第62話 基準どおりです
治療師が来たのは、その翌日だった。
扉は、叩かれなかった。
開いていたからだ。
入ってきて、立ったまま言った。
「診られたそうですね」
「ああ」
「あの患者を」
「頼まれた」
治療師は、頷いた。
頷き方が、硬い。
「腕は」
「肩までは上がる」
「そこから先は」
「戻らない」
沈黙。
治療師は、しばらく黙っていた。
それから、
息を吸って、こう言った。
「基準どおりです」
アークは、顔を上げた。
「初期反応は、確認しました」
治療師は、続ける。
「確認したので、
対象症例ではありません」
「対象症例でないなら、
通常の手順です」
「記録にも、そう書きました」
言葉が、途切れない。
用意してきた言葉だった。
「間違って、いません」
「ああ」
アークは、答えた。
「間違っていない」
治療師の顔が、
わずかに歪んだ。
肯定されるとは、
思っていなかったのだろう。
「……なら」
「なんだ」
「なら、どうして」
言葉が、詰まる。
「どうして、あの人の腕は」
アークは、答えなかった。
答えるべきことが、
あるようで、なかった。
「私は」
治療師は、床を見た。
「私は、間違っていません」
その言い方を、
どこかで聞いたことがある。
——最善を、尽くしました。
王都の郊外。
倉庫を改装した建物。
丁寧な物言いの、管理者の男。
あのとき、
自分はこう言った。
最善は、結果じゃない。過程だ。
言ってから、
もう何年も経っている。
同じ言葉が、
いま、目の前にある。
あの管理者の口からではない。
判断を渡した相手の口から出ている。
アークは、椅子から動かなかった。
動けなかった、
というほうが近い。
「……先生」
治療師が、呼んだ。
やめてくれ、とは言わなかった。
「あの日」
治療師は、顔を上げた。
「相談に行った日です」
「ああ」
「判断は、私のものだと言われました」
「言った」
「私のものにしました」
声が、震えている。
「私のものにして、
基準どおりにしました」
「それの、どこが間違いですか」
アークは、
口を開かなかった。
開けば、教えることになる。
開かなければ、
この治療師は、この場所に立ったままだ。
どちらも、選べない。
治療師は、待っていた。
待って、待って、
それから、諦めた顔をした。
「……分かりました」
「何が」
「分かりません」
治療師は、そう言い直した。
「本当は、何も分かりません」
背を向けて、出て行った。
扉は、開いたままだった。
アークは、
そこに座っていた。
夕方まで、座っていた。
基準は、あの治療師を守った。
守った結果、
男の腕が上がらなくなった。
守らなければ、
治療師が数に立った。
どちらかしか、選べない。
そういう作りになっている。
誰が作った。
あの監督官ではない。
あの男は、届いたものを、
丁寧に運んだだけだ。
王都で作られた。
作った場所に、
自分は、いた。
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