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【異世界×医療】回復魔法が効かない患者だけを治す追放治療師 〜現代の手技で、制度に切り捨てられた命を拾う〜  作者: 蒼瀬灯


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第75話 記録のない夜

 診療所に、椅子は二つしかない。


 一つに、外套の男が座った。


 アークは、立っていた。


 座る理由が、無かった。


「四年前の、ある夜のことです」


 男は、日付を言った。


 覚えている日付だった。


「医療局から、

 三度目の要請が出ております」


「出ている」


「お受けにならなかった、と」


「受けなかった」


 アークは、認めた。


 弁明は、しなかった。


 男は、少しだけ間を置いた。


「理由を、伺っても」


「今は言わない」


「なぜでしょう」


「言えば、言い訳になる」


 男は、頷いた。


 納得したのではない。


 書き留める顔だった。


 だが、この男は何も書かなかった。


 書く道具を、持ってきていない。


「一つ、伺います」


「ああ」


「その要請は、

 どこに残っておりますか」


 沈黙。


 アークは、答えを持っていた。


 持っていたが、口に出すのに時間がかかった。


「どこにも残っていない」


「……どこにも」


「残さない決まりだった」


 男は、動かなかった。


「当時、俺は医療局の人間ではない」


「呼ばれて、行くだけだ」


「記録は残さず、

 公表もしない」


「責任は局が負う」


「そういう扱いだった」


 アークは、そう言った。


 第一の条件だった。


 あの頃、それを飲んだのは自分だ。


「では」


 男は、ゆっくり訊いた。


「若様が亡くなった夜は」


「紙の上には、無い」


「はい」


「要請も、断ったことも」


「無い」


 男は、しばらく黙っていた。


 外套の膝を、手で押さえていた。


 それが、この男の動揺だった。


「無いものは」


 男は、言った。


「調べようが、ございません」


「そうだな」


「照会は、記録に対して行うものだそうです」


「記録が無ければ、

 照会は届きません」


 アークは、頷いた。


 その通りだった。


 その通りだ、としか言えなかった。


 男は、立ち上がった。


 立ち上がってから、頭を下げた。


「失礼を申しました」


「していない」


「いえ」


 男は、そう言った。


「本日のことも、

 どこにも残りません」


 扉が閉まった。


 静かに、閉まった。


 夜。


 アークは、棚を見た。


 二段目まで埋まった綴り。


 この半年、書いてきたものだ。


 書いたものは、残っている。


 読まれることも、ある。


 だが、あの夜のことは、

 どこにも無い。


 書かなかったからではない。


 書くな、という決まりだったからだ。


 書くな、と言われて、

 そうしたのは自分だ。


 アークは、筆を取らなかった。


 今から書いても、

 それは記録ではない。


 記録は、その日に書いたものだけを言う。


 灯りを、落とした。


 無かったことになっている夜が、

 自分の中にだけ、ある。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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