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聖寓意譚  作者:
創世I
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17/19

創世I-⑰

◆ ◆ ◆


 星がちらちらと瞬く夜だった。アムステルダムの邸宅の一室で、ささやかな光に照らされながら、椅子に座って黙々と机に向かう一人の青年がいた。


「……はあ」


 しん、とした部屋にため息が落ちた。青年──オランダ総督──クロンは、机に右肘をついて額をおさえた。月明かりに褪せたような薄紫の髪が、さらりと小さく靡いた。


 ……独立はなんとか勝ち取った。勝ち取ったのだが、越えなければいけない山は一つだけではなかった。正直少しくらい休ませてほしかったが、現実は容赦なかった。無慈悲だった。


 オランダは今、”神剣”も”御使い”も抱えていない。それが何を意味するのかは明白だった。つまり立場がない。独立できたとしても、この壁は崩さなければならなかった。


 ……だが、それはローマも同じようなことだった。ローマは”神剣”を一本所有しているが、肝心な”御使い”がまだ現れていない。教皇自身がそれをどう思っているのかは……正直未知数ではあったが、あの皇帝が放っておくとは思えなかった。


 ──そして、あの会議の時。言えなかった。”神剣”を譲ってくれ、とも、”御使い”を寄越せ、とも。無いものは奪えばいい話かもしれなかった。それができない自分が憎い、と思った。


「……しかも、あの国……やっぱり……」


 あの国──イギリスだ。手を打たれた。明らかに牽制してきている。貿易の利益の具合を見て気づいたのだ。オランダの富の大半を支えているのは、紛れもなく貿易だった。……そこを、正確に突いてきた。


 クロンは両腕を組み、首を傾けながら考えに考えた。まずはこっちをどうにかしなければ、”神剣””御使い”の前に国自体が危ない。だが、やめてもらえますか、と言ってやめてもらえるようなことではない。政治というものはそこまで甘くない、ということを身に染みるほど知っていた。


「……うーん」


 ……駄目だ。何も思い浮かばない。いつもこうだ。正面衝突か? 交渉か? どちらにせよ、自信がなかった。自分でも、本当に情けないな、と思った。


 クロンは目を閉じて眉を顰めた。脳裏に他国の権力者たちの顔が浮かぶ。国を治めているという点では同じなのに、自分とはかけ離れたような人達。実力なのか、才能なのか、何にしたって勘弁してほしいものだった。


「……とにかく、何か動かないと」


 フランスなら実力行使するだろう。暴動の件も話が回ってきていた。あの国は確実に王権を立てた。帝国も上手く立ち回る。スペインは……よく分からないが、なぜか核心を突いてくる。


 ──”核心”。いや、あれは……


 クロンは思い立ったかのようにすっと身を起こして、便箋と羽根ペンを手に取った。宛て先はイギリス国王。羽根ペンをさらさらと紙の上で滑らせる。一通り文字を書き終えると、確認するように何度も読み返した。そっと羽根ペンを机に置く。


「……大丈夫。上手くいく」


 「上手くいく」と言いながら、顔は不安の色でいっぱいだった。何とか上手くいってほしい、が正しい。


 ……その時、部屋の扉がこんこん、と叩かれた。控えめなノック。クロンは扉の方を振り向いた。この叩き方をする人間を、この男はよく知っていた。


「入っていいよ」


 クロンがそう言うと、扉がそっと開かれた。いたのは、一人の小柄な少女。てくてく、とクロンの方に静かに歩み寄ってくる。その姿に、クロンはふっと柔らかな息を漏らした。


「どうしたの? 何か用事?」


 椅子に座りながら、小首を傾げて問いかけた。穏やかな声。少女はクロンの顔を見ながら、ふるふる、と首を小さく横に振った。それから、そっと口を開いた。


「……ない。でも、星が言った。だから、来た」


「……なるほどね」


 この娘は、”読んだ”のだ。読んで、星が言葉を差し出したから、来た。おそらく、ここに行け、とかそういうものだったのだろう。クロンにとって、その理由が星でも何でもよかった。来てくれた、それだけで。


「適当に座ってていいよ。お茶でも出そうか?」


 少女はまた、ふるふる、と首を小さく横に振った。この娘は、いつだってそうだった。表情は変わらないし、口数も少ない。求めてこない。それが、クロンにとって居心地が良くて──何だか、少し寂しかった。


「……じゃあ、僕も立つ」


 理屈としてはよく分からないが、クロンにとってはそれが正解らしかった。椅子からそっと立ち上がると、ゆったりとした足取りで窓辺に向かった。ガラス越しに空を見てから、少女の方に振り返る。右手で小さく手招きして、おいで、と一言。その言葉に、少女はてくてく、とクロンの方に向かっていって、隣に立った。


「……星、綺麗だね」


 クロンは左手でそっと少女の肩を抱き寄せた。羽のような、柔い手つき。右手の人差し指で夜空を指し、頭一つ分ほど違う身長差を埋めるように、少女の顔を優しく覗き込んだ。この娘の瞳を見る時だけ、国を治める者としての苦悩が全て吹き飛ぶような気がした。──実際、そうだった。


「読める? なんて書いてあるか」


 クロンの指先が、星の位置を辿るようにして動く。少女はこくり、と頷いてクロンの指先を目で追った。星、そして、月へ。この娘が星空を見ている時、瞳が僅かに揺れるのを、クロンはよく知っていた。知っていたし、自然と目が惹かれていた。毎回。飽きもせず。綺麗だ、と思っていた。……それと同時に、胸がちくりと痛む。その瞳の微かな強ばりにも、気づいていたから。


「……明るい」


 ぽつり、と一言。その一言だけで十分だった。クロンは包み込むように少女に微笑んだ。「明るい」──何がどう「明るい」のか、だから何なのか、何も分からなかった。でも、それでいい。


 クロンは再び空に顔を向けた。少女の肩からそっと左手を離して、後ろで手を組む。


「……そう。よかった」


 しばらく二人は星空を見上げていた。お互いに何も言わなかった。それでも、クロンの心はどうしようもなく──満たされていた。


◆ ◆ ◆

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