第47話(最終話) 判断を残す者
朝は、静かだった。
地方の町に、
特別な出来事は起きない。
鐘が鳴り、
人が動き、
同じ一日が始まる。
アークは、簡素な診療室の椅子に座っていた。
机の上には、
帳簿と、
何も書かれていない紙。
扉が、控えめに叩かれる。
「……失礼します」
入ってきたのは、
若い治療師だった。
以前から、
時々ここを訪れる人物だ。
「相談があります」
「聞く」
アークは、短く答えた。
治療師は、言葉を選びながら話す。
「基準では、
様子を見ることになっています」
「でも」
「どうしても、
嫌な感じがして」
数値は、悪くない。
症例も、想定内。
だが、
引っかかる。
それが、
彼の言葉だった。
アークは、質問しない。
答えもしない。
ただ、
治療師の顔を見る。
恐怖。
責任。
迷い。
全部が、そこにある。
「……どうすれば」
治療師が、問いかける。
アークは、しばらく沈黙した後、
静かに言った。
「判断は、君のものだ」
それだけだった。
治療師は、深く息を吸う。
「……分かりました」
そして、
自分の診療室へ戻っていった。
アークは、追わない。
結果を、聞きに行かない。
それも、
自分の役割じゃないからだ。
昼過ぎ、
町の空気が、少しだけ変わった。
慌ただしさはない。
悲鳴もない。
ただ、
静かな動き。
夕方、
治療師が戻ってきた。
「……助かりました」
声は、震えている。
「基準とは、
違う判断でした」
「そうか」
それ以上、
言葉は交わさない。
アークは、
帳簿を開いた。
そして、
一行だけ書く。
判断理由:
違和感を無視できなかったため
署名は、ない。
評価も、
承認も、
賞賛もない。
ただ、
残る。
夜、
診療室の灯りを落とす。
アークは、窓の外を見る。
遠くの町でも、
王都でも、
判断医療は続いているだろう。
歪みも、
失敗も、
これからも消えない。
それでいい。
医療は、
世界を正しくしない。
人を、
完璧に救わない。
それでも。
誰かが迷い、
立ち止まり、
自分で決める。
その連なりが、
世界を壊しきらない。
アークは、
その連なりの端に立つ。
教えない。
導かない。
ただ、
判断が残る場所を、
見守る。
医療は、
答えを残す仕事じゃない。
判断を、次の人に渡す仕事だ。
それだけを残して、
彼は、今日も椅子を引いた。
(完)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語には、
分かりやすい悪役も、
胸のすく大逆転も、
世界が救われる瞬間もありません。
代わりに描きたかったのは、
「正しさが、人を救わないことがある」
という、とても扱いにくい事実でした。
医療に限らず、
制度、ルール、基準、正義。
それらは本来、人を守るために作られます。
けれど一度形を持つと、
いつの間にか「従わせるもの」へ変わってしまう。
主人公アークは、
天才でも英雄でもありません。
むしろ最後まで、
「答え」を出すことから逃げ続けた人物です。
彼が残したのは技術ではなく、
思想でもなく、
ましてや流派でもありません。
ただ、
立ち止まっていい理由
迷っていい余地
それだけでした。
それはとても弱く、
とても不完全で、
すぐに失われてしまいそうなものです。
でも私は、
世界が壊れきらずに続いていく理由は、
いつもそういう「弱いもの」だと思っています。
もしこの物語を読み終えたあと、
どこかで
「本当にこれでいいのか」
「一度、考えてみよう」
そう感じる瞬間があったなら。
それが、この物語の結末です。
最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
——判断を、あなたへ。




