第69話 遡れる帳簿
第二部をお読みくださった皆さま、ありがとうございました。
あの部は、
「迷っていい」と書ける欄が消えて、
それでも書く人が残った、という形で終わりました。
第三部は、その続きです。
残ったものが、
残っていたせいで読まれる話になります。
正しいことを言う人は、
今回も出てきます。
悪人は、たぶん今回も出てきません。
帳簿は、増えていた。
診療所の棚は、二段目まで埋まっている。
背の低い綴り。
紐で括った紙束。
日付だけを書いた表紙。
半年で、これだけになった。
アークは、いちばん上の一冊を取った。
埃は、薄い。
開くことは、ほとんどない。
書いたものを読み返す習慣が、
この診療所にはなかった。
書いて、置く。
それだけだ。
昼前、扉が叩かれた。
控えめな叩き方だった。
監督官だ。
この半年、月に二度は顔を出す。
用件があることも、
ないこともある。
「登録の話でしたら」
「いえ」
男は、首を振った。
もう何度目かの、同じやり取りだった。
男は、束を抱えている。
新しい様式の紙だ。
経過の欄が、広い。
その欄に、字が詰まっている。
「今月の分です」
「俺に見せるものじゃない」
「見せているのではありません」
男は、少し考えてから言った。
「置きに来ています」
アークは、受け取らなかった。
男は、机の端に置いた。
置いて、手を離した。
そういう置き方を、この男はする。
紙の一枚に、目が行った。
軽い症例だ。
処置も、普通だ。
経過の欄の終わりに、
一行だけ、字が細くなっている。
判断に迷いがあった。
基準にはあたらないが、記しておく。
署名は、ある。
男の名前が、書いてあった。
半年、変わらない。
この町で書くのをやめていない者が、
一人だけいる。
「あんたは、飽きないな」
「飽きます」
男は、真面目に答えた。
「ですが、
やめる理由が見つかりません」
アークは、頷いた。
それ以上、何も言わなかった。
午後、荷馬車が来た。
月に一度の便りだ。
薬草。
包帯。
紙の束。
下ろす男の名前は、
いまだに知らない。
薬師が、紙束を分けている。
その中に、
薄い一枚が混じっていた。
王都医療評議会の名で、
こう書いてある。
記録の照会に関する事前通知
過去の症例記録について、
患者本人または家族からの照会に応じる仕組みを、
順次整備する。
対象は、記録の残る症例とする。
各機関は、保管中の記録を
散逸させないよう留意されたい。
薬師が、それを読んだ。
読んで、首を傾げた。
「散逸って、なんだね」
「なくすな、ということでしょう」
監督官が答えた。
「よい仕組みだと思います」
男は、そう言った。
嘘ではなかった。
この男は、嘘を言わない。
「訊かれたら、答えられる」
「答えられないままの家族が、
これまで大勢いました」
薬師は、頷いた。
悪い話には、聞こえなかった。
誰にも、聞こえなかった。
夕方、アークは棚を見た。
二段目まで埋まった綴り。
半年分の、書きっぱなしの紙。
これまで、
あれはただの紙だった。
書いて、置く。
置いたら、終わりだった。
通知の一行を、もう一度読む。
対象は、記録の残る症例とする。
残る、と書いてある。
残っているものは、
あとから読める。
あとから読めるものは、
あとから、読まれる。
アークは、棚を閉めなかった。
閉めても、同じだからだ。
夜。
筆を取って、今日の分を書いた。
患者は、三人。
どれも軽い。
迷いは、なかった。
だから、迷いは書かなかった。
書かなかったことは、
紙に残らない。
それでいい。
これまでは、それでよかった。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
第三部は、本日3話を公開し、以降は一日に1話の投稿予定です。
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