第53話 一刻という単位
言葉は、雑談の中に出た。
診療所の土間。
若い治療師が、
新しい様式の話をしていた。
書き方が難しいとか、
欄が小さいとか、
その程度のことだ。
「あとは、時間ですね」
「時間」
「観察の時間です」
治療師は、なんでもないことのように言った。
「一刻以内に判断せよ、と」
アークは、手を止めた。
「……なんだって」
「一刻です」
治療師は、繰り返した。
「基準に、そう書いてあります」
「見せてくれ」
声が、少しだけ低くなった。
治療師は、驚いた顔をした。
それから、
持っていた綴りをめくった。
判断医療・暫定基準
・対象症例:回復魔法の初期反応が見られない場合
・観察時間:一刻以内
・判断後は、原則として介入を行わない
・経過は数値で記録すること
同じだった。
一字も、変わっていない。
アークは、その紙を長く見ていた。
「……これは」
「何か、まずいですか」
治療師が、聞く。
アークは、答えなかった。
答えられなかった。
この基準は、王都で作られた。
そして、押し返した。
単一の指針としては扱わない、と、
文書に残ったはずだった。
その日、屋上で風が強かったことも、
覚えている。
だが。
あれから、どれだけ経った。
王都で何が起きたかを、
自分は知らない。
名簿から名が消えて以来、
一枚の通達も届いていない。
撤回されたはずだ、と思う。
思う、というだけだ。
だが、
確かめる手段が、ない。
「先生」
治療師が、呼んだ。
その呼び方は、やめてくれ、と、
前に言ったことがある。
今日は、言わなかった。
「これ、古いものですか」
まっすぐな問いだった。
アークは、
紙から目を上げた。
ここで、
古いと言うことはできる。
言えば、この治療師は信じるだろう。
そして、そこから先は、
全部こちらの言葉になる。
何を信じ、何を疑うかを、
こちらが決めることになる。
——それを、やらないと決めたはずだ。
「分からない」
アークは、そう言った。
嘘では、なかった。
「分からない、ですか」
「ああ」
「先生でも」
「俺は、王都にいない」
それが、答えの全部だった。
治療師は、少し不満そうな顔をした。
だが、
それ以上は聞かなかった。
綴りを閉じて、
抱え直して、
帰っていった。
夜。
アークは、灯りを落とさずに座っていた。
一刻。
短い。
あの基準で救えない患者を、
自分は知っている。
名前も、顔も、覚えている。
立ち上がって、
王都へ手紙を書くことはできる。
誰に。
基準策定への関与は、禁じられている。
処分は、解かれていない。
いや。
禁じられていなかったとしても、
同じことだ。
この町の判断を、
王都に問い合わせて決めるなら、
それは、
この町の判断ではなくなる。
アークは、灯りを落とした。
暗い中で、
もう一度だけ思った。
届いていないのかもしれない。
あるいは、
届かなかったことに、
誰も気づいていないのかもしれない。
どちらにしても、
気づくのは、俺じゃない。
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