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聖寓意譚  作者:
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2/11

創世I-②

◆ ◆ ◆


「……それにしても、本当に見つからないね。ねえ、公爵君?」


 アリスの呼び方を少し揶揄うような言い方で、イヴァはヴィヌの方を見た。左手を口元に添えて、くす、と笑いながら小首を傾げる。ヴィヌは、はあ、と息をついた。コツコツ、と先を急ぐようにヴィヌの踵が地面を蹴る。一方で、その隣をイヴァはゆったりと歩いていた。けれど、ヴィヌに追いつくように歩幅は大きめに。


「今回は僕たち四人だからな。四人いれば十分なのだが……こうも見つからないとなると、あの二人にも来てもらった方が……」


 ヴィヌはそう言いながら一切イヴァの方を振り返らず、とにかく周りのあちこちに視線をやっていた。探す。小さな痕跡すらも逃さまいと言わんばかりに。パリには何度も訪れていたから、足取りは慣れたものだった。


「まあ、今回は僕たちの番だから。全員が集まって、全員が倒れたら大変じゃない」


 イヴァは後ろで手を組みながら言った。「僕たちの番」と口では言っておきながら、声色はまるで他人事のようだった。ヴィヌはため息をつこうとして……今回はやめた。代わりに歩みを少しだけ早めた。


 イヴァはその様子を横目で見つめていた。その目は優しく、それでいて捉えるように視線を張り巡らせていた。──確認。ふふ、と息が漏れる。


「……ところでヴィヌくん、今日は調子が良さそうだね? よかった。ほら、昨日は少し……心配だったから」


 ヴィヌはその言葉に、一瞬足取りを歪めた……ように見えたが、それを無視するようにコツコツ、と踵を鳴らし続けた。昨日も二人でパリの捜索をしていた。その前も。ここ一週間。捜索の度にミルミルが配置を決めているのだが、当然のようにイヴァとヴィヌの二人を一緒に組ませていた。たぶん諦め。


「……心配などいらない。僕は──」


 言いかけて、言葉の続きを飲み込んだ。余計なことだと思った。隣を歩く男の性格を、この男はよく知っているつもりだった。


 そしてイヴァの方も、ヴィヌが言葉の先を意識的に切ったことに気づいていた。ヴィヌの方を……さっきから見ているのだが、表情に焦点を当てた。──理解した。だから、追及しなかった。追及するべきではないと思った。──崩さないために。


「……今度、また飲みにでも行こうね。君の好きな葡萄酒とか」


 イヴァはどこか軽い調子で言った。いつも通りの、何気ない約束。イヴァという男はいつもこうだった。小さな約束を、一つ一つ両手から差し出すように取り付けてくる。イヴァはヴィヌの顔を覗き込むようにして、また小首を傾げた。齢十九の男がやるには少々勘弁してほしいものではあった。


「うむ。とにかく、今は捜索が先だ。その話はまた後でしよう」


 ヴィヌはこくり、と頷きながら、変わらずコツコツと歩く。イヴァと話をしながら、視線はやはりあちこちに行っていた。この男は真面目なのだ。イヴァはヴィヌの言葉と動作に目を細めて微笑みながら、自分もパリの街並みを見た。何かを探しはせず、ただ見ただけだった。


「ねえ、もし世界を元に戻せたら──」


 イヴァの言葉は続かなかった。──続けられなかったのだ。その音は突然響いた。背後から、地を割くような轟音。風が二人の頬を叩くように通り抜けた。二人が大通りを抜け、広場の中心に出た時だった。


「──っ!」


 ヴィヌはその音の意味を頭で理解する前に、体が反応した。振り返る。一秒もかからなかった。すでに右手は腰から下がる剣にかかっている。イヴァも一拍遅れて振り返った。そっと剣の柄に右手をかける。背後では砂埃が舞い上がり、道を往く人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。地面には瓦礫が散乱している。


 砂埃の奥で、影が揺れていた。人々の悲鳴を前に、音もなくこちらに近づいてくる。近づいてくるにつれ、影の輪郭がはっきりと見えてくる。


「──見つけた」


 砂埃から、影はその姿を現した。右のこめかみあたりから一本の角。牛の頭と……人間の頭の双頭。体には地の底から這い上がったかのような漆黒を纏っている。そして──血で染めたような赤い目。


「……ふふ、『見つけた』、ね。うん、僕たちも」


 イヴァは腰から剣を静かに抜いた。隣では、すでにヴィヌが剣を構えている。黒い体に赤い目の怪物──”禍”だ。


 怪物は左手で一人の少女の髪を掴み、引き摺るようにしてゆったりとこちらへ向かってきていた。”禍”に巻き込まれたのだろう、少女は身を震わせながら悲鳴を上げている。……それにイヴァとヴィヌはほぼ同時に気づいた。


「……っ!」


 先に動いたのはヴィヌだった。もはや反射だった。ヴィヌがこちらに突っ込んでくるのを見て、怪物はふっと口元を緩めると、捨てるように少女を突き飛ばした。少女の体が宙を舞う。


「きゃっ!」


「は……」


 ヴィヌは急いで少女の方に踵を返そうとした。……地面を一蹴りする音。ヴィヌが振り返った時には、少女はイヴァに抱えられていた。少女を宙で抱きとめ、とん、と軽やかに着地する。


「怪我はない?」


 イヴァは少女を抱いたまま問いかけた。イヴァの腕の中で、少女が目を瞬く。イヴァの顔を見るなり、少し頬を赤らめた。


「は、はい……」


「……ここは危ないから、できるだけ遠くに逃げてね」


 イヴァはそっと少女を地面に下ろした。少女は、ありがとうございます、とイヴァに小さくお辞儀をし、スカートの裾を揺らしながらぱたぱたと駆けていった。


「……よかった」


 ヴィヌはその様子を見届けて、ふう、と息をついた。怪物は面白いものを見るように──そして不満そうにそれを眺めながら、ヴィヌに向かってそっと口を開いた。


「よそ見なんて、だいぶ余裕なんだね。いいけど」


「……っ、こんの……女性に何をする! この下衆が!!」


 ヴィヌは怪物の方に振り返り、声を張り上げた。この男にとって女性を傷つける、ということは万死に値した。怪物に怒鳴りつけるヴィヌの後ろから、イヴァがコツコツと近づいてくる。イヴァはそんなヴィヌの様子を見ながら、どこか満足げに口元を緩ませた。


「……牛頭人身。ミノタウロスだね」


 ヴィヌから視線を外すと、怪物の姿を下から上に撫で上げるように捉えて言った。ふ、と息をつくと、静かに剣を突き出した。構え。


「イヴァ、目だ。奴の目を……」


「そうだね。……手間取らないといいけど」


 イヴァは剣を構えながらヴィヌの方に目をやった。ヴィヌは後ろからのその視線に気づき、こくり、と頷いた。それが合図だった。ヴィヌは剣を握る手に力を込め、どこか耳をすませるようにして──口を開きかけた、その時。


「ねえ、さっき人を助けたよね? どうして?」


 怪物が一息で詰め寄ってきた。ヴィヌの少し斜め後ろ、イヴァの方に。ヴィヌはすぐさま振り返り、もう一度口を開こうとする。対してイヴァは、剣を構えたまま怪物の目を見据えるように見つめた。


「……どうして、って。逆に聞くけれど、どうしてだと思う?」


 イヴァは怪物に詰め寄られながらも、その場から全く動こうとしない。この怪物がどんな動きをするのか……それを一つ残らず見ようとしている。──それだけではないかもしれなかった。


「……分からないから聞いてるんだけどなあ」


 怪物はイヴァの言葉を聞いて一瞬だけ目を丸くすると、くつくつと笑った。それから、今度はヴィヌの方に振り返って一歩詰め寄った。赤い目がすっと細まる。


「まあ、いいや。じゃあこっち。なんで?」


 怪物はヴィヌから一切視線を逸らそうとしない。イヴァは何も言わずに、視線は怪物と、その奥にいるヴィヌをゆっくりと行き来していた。ヴィヌは怪物の顔をまじまじと見つめながら、今度こそ口を開いた。


「……それが僕たちの使命だからだろう」


 怪物はヴィヌの言葉に、そっと目を閉じた。一拍。堪えきれなくなったように肩を震わせる。……イヴァの目がほんの少し、ほんの少しだけ鋭くなったように見えた。


 それから怪物はゆっくりと目を開くと、ヴィヌの顔を覗き込むようにして、ほんの少しだけ身を屈めた。身を屈めた瞬間、イヴァが一歩踏み出しそうになったのを、怪物は横目で捉えていた。


「うん。で? 死にそうな人を助けるのが役目? 守るのが? ……君たち、二人で?」


 「二人」を強調するように言った。怪物は笑いながら、今度はイヴァとヴィヌから距離を取った。広場の中央にいる二人を置き去りにして、瞬く間に、閃光のような素早い動き。怪物と二人の間に、小さな家1個分くらいの距離が生まれる。怪物は、蟠を巻くような黒い右手を軽く振り上げて、呟くように言った。


「──じゃあ、僕のことも守ってよ。……なんてね」


「──っ!?」


 怪物がそう言い放った瞬間、地鳴りと共に、イヴァとヴィヌを囲うようにして地面から高い壁が這い上がった。一瞬の出来事だった。壁と、そしてそれに蓋をするような天井がイヴァとヴィヌの姿を隠す。


「……さあ、出口を見つけられるかな? 一生迷っててもいいんだよ。──二人で、死ぬまで」


 怪物はくつくつと笑いながら、壁を見上げるようにして言った。壁の中の二人に声は届かないだろう。


 それから怪物は、壁の周りをゆったりと、散歩をするような調子で歩き始めた。その顔は、満足しているようでいて──どこか羨望が混じっていた。


◆ ◆ ◆


「──なんなんだ、これは」


 壁の中。壁と天井は石造りだった。石の隙間から微かに外の光が漏れ出ているが、周囲を照らすには不十分で薄暗い。周りを見渡すヴィヌの横で、イヴァは左手を口元にあてがって微笑んでいた。


「……ふふ、面白いなあ」


 焦りを滲ませるヴィヌを傍目に、イヴァは呑気に言った。ヴィヌはイヴァの言葉と声色に、はあ、とため息をついた。もう何度目だろうか。


 イヴァはため息をつくヴィヌを見つめながら、くす、と小さく笑った。それから、少しばかり後ろを振り返った。前にも、後ろにも道がある。どちらもその先は暗くてよく見えない。

 

「ミノタウロス、ね……これはラビリンスかもね。つまりどこかに出口があるはず」


 イヴァはそう言いながら、ヴィヌの方を振り返って小首を傾げた。どうするか委ねるつもりだ。ヴィヌにはそれが分かった。


「……手分けして進むか、二人で同じ方に進むか、だな」


 おそらく誰もが思うようなことを言っている。だが、ヴィヌは真剣だった。別々に進めば片方は出られるかもしれないが、もう片方は出られないかもしれない。二人で進めば二人一緒に出られるかもしれないが、二人とも迷い続けることになるかもしれない。


 ここで判断を誤れば、取り返しのつかないことになるかもしれなかった。それに、今この瞬間にも壁の外にいる怪物が暴れているのではないか。──とにかく、時間はない。


「じゃあ、二人で進もうよ。一緒に」


 即答気味だった。イヴァの中ですでに答えは決まっていたのかもしれない。イヴァはヴィヌの左隣に並んで、左手の人差し指をくるり、と軽く回した。それから、自分たちの前に続く道の先を指差して。


「こっちに進もうか。勘だけれど」


 こんな状況で「勘」などと言ってしまえる男だった。その軽さにヴィヌは若干眉を顰めたのだが、何を言っても無駄だろう、と思ったのか特に突っ込まなかった。代わりに、こくり、と頷いた。


「分かった。なら、早く進もう。必ず出口を見つけるぞ」


 ヴィヌはつかつかと歩き出した。道の先は暗くてよく見えないというのに、一切迷いがなかった。イヴァはその姿に少しだけ目を伏せながら、ゆっくりとヴィヌに着いて行った。


◆ ◆ ◆

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