第103話「轟く警鐘、灼き尽くす終焉」
マランの世界、連日投稿中です。
当面、毎日2話投稿の予定です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
クロスロードの扉をくぐった瞬間、いつもの喧騒とは違う空気が押し寄せてきた。
怒鳴るような声。
駆け回る職員。
依頼掲示板の前に、人だかりができている。
「これは……」
カインが、足を止めた。
「何かあったな」
ダダも、周囲を見回しながら呟く。
そこへ、リゼットが駆け寄ってきた。
いつもの事務的な静けさは、今日は影を潜めていた。
「カインさんたち、ちょうどよかった!」
「リゼットさん、何が」
「ノアで、スタンピードが起こりそうなんです」
短く、言い切る。
「スタンピード……」
ミラが、息を呑んだ。
「フラッドガードが、緊急招集をかけています」
リゼットが続ける。
「カインさんたちも、制圧に加わってください」
有無を言わせない声だった。
普段のリゼットなら、事情を丁寧に説明してから頼むところだ。
その余裕すらない、ということが、事態の大きさを物語っていた。
「わかった。フラッドガードだな」
カインが頷く。
六人は、すぐに走り出した。
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フラッドガードの扉を開けると、大きな地図盤の前に、幾人もの職員が張り付いていた。
盤面のノアを示す部分に、赤い光が幾つも点滅している。
「増加率、まだ上がってます!」
「二層まで来てます!」
怒声にも近い報告が、飛び交っていた。
その中央に、一人だけ、動じていない者がいた。
ルーシェナだった。
いつもの柔らかい空気は、そこにない。
背筋を伸ばし、地図盤を見つめる横顔には、フラグメンツで見せる気安さの欠片もなかった。
「来たね」
こちらに気づくと、目だけをこちらへ向ける。
声は静かだったが、部屋中の喧騒を切り裂くような通りの良さがあった。
「ギルド長、状況は」
カインが聞く。
「ノアの氾濫。それも、かなり大きい」
ルーシェナが、地図盤を指す。
「一層と二層で、群れの密度が跳ね上がってる。放っておけば、三層、四層と、雪崩みたいに膨らむよ」
「僕たちは、何を」
「あんたたち、六人揃って気に入った」
ルーシェナが、初めて口の端を上げた。
だが、その笑みにも、いつもの軽さはなかった。
「魔法持ちの三人——ノリア、ワング、ミラ。あたしと一緒にノアへ潜ってもらう」
三人の顔が、一瞬、強張った。
「カイン、ダダ、ネリスは、ここに残って」
「クロスロードの、防衛線でござるか」
ワングが、確かめるように言う。
「そう。抜けてくるやつも、必ず出る。ここが破られたら、街まで氾濫が届く」
ルーシェナの声に、迷いはなかった。
「六人を分けるのは、初めてだな」
カインが、静かに言う。
「不安か」
ルーシェナが、聞き返す。
「不安じゃない、と言ったら嘘になる」
カインは、正直に答えた。
「けど、任せる」
「頼れる仲間を、置いていくだけだ」
ダダが、カインの肩を軽く叩く。
「向こうも、任せてくれ」
「承知」
ワングが、短く頷いた。
「ネリス、カイン、ここは、私たちで守る」
ミラが、二人を見て言う。
「わかってる」
ネリスが、爪を確かめながら答えた。
「じゃあ、決まりだね」
ルーシェナが、踵を返す。
「ノリア、ワング、ミラ。ついてきて」
三人は、一度だけ、残る三人と目を合わせた。
言葉はなかった。
それでも、十分だった。
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クロスロードに戻ると、フラッドガードの職員が、すでに防壁代わりの木柵を運び込んでいた。
「入り口、ここで塞ぎます!」
「抜けてきた奴は、この線で止める!」
怒声が、あちこちで飛び交う。
「俺たちも、位置につくぞ」
カインが、剣を抜きながら言う。
「柵の前、俺が立つ」
ダダが、盾を構えて前に出た。
「私は、周りを見張る」
ネリスが、耳を伏せ、通路の奥へ視線を向ける。
「向こうは、任せた」
カインが、ノアの入り口の方を見やりながら、小さく呟いた。
その声は、誰に届くでもなかった。
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ノアの入り口をくぐると、そこに広がっていたのは、見慣れた一層ではなかった。
細かく仕切られていたはずの部屋の壁が、消えている。
ひとつづきの、広大な空間だった。
天井は低く、遠くまで見通せる分、視界の端で、何かが常に蠢いていた。
「一層が、こんな……」
ノリアが、周囲を見回しながら呟く。
「氾濫時は、迷宮の構造そのものが変わる、と記録にはあった」
ルーシェナが、前を見たまま答える。
「見るのは、あたしも久しぶりだけどね」
奥にある二層への階段。
そこから、絶え間なく魔物が湧き出していた。
数えることに意味がないほどの数だった。
「これは……」
ミラの声が、震えた。
「三人とも、下がって」
ルーシェナが、静かに言う。
その声に合わせて、纏う空気が、変わった。
さっきまでの、少し掠れた砕けた声とは、別人のようだった。
背筋が伸び、輪郭が、研ぎ澄まされていく。
見た目は同じはずなのに、目の前にいるのが、まるで違う存在に思えた。
風もないのに、髪だけが、静かに揺れている。
視線の先にいる魔物の群れが、まるで足を止めたように見えた。
錯覚だと、ノリアはあとになってから思う。
そのときは、そう思う余裕すらなかった。
「終焉」
ルーシェナが、唱える。
短い言葉だった。
だが、その一瞬で、押し寄せていた魔物の群れが、光の粒となって消えた。
音も、衝撃も、ほとんど残らなかった。
ただ、空間だけが、静かになった。
「凄い……」
ワングが、刀の柄を握ったまま、動けずにいた。
「これが、ギルド長の……」
ノリアも、声を失っていた。
第七階梯を、涼しい顔で唱えて見せる。
しかも、群れごと、跡形もなく。
これまで見てきたどんな呪文とも、桁が違った。
「見惚れてる暇は、ないよ」
ルーシェナが、階段の方へ歩き出す。
「さあ、二階で留めるよ」
「留める、というと」
ミラが聞く。
「二層と一層の間で、食い止める。全部は無理だけど、抜けを最小限にする」
「抜けたやつは」
「クロスロードに、出るだろうね」
ルーシェナは、あっさりと言った。
「まあ、抜けても、仲間を信じよう。あの三人なら、防げる」
その言葉に、三人の顔が、少しだけ緩んだ。
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二層に降りると、そこもまた、変わり果てていた。
区切られていたはずの通路が消え、一層と同じく、広い空間になっている。
魔物の密度は、一層よりさらに濃かった。
「あんた」
ルーシェナが、ノリアを見る。
「終焉は、何回打てる」
ノリアは、一瞬、息を止めた。
「……五回です」
「十分」
ルーシェナが、短く言う。
「一緒に唱えて、根源を焼き尽くすよ」
「一緒に……」
ノリアの声が、掠れた。
第七階梯の呪文を、ギルド長と並んで唱える。
考えたこともなかった光景だった。
「ワング、ミラ。あたしたちが撃つ間、隙間を潰して」
ルーシェナが、後ろの二人に告げる。
「承知」
ワングが、刀を構え直す。
「私は、二人を守ります」
ミラが、丸盾を構えた。
「頼んだよ」
ルーシェナが、前を見据える。
その隣に、ノリアが並んだ。
震える手を、もう片方の手で押さえる。
「大丈夫。あんたの魔力なら、届く」
短い言葉が、震えを止めた。
「終焉」
二つの声が、同時に響く。
灼熱の光が、二層の手前を焼き払った。
だが、階段からの流れは、止まらない。
一波が消えると、間を置かず、次の群れが押し寄せてくる。
「まだ来る……!」
ミラが、階段を見据えながら叫ぶ。
先頭を走る個体が、四足の巨躯を低く沈め、こちらへ跳びかかってきた。
「金縛り」
ワングの声が、短く響く。
紫の光が、跳躍の途中で獣を捉えた。
宙で、動きが止まる。
その一瞬に、ワングの刀が、喉元を薙いだ。
「一体も、通さぬでござる」
崩れ落ちる巨躯を踏み台に、ワングはそのまま、次の敵の間合いへ踏み込んでいく。
「結界!」
ミラの声とともに、ノリアとルーシェナを覆う薄い光の膜が広がった。
追いすがる小型の群れが、膜に阻まれ、勢いを削がれる。
ミラは、その隙を逃さない。
「聖光弾」
放たれた光の矢が、二体を同時に射抜いた。
崩れ落ちる敵を見届ける間もなく、丸盾を構え直し、横合いから迫る一撃を、いなすように受け流す。
力で受け止めるのではない。
軌道の端をなぞり、流し、隙を作る。
ワングと同じ、あの型だった。
「二人とも、まだいける!」
ミラの声に、ノリアが荒い息のまま頷く。
「終焉」
二度目の詠唱が、重なった。
先ほどより、わずかに光の勢いが鈍い。
それでも、押し寄せていた群れの半分近くを、飲み込んで消し去った。
「はあ、はあ……」
ノリアの膝が、わずかに揺れる。
「まだ、いける」
自分に言い聞かせるように、繰り返す。
その間も、ワングの刀が休むことなく振るわれていた。
金縛りで足を止め、斬る。
金縛りが効かない相手には、間合いを外し、いなしてから懐へ入る。
型は、ひとつではない。
「拙者の役目は、ここを、破らせぬことでござる」
呟きながら、額の汗を拭う暇もなく、次の敵へ向き直る。
「ワング、右!」
ミラの声が飛んだ瞬間、右手から二体、同時に距離を詰めてきた。
「承知!」
一体を刀で払い、もう一体を、体ごとかわす。
かわしきれなかった爪が、腕をかすめた。
浅い傷だったが、確かな痛みが走る。
「浄光」
ミラの光が、間髪入れずに飛んできた。
「ありがたい」
礼を言う間もなく、次の敵が迫る。
「あんたたち、根性あるね」
ルーシェナが、荒く息をつくノリアの肩に、そっと手を置いた。
「もう一度、いけるか」
「……いきます」
ノリアの声に、迷いはなかった。
「終焉」
三度目の詠唱が、二層の空間を貫いた。
これまでで、最も大きな光だった。
ルーシェナの魔力が、ノリアの分まで引っ張り上げるように、渦を巻いて広がっていく。
押し寄せていた群れの、ほとんど全てが、光の粒となって消えた。
その最中、階段の隙間を縫って迫る最後の一体を、ワングの刀が正確に薙いだ。
「ここは、通さぬでござる」
崩れ落ちる敵を見送りながら、ワングは、ようやく刀を下げた。
「二人とも、動きを乱さないで」
ミラの声が、まだ二人の背後から飛ぶ。
盾を構えたまま、光の壁を薄く広げ、迫る余波から最後まで守り切っていた。
炎の中で、ノリアの終焉が、階段の奥、三層へと続く闇の中へ、細く長く伸びていった。
ルーシェナの放った終焉が、その軌道に寄り添うように、同じ方向へ流れ込む。
三度重ねられた光が、一つの奔流となって、深層へと吸い込まれていった。
「……届いた?」
ノリアが、膝に手をついたまま呟く。
「わからない」
ルーシェナが、初めて、静かな声で答えた。
「でも、根に近いところまでは、焼けたはずだよ」
二層の空間に、静けさが戻る。
床には、三度分の焼け跡が、黒く重なって残っていた。
「三層は」
ワングが、刀を鞘に収めながら聞く。
「そこから先は、様子を見て決める」
ルーシェナが、階段の奥を見つめたまま言った。
その目に、さっきまでの余裕とは違う、何かが宿っていた。
三人は、まだ、その先に何が待っているのか、知る由もなかった。
いかがでしょうか?
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