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聖寓意譚  作者:
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1/11

創世I-①

◆ ◆ ◆


《御前は神の子──》


 いつかの夢。形のない祝福。あるいは呪いですらあるかもしれなかった。神の声は嫌でも届いたし、言葉はいつだってお構いなしだった。まるでこちらの意思も都合も関係ないかのように。


 そして、それを受けて剣を握る者たちがいた。


 ……


 同じく夢だったかもしれない。記憶だったかもしれない。ただ、”選ばれた”ことには変わりなかった。漆黒が身を蝕み、その中で深紅だけが揺れる。こちらもやはり、声だった。言葉だった。劈くような。


 聞こえたのは。


《御前は禍の子──》


 ……


 それから、世界を回す者たちがいた。人もまた、”選ぶ”者だった。神が選び、禍が選ぶように。権威を従え、国を動かし、人を導く者たち。全てを武器に、時に争って、時に守る者たちが。


 ……


 神は選んだ。禍も選んだ。人も選んだ。


 ──理解はした。できた気がする。それならいつか、辿り着けるのだろうか──


◆ ◆ ◆


「──では、最後に確認をとる」


 赤ワインの香りが微かに漂い、燭台に灯された光が揺れる部屋の中で。長いテーブルの中心となるように座っている青年が口を開いた。テーブルごと囲いこむようにして、一人一人を順番に目で射抜く。ゆっくりと、確実に。白百合のような純白に、蒼穹を一滴溶かしたような澄んだ瞳の視線が這っていく。


「……スイス、オランダの独立を認める。領土君主には独立主権を認め、新旧両教徒の同一権利を承認する。……それから、我々フランスはアルザス地方の都市を得る」


 言葉を紡ぐごとに声に色が乗った。この青年にとってどれが嬉しいことなのか丸分かりだった。口元からは余裕の笑みが剥がれない。この青年──フランス国王は、いつだってこういう男だった。


「……それってさぁ〜」


 一人の青年が身を乗り出しながら声を上げた。この男の中に「緊張」という概念は存在しなかった。黄金を薄く染め上げたような色の巻き髪が、ふわりと揺れる。


「神聖ローマ帝国は実質死んだってことだよね? かわいそうに〜」


 一本の糸がぴん、と張られたような空気を壊すような嬉々とした声色。……いや、逆だった。この男が口を開くとさらに糸が張る。さらに空気が妙になる。撒かれた地雷を一つ一つ丁寧に起爆させていくような男だった。そしてこの男はそれを楽しんでいる。


 フランス国王はそれを見ていた。しっかり聞いていた。だからこそ余裕だった。まるで美しく輝くものを見るように、満足そうに目を細めた。


「……ああん♡ スペインの王様は相変わらず手厳しいね」


 そんな青年──スペイン国王の言葉を聞いた一人の男が、ふっと微笑んだ。柔らかい笑み。柔らかいのだが、どこか掴みどころがない。それから両瞼を閉じ、手を組んで祈るような姿勢をとった。


「じゃあ、神の代理人であるローマ教皇として祈ってあげようか。……ああ、神よ。帝国の未来をお約束ください。……それから、あなたの創りたもうた肉体はやはり”美しい”です。特に女性がね♡」


 軽口のような声風で祈りを捧げる。教皇らしからぬ発言が混じっていたが、残念ながらこの場にいる人間にとってはいつものことだったので、誰も咎めなかった。信者が聞いたら卒倒しかねない。スペイン国王は自分の発言の重さに気づいているのかいないのか、くすくすと笑っている。それから教皇はそっと目を開いて、続けて言った。笑みは一切壊さない。壊させなかった。


「でもね、神聖ローマは僕の国でもあるのに、そんな言い方されたら悲しいじゃない。ねえ、皇帝陛下?」


 教皇は鋭く光るような銀の瞳を細めながら、へらり、と笑った。組んでいた手を離し、右腕が頬杖をつく。無造作にテーブルの上に置かれた左手の人差し指が、とんとん、と微かにテーブルを叩き始めた。機嫌が悪い時のこの男の癖を、隣に座る皇帝は見逃すわけがなかった。


「……こいつが教皇である限り、俺もまた皇帝だ。そして俺には自分の帝国を死なせる趣味はない」


 皇帝は、両腕を組みながら顎で教皇を差し示した。それから、その奥に座るスペイン国王の姿を刺すような目で射抜く。血を織り上げたような濃い赤髪がさらりと靡いた。実際、帝国は崩壊の一途を辿るばかりだった。もちろんこの男がそれを最も理解していた。理解した上でそう言った。


「……んー♡ それ僕への口説き文句?」


「違う」


 間髪入れずに、容赦のない一言。教皇に対して、皇帝の反応はもはや条件反射の域だった。教皇は頬杖をつきながら、またもや軽口を叩こうとしたのか、口を開きかけて……やめた。代わりにスペイン国王を一瞥した。この条約の締結によって追い込まれるのは帝国だけではない。──それを理解しているのか。


「……とにかく」


 口を開いたのは別の青年だった。フランス国王とも、皇帝とも違った威厳を放つ男。見据えるようにフランス国王に視線をやった。


「長きに渡る戦争は終わったということだな? 太陽王」


 堅い表情を一切変えないまま、問いかけた。この条約の根本的な部分。そこをしっかりと確認する。丁寧に、慎重に。答えを聞き逃さまいと、フランス国王に視点を固定する。


「……うむ」


 フランス国王はその言葉を聞いて、充たされたように口角を上げた。正直、「満足」では足りなかった。こんなにもフランス優位に事が収まっているのだから。──勝った。自分がこの結果を導いた。そして今も、国の権力者たちを従えている。──自分で治世できることの証明。


「いやぁ〜、長かった! 皆で仲良くしようではないか♩」


 弾けた声。まさしく「太陽」とでもいうような眩しい笑顔。そこには政治的な計算も抑圧も無かった。無いからこそ、余計厄介だった。フランス国王を見据えていた青年は、ため息混じりに静かに息をつく。それを見て、フランス国王はくつくつと笑った。


「そんな反応をするな。私はイギリスとも仲良くしたいと思っている♩ 国王同士、また茶でも交えよう」


「断る……」


 断った。青年──イギリス国王は、今度はフランス国王から視線を逸らした。もう今のこいつには何を言ってもだめだ、という半ば諦めの目をしていた。


 そんな中、皇帝はフランス国王の「皆で仲良く」を噛み砕くようにして反芻させた。そんな気は毛頭なかった。はあ、と小さく息を漏らし、隣で未だに頬杖をついている教皇に視線をやる。この会議に飽き始めているのだろうか、指とんとんは終わっていたが明らかに退屈そうな顔をしていた。その奥でスペイン国王はまたもやくすくすと笑っている。


「……あの、すみません」


 その時、一人の青年がおずおずと口を開いた。軽く右手を挙げる。発言権の要求。


「……おっと、総督さんが何か言いたげだよ? 太陽王」


 それにいち早く気づいたのは教皇だった。今度は両腕で頬杖をつきなおして、小首を傾げながらフランス国王に視線を飛ばした。二十三の教皇がやる仕草としてはあまりにも幼すぎた。それを隣の皇帝は一瞥し、はあ、と息をついた。この会議で二度目。スペイン国王は青年──オランダ総督を眺めていた。口元にはくすくす笑いの残滓。


 フランス国王はオランダ総督の方に目をやり、ふわりと微笑んだ。何を言われても構わなかった。……だって、今──


「うむ? どうした?」


 微笑んだまま、すっと目を細める。余裕。余裕だった。持て余すほどに。


「……独立の承認、ありがとうございます」


 言葉の前に、一拍分の沈黙があった。その沈黙で、おそらくオランダ総督の言いたいことはこれではないということは、口元が緩み続けているスペイン国王以外の全員が察した。……いや、この男も察していたのかもしれなかった。フランス国王は赤ワインのグラスに口付けてから、ふ、と息を漏らした。


「……彼らは今日もパリを巡回しているのだったな」


 一人の男が呟くようにして言った。男──スイス政府の代表は、オランダ総督を横目に見てから、ふっと視線を窓辺に逸らした。


 その言葉に、ほんの一瞬空気が変わった。……スペイン国王以外の。教皇は頬杖をつきながら、にこり、と微笑んで口を開いた。


「パリ良いよねえ。美女がたくさんいるし……った──」


 言葉を続ける前に、皇帝が教皇の後頭部を小突いた。三度目のため息はもはや出なかった。代わりに、スペイン国王が再びくすくす笑い始めた。椅子に座りながら、足をぷらぷらと揺らす。おおよそ国王とは思えない子供のような仕草。


「……”見た”、と。報告も上がっている。つまりそういうことだろう」


 イギリス国王は「つまりそういうこと」で片付けた。それから、ワインのグラスに手を伸ばそうとして……止めた。なんとなく気が向かなかった。空を掻いた指先を、所在無さげに睨むように見つめた。


「私たちのように世界のために動いているのだ。任せよう。……特に私のアポロンは優秀だからな♩」


 フランス国王は足を組み直して、ワインをぐいっと飲み干した。無意識かそうではないのか、「私の」と「優秀」を強調するように言った。それを聞き取った皇帝の眉間に、僅かに力がこもった。オランダ総督は、フランス国王の声色を黙って飲み込んだ。


「……世界」


 スイス政府の代表は、その言葉を誰かに聞かれるか聞かれないかの声量で、小さく、小さく復唱した。外からは微かに鴉の鳴き声が聞こえた気がした。


◆ ◆ ◆


「──いない」


 ぽつり、と。少女はパリを歩いていた。何かを探すように。実際探していた。家と家の間の狭い路地、物陰という物陰の裏。秋のパリは肌寒い。特に今日は一段と冷え込んでいた。昼頃だと思えない空気の冷たさ。


「……目撃情報はあるんだけど」


 誰に聞かせるまでもなく呟きながら、少女は大きな通りに出た。通りに沿って並ぶ家の合間合間に目を凝らしながら、けれど足早に歩みを進める。とにかく”何か”が隠れられそうな場所を、素早く的確に一つ一つ確認する。


 少女が大通りを歩きながら、目を路地に向けた時だった。前から歩いてきた男と肩がぶつかってしまった。


「……っ、すみませ──」


「あ? どこ見て歩いてんだ、この──」


 男は容赦なかった。相手は年頃の少女だというのに、じりじりと詰め寄る。だが、その少女の服装を目にした途端、すぐに顔が強ばった。


「……あ、いや、こちらこそすみま──」


 男が言い終わる前だった。少女の真横から、風が過ぎ去るような速さで青年が飛び出してきた。その瞬間、鈍く重い音と共に、男は体ごと弾け飛ぶようにして地面に転がった。男の脇腹に蹴りが入ったのだ。一撃。けれど確実に仕留められるような的確すぎる蹴り。


 少女は一瞬何が起こったのか分からなかった。分からなかったが、男が”蹴り”によって吹き飛ばされたと分かると、全てを理解した。理解して、呆れた。


「……私の姫君に傷をつけるつもりだったのかね? この男は」


 青年は吐き捨てるように言った。男を一瞥してから、すぐに少女に振り返った。目元だけが隠れる仮面をつけた青年。露になっている口元は優しく微笑んでいる。とても、優しく。


「待たせたね、私のフィアンセ。さあ、共に我が城へ帰ろう」


 青年は少女の前に片膝をついて、黒い右手を胸元に、左手を少女に差し出した。あまりにも甘い声で、そしてあまりにも出来すぎた動作。少女は、はあ、と大きくため息をついた。高い位置で二つに結んだ縦巻き髪がふわりと揺れた。


 周りを歩いていた人々は、吹き飛ばされた男と、仮面をつけた青年を交互に見ながら騒めいていた。……だが誰も近寄ろうとしない。青年の服装、そして少女の服装。それだけで人々の動きは封じられていた。


「……ああ、君という人は今日も美しい! 私の運命の──」


 そんなことも構わず、青年の声はどんどん張り上がっていく。”乗ってきた”のだ。少女は呆れながら青年の後頭部に手を回し、仮面を止めているリボンをするり、と解いた。仮面、回収。


「──おや、ミルミルさん。そんな顔して、何かあったかい?」


 素顔が晒された青年は一瞬きょとん、としたがすぐに笑みを貼り付けた。どこか毒々しく、蠱惑的な紫の瞳をすっと細める。長い睫毛が瞳に影を落としている。


「あの男の人に謝って。アンタ、あの人を蹴ったのよ。私別に何もされてないわ。むしろ私が悪かった」


 少女はまだ倒れている男に目をやる。それを聞くと、青年はのそり、と立ち上がった。男の方につかつかと歩み寄り、しゃがみこむ。男の背に腕を回し、上半身をそっと起き上がらせた。


「すまないね。少し度が過ぎてしまったようだ。……私が蹴ったんだって?」


「──い、いえ! すみません!」


 男は我に返ったように立ち上がると、蹴られた脇腹を抑えながら駆けるようにしてその場を去っていった。青年はそれを見送りながら、今度こそきょとん、とした顔で目を瞬いた。それからゆっくりと立ち上がると、少女の方を振り返って言った。振り返る頃には既に笑みが戻っていた。


「……どうして私が謝られたんだい? 私が蹴ったんじゃなかったのかい?」


「……知らないわ。私たちが”御使い”だからじゃない」


 青年は左手を顎に添え、一秒ほど考え込むような素振りをして、くす、と笑った。一秒で考えることを放棄した。というより、そもそも考えるつもりがなかった、と言う方が正しいかもしれない。


「なるほどね。まあ、ミルミルさんが無事なら私はそれで構わないよ。……ところで、仮面は返してもらえないのかな?」


「嫌よ。これのせいでいつも面倒なことになるんだから……」


 秒速で却下された。少女は仮面を自分の服の内側にしまって、はあ、と再びため息をついた。ふと、少女は自分の腰から下がる剣に右手を添えた。──見つからない、まだ。


 その時、少女の背後から足音が近づいてきた。二人分。一つはゆったりと、一つは急くようにコツコツ、と。少女と青年は足音の方に顔を向けた。どちらも、この足音が誰のものであるか分かっていた。向かってくるのは騎士服を纏った青年二人。……自分たちと同じ。


「……なんでここにいるの? アンタたち二人はあっちを探してって言ったでしょ」


「いや、何か騒ぎになっていたようだから……」


 コツコツ、と靴音を鳴らしていた方の青年が先に口を開いた。葡萄酒を薄め、溶かし混ぜたような色の髪を、左の耳下辺りで一つに結んでいる。表情は明らかに慌てていた。もう一人の青年はその横で微笑みながら、白鳥の羽のように真っ白な髪をさらさらと靡かせていた。どうやら二人は先程の「蹴り騒動」を聞きつけてやって来たらしかった。


「ふふ、もしかしてまたアリスさん?」


 今度は白髪の青年の方が口を開いた。柔らかく、それでいてどこか抜かりのない微笑みを浮かべながら。青年──アリスは、その言葉を聞いてくすり、と笑った。


「いやいや、私じゃないよ。……私かい? ミルミルさん」


 アリスは少女に視線をやった。先程も名前を呼ばれていた少女──ミルミルは腕組みをしながら、もはや呆れを通り越して少々怪訝な目でアリスを見た。何も言わなかった。それが答えだった。


 その様子を見て、白髪の青年は納得したように目を細めた。白い睫毛が揺れる。左手を口元に宛てがいながら、微笑みを深める。


「……ああ、ほら。ヴィヌくん、だから言ったじゃない。アリスさんが行った方向で騒ぎが起こったら、それはアリスさんが何かしてる証拠だって」


 白髪の青年は覗き込むように小首を傾げながら、一つ結びの青年──ヴィヌにふわり、と微笑んだ。近い。ヴィヌはそれを横目で見て、小さく息をついた。結ばれた髪がさらり、と揺れる。


「……うむ。イヴァの言っていた通りだった。それはそれでどうかと思うのだが……」


 ヴィヌは軽く眉を顰めながら腕組みした。白髪の青年──イヴァはそっと目を伏せながら、それをどこか満足そうに眺めた。ふふ、と声が漏れる。それから、ヴィヌに半歩近寄るようにして……声はミルミルとアリスに向かった。


「ところで、何か分かった?」


「……何も」


 ミルミルはため息混じりに答えた。目が届く場所は隅々まで探している。なのに見つからない。四人で二手に分かれてパリを捜索し始めてから、もう一週間ほどが経っていた。


 アリスは下唇に左手の人差し指を乗せて、少し考え込んだ。今度はちゃんと考えた。


「パリでの目撃情報はあるのだけれどね。禍が原因と思われる被害も少なからず出ている。……それに、君たちも”夢”を見ただろう?」


 一拍の沈黙。アリスの言う通り、既に目視情報は上がっていたし、何件か被害は報告されていた。壊された建造物は一つや二つではなく、さらに十数人が軽傷から重症を負っている。そして、”夢”。見ていた。この場にいる全員が。つまり、これは何者かによるただの「事件」ではない。……これは──


「……また大きな”禍”となって誰かの命が奪われる前に、一刻も早く見つけ出して討伐するべきだ」


 ヴィヌは低い声で言った。自分で言っておきながら、その言葉を噛み殺すように口を噤んだ。「一刻も早く」。ヴィヌはいつもそうだった。イヴァはそれを聞いて、ヴィヌの方をちらり、と見た。……それから、静かに目を細めた。


「……じゃあ、僕たちはまたあっちの方を探すね。ミルミルさんとアリスさんはこっちの方を探すでしょう?」


 イヴァはミルミルとアリスの方に顔を向けると、軽やかな声色で言った。後ろで手を組みながら、まるでこれから散歩にでも出かけるかのような口ぶり。ミルミルはその声色に呆れたような、諦めたような顔をしながら、こくりと頷いた。


「ちゃんと探しなさいよね。じゃ、行きましょ」


 ミルミルは釘を刺すように言い放つと、アリスより一足先に踵を返した。その後を追うように、アリスもくるりと体の向きを変える。


「それじゃあね、公爵君、伯爵君」


 アリスはイヴァとヴィヌに振り返り、軽く左手を振りながら大通りの人混みの中に溶けていった。


◆ ◆ ◆

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