創世I-⑭
◆ ◆ ◆
「──ほら」
パリから少しばかり南西に外れた宮殿の執務室。窓から差し込む陽の光を浴びて、細やかな金の装飾が燦然と輝く部屋の中で、エルネは窓の外を眺めていた。天空をそっと宿したような髪に、光が零れ落ちている。隣では、ミエルが静かに立っていた。
暴動が起こってから二週間と少しばかりが経った。エルネの予想通り、あの後貴族もパリで暴動を起こした。貴族と市民が一気に反発する中、エルネはフランス軍を容赦なく繰り出した。民衆の抵抗によって軍との攻防は三日ほど続いたが、逆に言えば三日で全てを抑圧した。その効果ですらもエルネの予想通りであった。
そしてさらにその三日後、エルネはパリで凱旋式を執り行った。国内での争いなので「凱旋」と言うのはどうかとは思ったが、勝ったことには変わりないので細かいことは気にしなかった。市民、貴族関係なく溢れんばかりの民衆を広場に集め、そしてそのまま民衆に向かって勝利宣言をしたのだった。勝ったのは自分だ、と。自分が”絶対”である、と。
エルネは陽を受けながら、くつくつと笑った。この輝く太陽は自分を照らすために存在するとさえ思った。──ああ、本当に。本当に心地良い。困ってしまうくらいに。
「やはり私の勝利だ♩ ……今度こそ、勝った」
中央集権……王権の確立。自分を”絶対”とする王政の始まり。”真の勝利”に等しかった。手に入れたのだ。自分の力で。
エルネは抑えきれない笑みを浮かばせながら、そっと窓辺から振り返って執務机に向かった。エルネが移動する気配を察して、ミエルも数歩だけエルネの方に歩みを寄せる。杖の先がこつこつ、と床を優しく叩いた。エルネはその音に振り返りはしなかったものの──どうしようもなく満足した。
椅子に腰掛けて机に向かい、足を組む。机の上にはいつも通り書類の山と──そこにはもう抗議文は無かったが──一枚の銀貨があった。エルネはその銀貨を摘み上げ、まるで芸術品を鑑賞するかのような目で見つめた。……というより、そこに描かれたものを射抜くように確認していた。
暴動を抑圧した際、貴族の反乱を統率していた人間の何人かを取り押さえ、物品を押収した。すると、その内の一人からスペインの銀貨が出てきた。当の本人は口を割らなかったが、他を問いただしてみたところ、パリの反乱に加わっていたボルドーの貴族が「スペイン軍に唆された」とスペインの関与を自白した。さらに、パリの貴族もスペインの名前を出した。
奴らは全員貴族の装いをしていた。スペインの軍の服を着ていた人間はいなかった。しかし、スペインが関与している。つまり、この銀貨は”意図的”なものだ。そして、わざわざこんなやり方をする人間は”あの男”しかいない。
「……素晴らしい贈り物だ♩ この銀貨一枚で、私に何を買えと言うのだろうか♩」
嫌味たらしい言い方だったが、この男にとっては嫌味のつもりは一切なかった。厄介なことに。エルネは銀貨を指で弾いて、宙で一回転させた。
エルネもまた今の国家間情勢を把握し、推測していた。今こうやってフランスにちょっかいを出せるのはスペインだけだ。……フランス国内が荒れていたのを見計らっての行動だろう。わざわざボルドーの貴族を選んだ理由も大体予想できた。国内の経済事情を、その国の王が知らないわけがない。その上パリの貴族にもしっかり肩入れをしている。
……確かに、暴動に乗じてフランスの政治的地位を覆らせようとした意図はあったはずだ。だが、何か引っかかる。あの男の性格を、エルネはそれなりに嗅ぎ取っていた。
ご丁寧に状況を分析して、相手の突かれたくないであろう部分をわざわざ突いて愉悦に浸るような男。少なくともエルネにはそう見えていた。会議の時だってそうだった。「神聖ローマ帝国は死んだ~」などと言っていた男だ。スペイン軍を貴族に変装させ、そしてわざと銀貨を持たせたまでは納得がいく。……その先があるのではないか? いや、あるはずだ。あの男なら。
貴族への加担。王権が確立してもスペインがいつでも手を貸してやるという約諾か何かか? 何にせよ、エルネという男は一度手に入れたものを手放すような性格ではなかった。
「贈り物をされたのなら礼をしなければな♩ さて……」
エルネは銀貨を机の上に置くと、そびえ立つ書類の山を押し退け、羽根ペンと便箋を手に取った。ペンを紙の上に走らせて、つらつらと文字を書き連ねていく。宛て先はもちろんあの男。
──ピレネー山脈を正式にフランスとスペインの国境にすることを提案する。これは両者にとって丁度いい境目ではあるはずだった。争いを止めるわけではない。その先。国境の制定に伴ってスペイン領の一部を得ることも交渉する。選んだ場所はフランドルの一部とアルトワ、伯領といった、大きすぎず、だが確実に領土を広げられるような土地。こちらが流れを掴んでいるという権威の提示。これがエルネなりの「お礼」であった。
それから、それらを正式に決定するために二人で会おうという文を添えた。暴動に加担しただろう、ということは一切書かなかった。ただ、このタイミングで手紙を送りつけることによって「分かっている」ことを示す。そしてあの男のことだ、何か”先”が見えたのなら必ず会いに来る。──この約束を取り付けて、会った時に何を考えているのか見抜いてみせる。
「……うむ」
書いた文章をさっと読み直して、羽根ペンをことん、とペン立てに戻す。それから、エルネは自分の斜め後ろあたりに立つミエルに顔を向けた。──いる。ここに、いる。自分が人々に認められたということは、ミエルも認められたということ。……いや、そうとは限らない。限るわけがなかった。でも、自分とミエルに口を出す人間はもういない。いないはずだ。
エルネは静かにゆっくりと椅子から立ち上がり、ミエルの方に歩み寄った。ミエルの顔を見上げる。いつも通り目元に巻かれた布。──もしこの布が要らなくなった時、どうなるのだろうか。ふと、そんなことが頭を過ぎった。
「……ミエル」
「……はい、殿下」
いつもの穏やかな声だった。他が聞いたら事務的な返事に聞こえるかもしれなかった。でも、エルネにとっては光そのものだった。
「私は”王”となった。この国は私のもの。国に認めさせた。国は私を認めた。いずれ世界をも従えよう。……これで、私とお前は──」
どこからか風が入ってきた。二人の間を掠めて、髪がさらりと靡く。私とお前は。
「──私とお前は、”今まで通り”だ」
──エルネの瞳が僅かに揺れた。……言葉を選んだ。一瞬、選んだことにすら気づけなかった。無意識だった。
──痛かった。自分で言っておいて、もがきたくなるほど痛かった。刃先で抉られているかのような痛さだった。
見えない血が流れ出した気がした。それでも、矜恃とも似つかない”何か”がそれを隠した。自分でもなぜこんなことを言ったのか分からなかった。紡ごうとしていた言葉は、違う形をしていたはずだったのに。でも、出てきた言葉はこれだった。
エルネは、ふ、と小さく息をついた。なぜ息をついたのかも分からなかった。分からないが、何か取り返しのつかないようなことを言ってしまった気がする、それだけ。
「……はい」
ミエルは表情も声色も何一つ変えなかった。いつも。いつもその凛々しい顔で、その静かで諭すような声色で。エルネにはそれが相応しいと思えた。思えるのだ、実際。思えるのに、こうも──
「……部屋を移動しよう。少し腹が減った♩」
エルネはミエルの右手の杖をそっと自分の手に取った。代わりに、自分の左腕を掴ませる。”今まで通り”。何も変わらない。自分たちにとって当たり前のこと。
「ミエルも食べるだろう? 何が食べたい? 何でも用意させよう」
この男の言う「何でも」というのは冗談には聞こえなかった。エルネはミエルを優しく導きながら、執務室の部屋を出る。廊下に差す陽の光は眩しかった。眩しくて、エルネは一瞬だけ目を細めた。それから、自分で質問しておきながらミエルの返事を待たずして口を開いた。
「……今度、イヴァを呼ぼう。久しぶりにゆっくり話がしたい」
あの男に陶酔するこの男も大概だった。だが、それはそれでこれはこれ。今は”今まで通り”、いつも通りの会話をする。──そうしなければ、”何か”が崩れてしまいそうだと思った。
──守れた。手に入れた。それは、全部目に見えるものだった。
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