第51話 記入という義務
様式は、一枚の紙で来た。
新しい記録用紙だ。
枠がある。
欄がある。
番号が振ってある。
これまでの帳簿は、
罫線しかなかった。
若い治療師は、
それを机に広げて、しばらく眺めた。
欄の一つに、見覚えのある言葉がある。
判断理由
これまでと、同じ語だ。
違うのは、
その下に小さく添えられた一行だった。
※本欄は必ず記入すること。
「必ず」
声に出して、読んだ。
監督官は、その日の午後に来た。
診療所ではなく、
治療師の詰所のほうだ。
「使い方は、難しくありません」
男は、用紙を指した。
「これまで書いておられたことを、
この欄に書けばいいだけです」
「……はい」
「一つだけ、変わります」
男は、丁寧に言った。
「空欄を、許さないことにしました」
治療師は、顔を上げた。
「書くことが、ない日もあります」
「ええ」
男は、頷いた。
「その日は、『特になし』と書いてください」
それだけのことだった。
「なぜ、必須に」
治療師が、聞いた。
男は、少し考えてから答えた。
「空欄は、守ってくれないからです」
「守る」
「後で問題になったとき」
男は、言葉を選んでいる。
「書いていないと、
あなたが何を考えていたか、
誰にも分かりません」
「書いてあれば、
あなたを守れます」
治療師は、黙った。
その理屈は、
どこも間違っていない。
「面倒をおかけします」
男は、頭を下げた。
本当に、下げた。
その夜、
治療師は新しい用紙に向かった。
その日の患者は、三人。
どれも、軽い。
欄を埋めていく。
日付。
症状。
処置。
最後の欄で、手が止まる。
判断理由
これまでは、
書きたいときに書いていた。
書かなかった日のほうが、多い。
書いたのは、
迷った日だけだった。
今日は、迷っていない。
しばらく考えて、
治療師はこう書いた。
判断理由:
基準どおりの症例であったため、
特に迷いはなかった
書いてみると、
少し、据わりが悪い。
だが、
嘘は書いていない。
筆を置いた。
欄は、埋まっている。
空いているところは、
どこにもない。
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