創世I-⑱
◆ ◆ ◆
「──ラド、久しぶりだな♩ 元気にしていたか?」
「うんうんっ、久しぶり〜。元気だったよ〜」
エルネより少し遅れて現れたラドが、ひらひらと左手を振った。約束の場所は、フランスとスペインの間を流れる川の上の小さな土地の建物の一室。黒い壁と赤い床に、金の荘厳な装飾が、二人を取り囲むようにして連なっている。冬の初めの空気が、優しく、そして刺すように冷たかった。
ラドはテーブルを挟み、エルネと向かい合うようにして椅子に座る。両手をテーブルの上に置いて、小首を傾げながら、にこにことエルネの顔を見つめた。
エルネはラドの方を見ながら、すっと瞳を細めた。まるで何事も無かったかように振る舞うこの男と同様、エルネも何事も無かったかのように笑みを絶やさなかった。両腕を組みながら、足を組み直す。
「……うむ、そうか♩ 早速だが、言った通り、正式にフランスとスペインの国境を山脈に定めようと思う」
「いいよ〜。わかりやすいね、いいことだね」
ラドはこくり、こくりと頷きながら言った。くるりとした巻き髪が無造作に揺れる。
「よかった♩ ……それから、フランドルの一部とアルトワ、伯領をフランス領にするということでいいな? 代わりにお前の申し出通り、金は要求しないことを約束する」
「うんっ」
にこやかに微笑みながら、子供のような無邪気な返事。エルネはその様子を見ながら、ふ、と小さく息をついた。反乱の制圧、王権の強化、国境の制定、領土の獲得。金はあればさらによかったが、得たものと比べれば大したことはなかった。形は、自分の思い描いた通りになっている。──ほら、また。
ただ、ラドが微笑んでいるのを見て──たった一瞬だけ、胸が詰まったような気がした。理由は分からなかった。分からなかったから、直ぐに優越感と闘争心で塗り潰された。
エルネは余裕の笑みを浮かべ、ラドの瞳を見据えるようにして見つめた。その瞳は尋問官のような色を帯びていた。ラドはその視線の意味を、正確に理解した。なんなら、この機を待っていたまである。テーブルの上で両手を遊ばせながら、瞳を細めた。
「……ね、フランスも大変だったね〜。貴族が反抗してきたんでしょ? やだなぁ、ぼくだったらみ〜んな”オモチャ”にしちゃう」
弾むような声色。自分から「その話」を持ち出した。軽口を叩くようにして、その瞳はエルネの表情を逃さまいとばかりに見ていた。──なんでもいい。
エルネはラドの言葉に、一層笑みを深めた。……やはり分かっているのだ、この男は。エルネは、ふっ、と小さく笑った。この男、地雷を起爆させるだけではない。その先を見ている。それも心底愉快そうに。──ならば、見せてもらおうか。
「……うむ、そうだな。大変だった♩ ……どこかの国が、親切に後ろに着いていたようだしな」
「親切に」を強調した。ラドがこちらの反応を窺っているのと同じように、エルネもまたラドの言葉を手に取って眺める気でいた。エルネは両腕を組みながら、ラドは両手を遊ばせながら、二人の間にはあまりにも健全ではない空気が漂っている。
「……へぇ。それは大変。すご〜く大変。どこだろうね〜、そんなことしたの。ずいぶん『親切』だね〜」
「へぇ」ではない。あからさますぎた。ラドはわざとらしく視線を逸らし、左手の人差し指で自分の頬をつん、とつついた。
エルネはその仕草を捕らえるようにして見つめながら、身を少しだけラドの方に屈めた。突きつけるような笑みを浮かばせ、ゆっくりと口を開いた。
「いやぁ、本当に『親切』なことだ。……当人を、その『オモチャ』とやらにしなければならないかもしれんな♩ ──玉座ごと」
宣戦布告。名指しだ。──この男、他国の王位にまで目をつけている。その好調ぶりは、ラドにとって、全く面白くなかった。──ないはずだった。ラドの視線がエルネに戻り、唇がゆるりと弧を描いた。その瞳の奥底で、静かに火が灯る。
「……ふぅん。おもしろいね」
「面白いだろう♩ ……私はいつでも本気だ」
釘を刺した。……そして、刺された。曇り空のような、冷たい声だった。だが、そんな釘は抜く。抜いて、折る。丁寧に、弄ぶように。
「……やだぁ〜、エルネってば、こわ〜い」
左手を口元に宛てがって、くすくす、と笑った。それから、ぴたり、と肩を震わせるのを止めて言った。口元には笑みを残したまま。
「……でもさ、『オモチャ』にするのは、ぼくのほうが得意だとおもうよ?」
こちらも宣戦布告だった。ラドの瞳は、真っ直ぐにエルネを射抜いている。エルネはその言葉を聞いて、噛み殺すようにくつくつと笑った。ラドは笑みを零しながら、両手をテーブルについて、すっとエルネの方に体を傾いだ。そして、声を落とすように。
「──『オモチャ』になるのは、本人じゃないかもね」
ラドはくすり、と笑った。釘の刺し返し。「本人じゃない」──その意味を、エルネは理解した。理解して、初めてその顔から笑みが消えた。頭の中で、点と点が線を結んで繋がった。繋がってしまった。王に対する反乱。貴族への加担。──その”先”。この男──
エルネの笑みが消えたのを、ラドは見逃さなかった。──見逃すはずがなかった。瞳を細め、下唇を噛む。どうしようもないほど口角が上がっていた。──ああ、だめだ、と思った。
「……なるほどな」
「うん、なるほど、ね」
ラドは傾いだ身を起こして、軽く椅子に座り直しながら単調に繰り返した。煽り。完全な煽り。その顔は、もはや隠すことなく弛みきっていた。
エルネは腕組みをしながら、すっと目を伏せた。刃で切りつけるような鋭い目。ラドはその視線を浴びながら、再びくすくす、と肩を震わせ始めた。エルネが静かに口を開く。
「……どこまで知っている? お前は」
「さぁ?」
聞いても答えないことは重々承知の上だった。これは、牽制。正直、この男がどこまで知っているのかは分からない。だが、ラドが「知っている」ことを「知っている」、というのを、エルネははっきりと指し示しておいた。
そして、ラドもその言葉の意図を捉えていた。聞かれても当然答えないであろう問いかけを、わざわざこの男がするとは思えなかった。今のは、自分が「何を知っているか」という純粋な確認ではない。……いや、本当に欲しいのはそこだろうが。だからこそ、「さぁ」と答えた。「知っている」ことへの肯定。
「……じゃあ、これで条約は結べたってことで。条文はあとでこっちに送っておいて〜。また会おうね〜」
ラドは椅子をかたん、と鳴らしながら立ち上がると、部屋の出口の方に足を向けた。数歩歩いたところで、エルネの方を振り返った。眺めるように目を細め、息を漏らすように──一言。
「……おもしろかった」
それだけ言って、今度こそ部屋を出た。跳ねるような軽やかな足音が響く。黒い壁の金の装飾が、瞬くように輝いていた。
──エルネはその後ろ姿を黙って見届けた。その瞳には、底から突き上げた”何か”が蟠を巻いていた。
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