創世I-⑫
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「──ローマ。お兄さん……」
月明かりが朧気に差し込むパリの邸宅の一室。イヴァは足を組んで椅子に腰掛けながら、赤ワインの入ったグラスを片手に、頬杖をついて窓の外を眺めていた。その横顔を、柔い光が包み込むように照らしている。
「──『もちろん』、ね」
イヴァは独りでに言葉を反芻させた。あの日、ヴィヌはイヴァの問いに「もちろん」と言った。言われた。その答えが返ってくるのを分かっていた。分かっていて聞いた。そして、欲しかった答えがちゃんと差し出された。イヴァにとって、それは──
──鎖だった。脆くて優しい鎖。繋ぎ止める役割も果たせないような、罅だらけの。
「……いい。あの子らしい」
イヴァはどこか納得したように──納得させるように呟いた。これでいい。このままで。
それから、イヴァの頭にふとあの怪物の言葉が過ぎった。「死んでも二人」。「永遠に二人きり」。それが「幸せ」。……イヴァは、ふっと微笑んだ。それを「幸せ」と呼ぶのなら、自分はもうとっくに手を伸ばしている。そう思った。
「……ふふ、大変だね」
イヴァは完全に他人事の声色で言いながら、窓の外に広がる街並みに目をやった。パリでは、ここ最近暴動が活発化してきていた。貴族たちが言っていたことが、行動に表れ始めている。……やはり、興味はなかった。ただ、あの国王ならこんな状況になっても一切怯まないだろうな、と考えて、口元を綻ばせながらそっと目を細めた。
イヴァはワインを一口飲むと、グラスを窓辺にこん、と置いた。それから、思い立ったように椅子から立ち上がって部屋を出た。
こつこつ、と踵を鳴らしながら廊下を歩く。貴族でありながら、使用人を一人も持たないこの一人暮らしの邸宅は、いつどこに居ても静かだった。イヴァはある部屋の扉の前に立ち止まると、そっと扉を開けた。部屋の中にはピアノと、ケースに入ったヴァイオリンが横置きで置いてある。イヴァがいつも音を奏でる時に使う部屋だった。
ヴァイオリンケースの方に歩み寄ると、ケースからヴァイオリンを優しい手つきで取り出した。今日はピアノよりヴァイオリンの気分らしい。
「今度、鍛冶屋にお邪魔しようかな。……元気にしてるといいけれど」
そんなことを独り言ちながら、イヴァはヴァイオリンの調弦を始めた。弦の一本一本を丁寧に。羽が落ちるような手つきで。
調弦を終えると、イヴァは弓を手に取ってヴァイオリンを構えた。窓辺の方に近づいて、月の光を浴びながら弓を引く。柔らかな音色が部屋に響き始めた。──曲名は、ない。この男は、曲名の付いたものを弾くより、自分で好き勝手に弾くことの方が多かった。
イヴァは弓の先に視線をやりながらも、時折窓の外を眺めた。パリで暴動は起こっているが、今日も世界は回っている。確実に、ゆっくりと。
──僕は思う。僕は単純だ。単純で、だからこそ複雑。だから、僕が在る。
「──ああ、綺麗だ」
ぽつり、と。それだけ。イヴァは、名前の付かない、付けられない音を、愛おしむように、壊れ物を扱うように奏でた。その感情の意味を、イヴァは知らなかった。分からなかった。それでもよかった。
──ただ、愛情と呼ぶには鉛のように重くて、執着と呼ぶには甘く優しすぎた。
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