第76話 言えることがない
噂は、早かった。
この町は、いつもそうだ。
馬が二頭来たこと。
紋が入っていたこと。
診療所に寄ったこと。
昼前には、全員が知っていた。
リーナが、来た。
扉を、叩かなかった。
「王都の人でしょう」
「そうだ」
「何の用」
アークは、答えなかった。
リーナは、椅子に座った。
座って、腕を組んだ。
「言わないのね」
「言うことがない」
「またそれ」
リーナは、息を吐いた。
「あなた、いつもそう。
言わないで、済ませるでしょう」
「今日は違う」
「何が」
「言えることがない」
リーナは、こちらを見た。
しばらく、見ていた。
「……無いの」
「無い」
「本当に」
「本当だ」
沈黙。
リーナは、腕を解いた。
「言わないんじゃなくて」
「無いのね」
「そうだ」
リーナは、それきり訊かなかった。
この人は、そういうところがある。
深く踏み込んで、
底に何も無いと分かると、引く。
しばらく、二人とも黙っていた。
外で、荷車の音がした。
「昔の話」
リーナが、言った。
「王都にいた頃の」
「そうだ」
「私が知ってる話」
「半分だ」
リーナは、少しだけ驚いた顔をした。
「私、あの頃ずっと一緒にいたわよ」
「断ったことは、知っているだろう」
「知ってるわ」
「何を言われて断ったのかは、
あんたにも言っていない」
「言わない決まりだった」
「決まり」
「そうだ」
リーナは、天井を見た。
それから、こう言った。
「その決まり、
守って、よかったの」
アークは、答えなかった。
答えを、持っていなかった。
当時は、正しいと思っていた。
守らなければ、
次の患者が呼べなくなる。
誰かのためになる決まりだった。
いま、その決まりのせいで、
四年、待った人間がいる。
夕方、リーナは立ち上がった。
「隣の町、行ってくる」
「決めたのか」
「行くだけよ」
「泊まりはしないわ」
荷は、小さかった。
「往ったり来たりで、いいでしょう」
アークは、頷いた。
止める理由が、無かった。
リーナは、扉のところで振り返った。
「ねえ」
「なんだ」
「言えることが無いのと」
「言わないのと」
「あの人たちには、同じよ」
出て行った。
扉は、強くは閉まらなかった。
夜。
アークは、机の前に座った。
紙は、ある。
筆も、ある。
書けば、字は残る。
残るが、それは記録ではない。
四年前の日付を、
いま書いたものは、
思い出したことでしかない。
思い出したことは、
証拠にならない。
アークは、筆を置いた。
置いてから、気づいた。
置く理由を、探していた。
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