004. イベントライブに向けて(1)
芸能人のマネージャーというのは想像以上に大変な職業である。スケジュール管理はもちろんのこと、歌やダンスの練習風景の見学、レコーディングの立ち合いなど多岐に渡る。加えて、スキャンダルを防ぐため、日々の行動を把握、体調面にも気を配り常に万全の態勢で仕事をさせる義務がある。
そんな激務をまだ高校1年生の兼木龍之介がこなしているのだ。普通に考えれば過労死してもおかしくない。
だが、龍之介はその激務をこなしながらも学業も怠らない。朝は5時起きで勉強をし、学校では授業中に居眠りをせず、放課後は膨大な仕事をこなさなければならないため睡眠時間を削ってまで仕事を行う。夜は24時に寝て朝5時に起きるという地獄の生活リズム。
「あぁー、マジでしんどい……」
僕は今、音楽会社のスタジオにいた。そして、目の前ではデビューを飾る新人アイドル歌手である西宮優里の歌の収録が行われていた。
ちなみに、今日が初めてのレコーディングだったりするのだが……、さすがプロといったところか。堂々とした振る舞いと声量でスタッフたちを魅了している。
「お疲れ様です。相変わらず目が死んでますね。若いのがそんな表情してたらこっちまで悲しくなりますよ。これ飲んでください!」
「ありがとうございます」
休憩中に社員の方から差し入れでもらった缶コーヒーを受け取り、プルタブを開けて一口飲む。
コーヒーの苦みが口に広がり、疲れた身体に染みる。それと同時にさっきまでの眠気が一気に吹っ飛んだ。この感覚はなんとも言えない快感である。
「それにしても、いつ聞いても凄いですね」
「えぇ……、本当に高校生なのか疑うレベルですよ」
彼女の歌には圧倒される。素人の僕でもわかるほどの圧倒的な存在感。他のアイドルとは一線を画していきそうなほどの才能を感じる。
これは間違いなく世界を震撼させるアイドル歌手になっていくだろう。
僕はそう思いながら、もう一口コーヒーを口に含む。すると、隣にいる社員の方がグッと僕の方に顔を近づけてきた。
「確かにね。あれだけ可愛いのに歌も踊りも超一流なんだから才能の塊だよね」
彼女が凄いのはそれだけではない。元からの歌唱力はさておき、並々ならぬ努力でそれを輝かせている。早朝にランニングを行って体力作り、その後に練習スタジオで発声練習をして、ダンスレッスンも欠かさない。超一流になる人間というのは、自分の輝きを保つために努力を惜しまない。
西宮優里は歌を愛し、ダンスを愛している。更なる高みを目指すために……。
所属事務所である「西宮プロダクション」の方針として、アイドルグループ所属ではなく、ソロでの活動を前提としてプロデュースしている。
彼女の歌唱力はグループで活動するメリットよりもデメリットの方が大きいというのが理由らしい。
僕は彼女に対して素直に尊敬の念を抱いていた。あの約束から僅か数年でここまで登り詰めて来るとは思わなかった。
まあ、マネージャーとして、僕には優里のデビューに向けたプランが脳内にはあった。
まずは、CDデビューから始めて、徐々に露出を増やしていく予定だったのだが……、いきなり話題作のアニメ主題歌に抜擢されてしまったのは予想外だった。
僕が勧めた動画配信サイトでの歌ってみたの動画が大反響を呼び、大手音楽事務所からお声がかかり、西宮プロダクションの後押しもあり、とんとん拍子で歌手デビューが決まった。
主題歌が話題になればイベントでの歌手出演も増えるだろうし、何より知名度が上がることは間違いない。
彼女は間違いなくスターへの階段を駆け上がっている最中だ。それもトップクラスのスピードで……。
「優里、お疲れ様!」
収録が終わるとすぐに西宮優里が僕のところに走ってきた。収録はNGなく順調に進み、予定時刻よりも早く終わったようだ。
「バッチリだった。私、この漫画読んだことあるんだけどすっごい面白くてさ、今度貸してあげるから龍之介も読んでね。でさ、そのアニメの主題歌を任せてもらえてるなんて光栄だし、嬉しいよね」
「分かったから、一旦落ち着け!」
興奮冷めやらぬ様子で早口で捲し立てる彼女にストップをかける。彼女は少し不満げな表情を浮かべたが、とりあえず落ち着きを取り戻したようで、深呼吸をする。
優里の気持ちはよく分かる。好きだった原作のアニメの主題歌歌えるとか夢のような話だ。原作漫画は現在ネットで話題沸騰中、アニメ化の告知では告知後にSNSの世界トレンドに乗るほどの人気ぶりだった。
「この後の予定って何か入ってたりする?」
「いや、今日は曲の収録だけだ。明日は雑誌のインタビューがあるけどな……」
「じゃあ、帰ろうか」
「そうだな」
僕はスマホを取り出し、Outlookのアプリを立ち上げる。そこには今後のスケジュールが細かく記載されており、仕事の状況が一目でわかるようになっている。
「えっと……、明日は15時から雑誌インタビューで、18時にアニメイベントの打ち合わせか……」
「た、大変だね」
「雑誌のインタビューは優里が頑張るんだからな?」
「分かってるよ。任せておいて!」
そう言って胸を張る優里。その姿は自信に満ち溢れていた。僕は鞄を持って立ち上がる。
そして、優里と共にスタジオを出て、テレビ局の駐車場へと向かう。呼んでおいたタクシーに乗り込み、助手席座って行き先を伝える。
後部座席に腰掛ける優里はサングラスに帽子を被っていた。念のための変装である。
最近は何かと物騒だからな……、有名人は様々なリスクを考慮して行動しなければならない。
「ねぇ、今日の夕飯は家で食べるでしょ?」
「あぁ、そのつもりだけど……」
「そっか、なら良かった。今日はお父さんが帰ってこないからさ……、夕飯どうしようかと思ってたんだけど」
「そんなに手の込んだものは作れないぞ?」
「いいよ。簡単なもので。私も手伝うからさ」
優里のお父さんが仕事で帰れない日は、龍之介が家に行って夕飯を作ることがある。といっても、そんなに凝ったものは作ったことがないのだが……。
(普段は優里の父親が料理を作ってるんだよな……)
優里の母親は優里が小さい時に病気で亡くなっており、それ以来はずっと父親と二人暮らしらしい。家事全般は優里の父親が担っていると聞かされている。
あの西宮プロダクションの社長が娘のために家事をやってるっていうのがどうにも想像しがたい。
(まあ、優里に料理をやらせるよりかはマシか……)
「なんか、失礼なこと考えてるでしょ?」
「別に何も考えていない」
もう長い付き合いだ。互いに考えていることを段々と察するようになってきた。僕は彼女の問いを軽く流して窓の外に視線を移す。
大きなビルが立ち並び、街灯が煌びやかな夜景を作り出す。この光景を見るといつも思うことがある。自分が今いる世界がどれだけちっぽけな存在かということを……。
僕は普通の高校生だ。勉強も運動もそこそこ、容姿も普通、性格も人並み、趣味だって特にない。唯一の特技はもう数年間やっていない。
ただ、今は西宮優里のマネージャーをしてる。ただそれだけのどこにでもいるような平凡な高校生なんだ。
気づけば自宅近くの駅前まで着いていた。高級住宅が立ち並ぶ、白金高輪駅の近くには西宮プロダクションが所有しているマンションがある。
インフォメーションのオートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押し、エレベーターは上昇していく。
「ここのセキュリティー凄いよね」
「そりゃ、高級マンションだからな」
優里は西宮プロダクションが所有するマンションに父親と一緒に住んでいる。
ただ、優里の父親もプロダクションの社長であるため、最近は忙しくてほとんど家に帰れていないらしい。
僕は玄関のドアを開けて優里を先に部屋に入れる。そして、龍之介は今日の夕飯を何にするかを冷蔵庫の余り物を見て考え始めていた。




