第66話 撤回されています
灯りは、ついていた。
扉を叩くと、すぐに開いた。
監督官は、まだ書き物をしていた。
「こんな時間に」
「すみません」
治療師は、懐から紙を出した。
折り目を伸ばして、
机に置いた。
「これを」
男は、紙を手に取った。
読んだ。
最後まで読んで、
もう一度、最初から読んだ。
端の日付を見た。
「……どこに」
「詰所の綴りです」
「綴り」
「王都からの通達を、
順に綴じてあるものです」
男は、紙を持ったまま動かなかった。
「昔からある綴りか」
「たぶん、十年以上」
「誰が管理を」
「誰も」
治療師は、答えた。
「置いてあるだけです」
男は、目を閉じた。
長く、閉じていた。
「……確認します」
それだけ言った。
治療師は、頭を下げて出た。
言うことは、もうなかった。
外に出て、
息を吐いた。
長い息だった。
膝が、少し笑っている。
夜の道に、灯りはない。
それでも、
帰り道は分かった。
確認には、四日かかった。
男は、町を離れなかった。
自分の手元の綴りを全部出して、
日付の順に並べ直した。
夜通し、灯りがついていた。
四日目の朝、
集会所に人が集められた。
医療に関わる者と、
町の代表。
男は、前に立った。
「私の落ち度です」
最初の一言が、それだった。
「当町で用いていた基準は」
「二年前に、
単一の指針としての扱いを取りやめられています」
「私は、
それを確認せずに、
様式の統一を進めました」
誰も、声を出さなかった。
「観察時間の定めは、
現在の指針にはありません」
「症例ごとに、
治療方針を決定することとされています」
男は、頭を下げた。
深く、下げた。
その姿勢のまま、しばらく動かなかった。
薬師が、口を開いた。
「あんたが、
悪いことをしたわけじゃないだろう」
「いえ」
男は、顔を上げた。
「確認するのが、私の仕事です」
「確認しないまま揃えたので、
揃った形で間違いました」
その言い方は、正確だった。
正確すぎて、
誰も慰められなかった。
アークは、壁際にいた。
男の顔を、見ていた。
この男は、逃げなかった。
言い訳を、一つも使わなかった。
最初から、そういう人間だった。
だから、書式を揃えた。
だから、間違いを認めた。
同じ性質が、
両方をやっている。
集まりが終わったあと、
男は治療師のところへ行った。
「あなたの記録が、
いちばん役に立ちました」
「私は」
治療師は、首を振った。
「私は、あの人の腕を」
「ええ」
男は、遮らなかった。
「それは、戻りません」
はっきり、そう言った。
「私も、戻せません」
「ですので」
男は、続けた。
「戻せないことを、
記録に残します」
治療師は、
しばらく黙っていた。
「……はい」
そう答えた。
声は、震えていなかった。
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