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【異世界×医療】回復魔法が効かない患者だけを治す追放治療師 〜現代の手技で、制度に切り捨てられた命を拾う〜  作者: 蒼瀬灯


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第63話 渡したもの

 その夜は、長かった。


 灯りを落とさなかった。


 机の上に、

 古い帳簿が積んである。


 王都から持ってきたものではない。


 持ってきたものは、何もない。


 これは、

 この町で書いたものだ。


 最初の頁を開いた。


判断理由:

迷いがあったため、

今日は結論を出さなかった


 あの日の、一行。


 署名はない。


 書いたのは、自分だ。


 次の頁。


判断理由:

違和感を無視できなかったため


 これも、自分。


 だが、

 この一行を書かせたのは、

 あの治療師の判断だった。


 あの日、

 彼は基準と違う判断をして、

 人を救った。


 助かりました、と言った声が、

 震えていた。


 あれは、良い夜だった。


 良い夜だったと、

 ずっと思っていた。


 ——判断は、君のものだ。


 あの言葉を、

 自分は誇っていたのだろうか。


 考える。


 誇ってはいない。


 だが、

 安心はしていた。


 渡した、と思っていた。


 渡したから、

 もう自分の手にはない、と思っていた。


 ——本当に、渡したのか。


 置いていっただけではないのか。


 判断は、重い。


 重いものを渡すときには、

 受け取る側に、

 置く場所が要る。


 置く場所とは、

 迷っても数えられない場所のことだ。


 自分は、

 王都でそれを作ろうとした。


 判断者名を書け。

 迷いの有無を書け。

 基準外の理由を書け。


 三つとも、

 誰かを守るための言葉だった。


 守るために、書かせようとした。


 書かせる。


 ——書かせる、か。


 アークは、筆を置いた。


 言い方が、違うだけだ。


 書かせるのも、

 書かないと守られないと言うのも、

 同じ形をしている。


 あの監督官が言ったことと、

 自分が評議会で言ったことは、


 どこで、分かれる。


 分かれ目が、見つからない。


 外で、風が鳴った。


 あの公開討論の日、

 自分はこう言われた。


 自分の医療を、信じていますか。


 信じていません、と答えた。


 あれは、正直な答えだった。


 いまなら、

 もっと正確に答えられる。


 私は、自分の残したものを、信じていません。


 残したものは、

 誰かの手に渡ったあと、

 その人を守るとは限らない。


 余白は、余白のままでは残らない。


 誰かが管理しようとする。


 管理しようとするのは、

 たいてい、真面目な人間だ。


 夜が、更けていく。


 立ち上がって、王都へ向かうことはできる。


 馬車の便は、月に一度ある。


 行って、

 誰かに会って、

 基準の日付を確かめればいい。


 簡単なことだ。


 簡単すぎる。


 翌朝、

 アークは広場にいた。


 荷馬車が、荷を積んでいる。


 王都行きだ。


 御者が、こちらを見た。


「乗るのかい」


 アークは、答えなかった。


 荷が積み終わる。


 馬が、鼻を鳴らした。


 御者が、もう一度こちらを見る。


 手綱を、握り直している。


「……いや」


 それだけ言って、背を向けた。


 背中で、車輪の音が遠ざかっていく。


 遠ざかりきるまで、

 振り返らなかった。


 診療所に戻って、

 椅子に座った。


 それをやった瞬間、

 この町の判断は、

 王都から持ち帰った答えになる。


 この町の連中は、

 次からこう言う。


 先生が、王都で確かめてきたから。


 その一言で、

 全部が終わる。


 アークは、灯りを落とした。


 落として、暗い中に座っていた。


 自分にできることは、

 何もしないことだけだ。


 何もしないことが、

 いちばん正しいはずだった。


 その正しさに、

 いま、腕の上がらない男が一人いる。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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