすぐ躍り出る。
両腕を大きく広げ、威嚇するように吠えた。
トカゲたちの意識が、一気にスルへ引き寄せられる。
その隙を、ダダが逃さない。
「今だ!」
ダダが、盾を前に、まっすぐ踏み込む。
同時に、ワングとネリスも、左右から間合いを詰めた。
三体の意識が、四方へ引き裂かれる。
一体が、尾を振り上げ、スルへ叩きつけた。
「グ……」
短い呻きとともに、スルの体が、一瞬揺らぐ。
だが、崩れない。
構え直し、再び両腕を広げて、視線を引きつけ続けた。
もう一体が、横合いから飛びかかろうとする。
「そっちは、通さない」
ダダが、身を割り込ませ、盾で真正面から受け止めた。
牙が、盾の縁を、鈍い音を立てて滑る。
「重い、が……」
踏ん張ったダダの足が、地面に深くめり込んだ。
それでも、後ろへは、一歩も引かない。
「持ちこたえてる、今のうちに」
カインが、後衛へ向けて声を上げた。
「わかってる!」
ノリアが、杖を高く掲げる。
「業炎獄!」
三体の足元から、渦を巻くように炎が噴き上がった。
鱗が焼け、耳障りな咆哮が上がる。
一体の動きが、明らかに鈍った。
「そこでござる!」
ワングが、姿勢を低く沈めたまま、間合いを一気に詰める。
炎に怯んだ一体の喉元へ、氷姫の刃が、迷いなく吸い込まれた。
一閃。
鱗の隙間を正確に射抜き、トカゲの巨体が、大きく傾ぐ。
そのまま、地に崩れ落ちた。
「一体、討った!」
ワングが、刀を引き戻しながら叫ぶ。
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残りは二体。
一体は炎の余波で動きが鈍く、もう一体は、なおスルへ牙を剥いていた。
「もう一発、いける」
ノリアが、荒くなった息を整えながら杖を構え直す。
チャージの残りを、指先で確かめるように、杖を握り直した。
「業炎獄!」
再び上がった炎が、鈍った一体を、正面から飲み込んだ。
悲鳴が、森の奥まで響く。
「今、抜ける」
ネリスが、地を這うように低く踏み込んだ。
炎に焼かれ、体勢を崩したトカゲの喉元へ、鋼の爪が振り下ろされる。
一撃、二撃。
浅く弾かれた爪を、すぐさま握り直し、三撃目で、巨体が力を失った。
その場に、崩れるように沈む。
「二体目、これで」
ネリスが、短く息をつく。
残るは、スルと睨み合っていた最後の一体だけだった。
牙を剥き出しにしたまま、じりじりと、スルとの間合いを詰めていく。
「スル、離れろ!」
カインが叫び、スルが素早く横に跳んだ。
トカゲの意識が、一瞬、宙を切る。
その隙に、ミラとカインが、左右から同時に踏み込んだ。
「せーの!」
「はっ!」
二本の剣が、ほぼ同時に、トカゲの胴を貫いた。
長い痙攣のあと、最後の一体が、力なく崩れ落ちる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
風が、水面を撫でる音だけが、静けさの中に残った。
「終わった、か」
ダダが、盾を下ろしながら、大きく息を吐いた。
「終わったでござるな」
ワングが、刀を鞘へ収める。
汗を拭いながら、ネリスが、倒れた骸を見下ろした。
「思ったより、粘る相手だった」
「知恵、あったからな」
ダダが、盾についた爪痕を、指でなぞる。
浅くはあったが、確かに刃が届いた痕だった。
三体の骸が転がる中心に、ぽつりと、緑色の光を放つコインが残されていた。
「やっと、追いついた」
ノリアが、杖を杖立てに戻しながら、板を確かめる。
板の上で、緑の四角い印が、初めて濃い色に変わっていた。
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「拾おう」
カインが、コインへ手を伸ばす。
ひんやりとした感触が、指先に伝わった。
以前、別の場所で拾った緑のコインを、懐から取り出す。
同じ緑でも、微妙に艶が違う二枚のコインだった。
二枚を、そっと重ねてみた。
その瞬間、コインが強く発光し、六人の頭の中に、同時に何かが流れ込んできた。
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暗い通路。
深く沈んだ、エアの奥。
五人の冒険者と、一体のスルが、並んで歩いている。
見覚えのない顔ぶれだった。
装備も、話し方も、今のパーティとは違う。
一人は、大きな盾を背負い、一人は、長い杖を杖代わりに歩いている。
疲れ果てた足取りが、映像越しにも、はっきりと伝わってきた。
先頭を歩く者が、何かを叫んでいる。
声は、聞こえない。
ただ、映像だけが、次々と流れる。
巨大な影が、天井を割って現れた。
牛の頭を持つ、途方もない体躯の怪物。
一振りの斧が、冒険者たちを、なぎ倒していく。
一人、また一人と、倒れていった。
逃げる暇も、与えられなかった。
最後に残ったのは、スルだけだった。
悲鳴とも、慟哭ともつかない声が、頭の奥で反響する。
怪物の影が、大きく振りかぶる。
そこで、映像が、唐突に途切れた。
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気づけば、六人とも、その場に立ち尽くしていた。
「今の……」
ノリアが、震える声を漏らす。
「見た、よな。今の」
ダダが、周りを見回しながら確かめた。
「スル、が……」
ネリスが、召喚されたままのスルへ、視線を向ける。
スルは、何も答えなかった。
ただ、じっと、緑のコインを見つめている。
その横顔に、感情らしいものは、読み取れなかった。
「まさか」
ミラが、口元を押さえる。
「あの怪物に、やられた誰かが……」
言いかけた言葉を、ミラは、最後まで続けなかった。
「証拠は、ない。でも」
カインが、コインを握りしめる。
「無関係とも、思えない」
「兄さんが、見た景色と、同じかもしれない」
ネリスが、両手を胸の前で握りしめた。
その声は、いつもより、ずっと小さかった。
「決めつけるのは、まだ早いでござる」
ワングが、静かに、しかしはっきりと言う。
「わかってる。わかってるけど……」
ネリスが、唇を噛んだ。
誰も、それ以上は、言葉を継げなかった。
その時だった。
森全体を震わせるほどの咆哮が、川の向こうから響き渡った。
木々の梢が、大きく揺れる。
水面が、細かく波立った。
木立の合間から、巨大な影が、ゆっくりと姿を現す。
牛の頭に、隆起した筋肉。
手にした斧の刃が、鈍く光っていた。
先ほど、頭の中で見たままの姿だった。
体の芯が、一瞬で冷える。
「あれは……」
カインの声が、掠れる。
ミノタウロスが、赤い目を、まっすぐ六人へ向けていた。
低い唸りが、腹の底まで響く。
誰も、動けなかった。
いかがでしょうか?
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