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【異世界×医療】回復魔法が効かない患者だけを治す追放治療師 〜現代の手技で、制度に切り捨てられた命を拾う〜  作者: 蒼瀬灯


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第68話 残る余白

 朝は、静かだった。


 地方の町に、特別な出来事は起きない。


 鐘が鳴り、

 人が動き、

 同じ一日が始まる。


 新しい様式が回りはじめて、

 ひと月が過ぎた。


 集計は、貼られない。


 貼られないので、

 誰も紙の前に立たない。


 集会所の壁は、空いたままだ。


 空いていることに、

 もう誰も気づいていない。


 昼前、扉が控えめに叩かれた。


「……失礼します」


 入ってきたのは、監督官だった。


 書き物の束を抱えている。


「登録の話でしたら」


「いえ」


 男は、首を振った。


「この家は、

 登録の対象ではありません」


「そうだったな」


「確認しました」


 男は、真面目に言った。


 用件は、それではなかった。


 男は、束のいちばん上の一枚を出した。


 新しい様式だ。


 経過の欄が、広い。


 その欄に、字が詰まっている。


 男の字だった。


「私も、書くようになりました」


「あんたが」


「監督官も、診るときは診ますので」


 アークは、その紙を見た。


 症例は、軽い。


 処置も、普通だ。


 経過の欄の、終わりのほうに、

 一行だけ、こう書いてある。


判断に迷いがあった。

基準にはあたらないが、記しておく。


 署名は、ある。


 男の名前が、書いてあった。


「署名するのか」


「します」


 男は、答えた。


「私は、監督する側ですので」


「書かせる側が書かないのは、

 筋が通りません」


 アークは、頷いた。


 それ以上、何も言わなかった。


 男は、紙をしまった。


 しまって、少しだけ迷ってから、こう言った。


「一つ、伺っても」


「ああ」


「あなたは、なぜ何も言わなかったのですか」


 まっすぐな問いだった。


 この男は、いつもまっすぐだ。


 アークは、しばらく考えた。


「言えば、直った」


「はい」


「直ったあと」


 アークは、続けた。


「あんたたちは、

 次も俺に聞きに来ただろう」


 男は、黙った。


「それで直る町は」


「俺が死んだら、また間違う」


 男は、長く黙っていた。


 それから、静かに言った。


「……納得は、していません」


「それでいい」


「ですが」


 男は、頭を下げた。


「覚えておきます」


 出て行った。


 午後、リーナが来た。


 荷を、持っていた。


「隣の町から、

 人が足りないって言われてるの」


「行くのか」


「まだ決めてない」


 リーナは、椅子に座った。


「決めてないけど、

 荷は作ったわ」


「そうか」


「そうか、じゃないでしょ」


 リーナは、笑った。


 少しだけ、笑った。


「行くなとは、言わないのね」


「言わない」


「一生言わないのね、あなた」


 アークは、答えなかった。


 答えないことも、答えのうちだった。


 リーナは、しばらく座っていた。


 窓の外を見ていた。


 それから、立ち上がった。


 立ち上がってから、

 机の上の帳簿を、少しだけ揃えた。


 昔から、その癖がある。


 辺境の診療所にいた頃から、

 変わっていない。


 荷を、持ち直した。


「また来るわ」


「ああ」


 扉が閉まる。


 強くは、閉まらなかった。


 夕方。


 畑のほうから、人が通った。


 辞めた治療師だった。


 もう、治療師ではない。


 鍬を担いでいる。


 診療所の前で、足を止めた。


 入っては、来なかった。


 軽く、頭を下げた。


 アークも、頷いた。


 それだけだった。


 男は、行ってしまった。


 戻ってくるのかどうかは、分からない。


 聞かなかった。


 聞くのは、

 自分の役割ではない。


 夜。


 アークは、帳簿を開いた。


 今日の患者は、二人。


 どちらも、軽い。


 迷ったことは、なかった。


 筆を取った。


 取って、しばらく持っていた。


 それから、置いた。


 書かない日を、選んだ。


 書かないことも、

 残る形の一つだ。


 灯りを落とす前に、

 窓の外を見る。


 遠くの町でも、王都でも、

 紙は今日も配られているだろう。


 欄は、消えた。


 守るために作られたものが、

 守るために消えた。


 消えたあとに、

 何が残ったか。


 監督官の紙に、一行あった。


 署名つきで、あった。


 あの一行は、

 誰にも数えられない場所に書いてある。


 数えられないものは、

 いつか忘れられる。


 忘れられて、また誰かが、

 同じ欄を作るだろう。


 良かれと思って、作るだろう。


 そのとき。


 誰かが気づく。


 棚の下段の綴りを開いて、

 紙の端の日付を追う。


 それをやるのは、

 俺ではない。


 アークは、灯りを落とした。


 暗い中で、

 もう一度だけ思った。


 医療は、答えを残す仕事じゃない。


 判断を、次の人に渡す仕事だ。


 渡したものが、

 どこで詰まるかは、

 渡した側には分からない。


 分からないまま、

 渡し続けるしかない。


 それでいい。


 外は、静かだった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


ここから先は、この半年後の話になります。


——ここに残った紙を、

まだ、誰も読み返していない。


少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、

ブックマーク や 評価 をお願いします。


これからもどうぞよろしくお願いします!


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