032. 初恋と過去の因縁(3)
僕はゆきを家まで送っていくことにした。事務所から白金高輪駅まで歩いて、そこから電車に乗ってゆきの最寄り駅である自由が丘駅に向かう。
自由が丘駅のホームは時間も時間なのであまり人がいなかった。
「わざわざごめんね、龍之介」
「気にするなって」
「でも、いつもありがとう」
「まあ、これくらいしかできないからな」
自由が丘駅は東横線と大井町線が乗り入れており、都心に出るにも便利な場所だ。
また、目黒区自由が丘と世田谷区奥沢にまたがる繁華街として知られる自由が丘地区の中心であり、おしゃれなカフェや話題のファッション・インテリアショップが集まり、スイーツやグルメの百名店も多い洗練された街である。
「ゆきは高校生から一人暮らし始めたんだよな……。自由が丘駅だと学校通うの楽だな」
「うん、結構便利だよ。朝もそんな早くないし、家賃は高いけどね」
「それでも親元を離れるってすごいことだと思うぞ」
僕は感心しながら言うと、ゆきはどこか照れくさそうな表情を浮かべる。
自分は一人暮らしはまだする気は起きない。家事とか全部自分でやらなくてはいけないのは大変だし、それを卒なくこなしている母親の偉大さが改めて分かる。
「私だって最初は不安だったよ。お母さんが一緒に住むって言ってくれたんだけど……、私は断ったの。甘えっぱなしになるのが嫌でさ……。それに、自分の力で生きてみたいって思ったの」
「そっか……」
「塞ぎ込んだ時期もあったけど、今は毎日が楽しいし、充実している」
「それはよかった」
「だから……、本当に感謝してるんだからね。私のために色々としてくれて……」
改札を抜け、自由ヶ丘の商店街を歩きながら僕たちは会話をする。僕としては当たり前のことをしただけなのだが、ゆきはそんな僕に感謝してくれる。その気持ちは素直に嬉しい。
商店街を抜けると閑静な住宅街に入り、ゆきの住んでいるマンションが見えてきた。ゆきの家はマンションの一室でセキュリティー面もしっかりしており、防犯カメラやオートロックなど完備されている。
僕はマンションの玄関前までゆきを送り届けると、ゆきは何かを思い出したように口を開く。
「じゃあ、また日曜日ね」
そう言い残すとゆきは小走りでマンションの中に入っていき、エレベーターに乗り込む。僕はその後ろ姿を見えなくなるまで見守っていた。
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日曜日、ゆきと待ち合わせの場所に早めに到着した僕は腕時計で時刻を確認する。約束の時間より少し早いが、ゆきが既に待っている可能性もあったので周囲を見渡すと、やはりゆきがいた。
今日のゆきは普段よりも大人っぽい服装をしていた。白のワンピースに水色のカーディガンという清楚な雰囲気を感じさせるコーデである。ゆきの綺麗な黒髪とマッチしていてよく似合っている。
僕が声をかけると、ゆきは嬉しそうに駆け寄ってくる。
「待ったか?」
僕がそう言うとゆきは首を横に振る。それから僕とゆきは渋谷駅に向かい、映画館へと向かう。映画のタイトルはゆきから聞いており、最近公開されたばかりの恋愛映画である。
僕らはチケットを見せて、飲み物を買ってスクリーンに入った。映画館に誰かと一緒に行ったのはいつぶりだろうか……。思い出せないほど昔の話だ。
映画館には独特な雰囲気がある。上映が始まる前のあの独特の緊張感と高揚感はなんとも言えない。僕は座席に座り、一息つくとゆきは僕の顔を覗き込んでくる。
「どうかしたのか?」
「いや……、なんかこうして二人で出かけるのは新鮮だなって思って……」
そう言えばそうだな……。最近は仕事ばかりでプライベートで遊ぶこともなかったし、今日はゆっくりと映画を楽しむとしよう。
それから、映画の上映時間になり、照明が落ちると僕は静かにスクリーンに視線を向ける。それからしばらくして、ゆきの方を見ると、ゆきは目をキラキラさせながら映画に夢中になっていた。
映画の内容はいわゆる王道のラブストーリーであり、二人の男女がすれ違いながらも徐々に距離を縮めていき、やがて恋仲になるというものだった。
恋愛感というものに疎い自分だが、この物語はとても良いものだと感じることができた。特にラストシーンの夕焼けをバックに二人が手を取り合うシーンは涙なしでは見られない。
エンドロールが流れ、劇場内が再び明るくなると僕は大きく伸びをした。
主演の女優は演技も上手いし、脚本も面白かった。僕は隣に座っているゆきの方を見る。ゆきは感動の余韻に浸っているようで、頬を紅潮させていた。そして、僕と目があうと恥ずかしそうに微笑む。
「今後の演技の参考になりそうか?」
僕が尋ねるとゆきは小さく首肯する。映像作品には不思議な力がある。見ている人を惹きつけるような魅力があり、魅力は活力に変わっていく。何かをしようという意欲を沸かせてくれる。
きっと、ゆきも映画を見て何かを感じ取ったに違いない。
映画を見た後、僕たちは近くのカフェでお茶をしながら感想を言い合った。道玄坂方面にあるいつも行きつけの喫茶店だ。店内は落ち着いた雰囲気で、コーヒーのいい香りが漂っていた。
僕たちが注文したのはアイスコーヒーで、ゆきはミルクとシロップをたっぷり入れて飲んでいた。映画の話をしばらくした後、僕は気になっていることを尋ねてみた。
それは、ゆきの今後についてだ。笹川ゆきには未来がある。今はまだ芽吹いているだけの種だ。ならば、これからどのように花を咲かせていくのか、僕がプロデュースする上で彼女がどんな女優になっていきたいのか……。それが知りたかった。
すると、ゆきはカップを置いて真剣な表情でこちらを見つめる。
それから、ゆきは自分の想いを語り始めた。自分が将来なりたいもの、目指したいものをはっきりと口に出す。その瞳からは強い意志を感じる。夢を語る時の強い瞳は優里と同じである。
彼女には憧れの女優がいるらしい。その人の名前は櫻木涼子という。
子役時代から活躍している人で、今もなおトップクラスの人気を誇っている。何本もの人気番組に出演し、ドラマ、CM、雑誌とあらゆるメディアで活躍する国民的女優の一人で、ゆきにとっては目標の人物なのだとか。
彼女は演技だけでなく歌も上手く、バラエティ番組にも度々出演しており、今でも根強いファンが多い。ゆきはその人のようになりたいと強く願っており、いつかは彼女のように日本を代表するような大スターになりたいのだと言う。
「だから……、私はもっと頑張らなくちゃいけないの。私を認めてくれた人達のために、私のことを認めてくれない人達を納得させるくらいの演技ができるようになってみせる」
そう語るゆきの瞳は真っ直ぐで、とても眩しく思えた。僕はゆきの夢を応援すると決めている。そのために僕ができることならなんでも協力するつもりだしな。
それから、僕らは喫茶店を出て、渋谷の街を歩く。ゆきは終始楽しそうに笑みを浮かべており、充実した一日だったのだとわかる。僕としても久しぶりにリラックスできたし、ゆきと遊べてよかった。
渋谷駅で解散することになり、僕はゆきに手を振る。すると、彼女は別れ際にこう言ってきた。
「いつか、龍之介に私が主演の映画を一緒に観てもらうからね」
ゆきはそう言って悪戯っぽく笑う。僕も思わず口元を緩めてしまう。それはぜひとも実現してほしいものだ。
そして、僕はゆきの背中が見えなくなるまで見送った。




