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聖寓意譚  作者:
創世I
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6/13

創世I-⑥

◆ ◆ ◆


「──いやぁ、やはり神聖ローマは良い国だった!」


 ミノタウロスの討伐から数日後。パリより南西に少し外れた場所。豪華絢爛な宮殿の執務室で、会議から帰ってきた青年──フランス国王──エルネは、この上なく満足そうに笑んでいた。深々と椅子に座り、足を組んで、右手で持つ紙に書かれた条文を何度も目で辿る。天井からは、シャンデリアの輝きがちらちらと降り注いでいた。


「……ほら、勝った」


 「勝った」。ついに言葉にした。もう堪えきれないのか、口元を綻ばせながら軽く下唇を噛む。数日前の会議で、フランス優位が決定された。他でもなくこの男自身がこうなることを望んできたのだが、事実となると全く話が変わってくる。──どうしようもない、優越感。


 条約を締結する会議のために、自国を離れ、数日間神聖ローマ帝国に足を運んでいた。燭台が並ぶ執務机には、その数日間分と今まで後回しにしていた書類が溜まっている。いるのだが、今日は一段と手をつける気配がなかった。


「はあ……」


 恍惚としたため息をついて、これ以上にないほどの笑みを零した。もう一度、紙に書かれた条文を目で追い上げる。……ある。ちゃんと。ここに。


「……ミエル!」


 エルネは紙から視線を外すと、開放された執務室の向こうに立っている男の名を呼んだ。右手の紙をひらひらと掲げる。条文が書いてある大事な紙の取り扱い方ではなかった。


「……はい、殿下。お呼びでしょうか」


 男──ミエルは長い杖をつきながら、それでいてしっかりとした足取りでエルネの声の方に歩み寄った。聖光を宿したような白銀の髪がさらりと靡く。


 エルネは歩み寄ってくるミエルから一切視線を逸らさなかった。足取りを見て、杖をつく手を見て、ミエルが立ち止まった距離を測る。少し遠い。エルネがこん、と机を軽く叩くと、ミエルは数歩距離を詰めた。──その動きに、エルネは満足そうに目を細める。


「私が条文を呼んでやろうか? 私が取り付けた条文を」


「いえ、すでによく存じ上げております」


 存じ上げていた。というのも、エルネは帝国での会議が終わった後すぐに、自国に残っていたミエルに「無事に条約を結んだ」と条約の内容と共に手紙を寄越していた。それも一通や二通どころではなかった。帝国から自国に帰る間に、浴びせるほど同じような手紙を寄越していたのだから、この男の調子といったら絶好調だった。


 エルネは条文の書かれた紙を机に伏せ、頬杖をつきながらにこやかに笑った。執務室の窓ガラスからは、昼の陽が降り注いでいる。秋だから空気は冷たい。冷たいが、光は暖かかった。


「ミエル。私はこの二十年生きてきて、いま一番機嫌が良い♩」


「左様でございますか」


 一見そっけないように聞こえるミエルの返事の温度を、エルネは咀嚼するように飲み込んだ。ふ、と柔い息が漏れる。ミエルから視線を逸らし、そっと目を閉じた。これは安堵。エルネには分かっていた。……分かっていたからこそ、嬉しくて──痛い。


「……やはり私に不可能なことなどないな♩ しかし、ここまで来れたのは、ミエルが私の傍にいたからこそだ」


 エルネは最後の言葉だけいつもの調子を取り除いて、静かに、穏やかに、けれどはっきりと言った。何かを告げるように。


 一拍。ミエルの両目を隠すように巻かれた布の、頭の後ろの結び目が微かに揺れた気がした。それから、ミエルはゆっくりと口を開いた。


「……とんでもございません。宰相としての務めを果たしたまでです」


 「宰相として」。エルネは目を閉じたまま、その言葉をどこか噛み締めるように反芻させた。ミエルはずっとこうだった。それだけで十分だった。──そう思うことにした。それから、エルネはゆっくりと椅子から立ち上がった。


「……二人で少し庭を歩こう。書類はその後だ♩」


 執務机に積まれた書類の山に対して、堂々と放棄宣言をした。もはや書類に目を当てもしなかった。エルネはつかつかとミエルに歩み寄ると、そっと杖を取り上げて、代わりに自分の左腕を掴ませた。慣れた動作だった。


「……少しだけですよ、殿下」


 ミエルはため息混じりに言った。エルネはその言葉に悦然とした笑みを浮かべた。自分の好きなご馳走が出てくる時よりも、条約を結ぶ時よりも、この瞬間が一番。


「うむ、もちろん♩ ……ところで、私のアポロンはまた活躍してくれたようだな」


 禍の話。エルネとミエルどちらの耳にもしっかり届いていたし、しっかり報告を受けていた。……まあ、結果云々より、エルネにとってはイヴァが何したということの方が重要ではあった。実際、報告書に上がっていたイヴァ以外の三人の名前は軽く読み飛ばしていた。最悪なことに。


 エルネはミエルの歩幅に合わせながら、ゆっくりと庭に向かう。自分の腕に掴ませた手の温度を、胸の内で転がすように。エルネの足は自然と使用人のいない廊下を選ぶように辿っていた。この宮殿の構造が頭に叩き込んであるのは、エルネもミエルも変わらなかった。


 庭に近づくにつれ、秋の陽の光が強まる。いや、秋なのでそこまで強くないのだが、エルネには眩しく感じられた。エルネは目を細めながら、そっと口を開いた。


「……次の戦いが何であれ、私は輝き続けよう。お前を照らす太陽として」


 ミエルは何も答えなかった。頷くでもなく、何か言葉を発するでもなく。答えは無くてよかった。今、ミエルの手はエルネの腕を掴んでいる。それだけ。


 ──ああ、ずっとこの時間だけでいい、と思った。


◆ ◆ ◆

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