(2)
セリカは運転手つきの車に僕を乗せると、自分の家に招き入れた。
広大な庭を構えた、お屋敷と呼ぶほかない大きな邸宅だった。
そこで彼女は、僕にお茶までふるまってくれた。
どうしてここまでしてくれるのか、まるで見当もつかない。
それでも僕は、彼女のまとう不思議な雰囲気に呑まれるように、いつしか胸の内のすべてを打ち明けてしまっていた。
「そういうことだったの」
ひととおり話を聞き終えると、セリカは静かに言った。
「なかなか厳しい状況ね。――今ここで、わたしが有川君に優しい言葉をかけるのは簡単。でも、それじゃあきっとあなたを救えない。はっきり言うけど、今のままで七瀬さんを取り戻すのは、ほとんど不可能でしょうね」
「………………」
「佐々木龍吾先輩。確かに彼は、あらゆる面であなたより秀でている。わたしが見ても格好いいと思うし、二人はお似合いのカップルよ。――でもね、七瀬さんがあなたから離れていった本当の原因は、佐々木先輩じゃないと思う」
「え?」
「あなたが、何も行動しなかったこと。あなたがあまりにも臆病だったこと。それが根本の原因よ。――ねえ、そんなに七瀬さんを想っていたのに、どうして今まで告白しなかったの? 機会なら、いくらでもあったはずでしょう?」
その言葉に、目頭が熱くなった。
こぼれそうになる涙を抑えきれない。
「ほんの少しの勇気で、道は開けたかもしれないのに。ね」
「……その通りだよ」
消え入りそうな声で、僕は答えた。
「こうなったのは、当然の結果なんだ」
理奈に対して、何ひとつできなかった自分。
幼なじみという立場に、ただ甘えていただけの自分。
情けなくて、やっぱり本気で死にたくなった。
「さて――」
セリカは立ち上がり、両手を後ろで組むと、ゆっくりと部屋を歩き始めた。
「あなたを救うには、どうしたらいいのかしらね」
「……もういいよ」
「いいえ。ここまで事情を聞いてしまった以上、引き下がれないわ」
「いいから、もう止めてくれ!」
「静かに」
セリカは突然くるりと振り向き、突拍子もないことを口にした。
「有川君。――いっそ死んだ気になって、異世界に行ってみない?」
「は?」
「どうせ死ぬつもりだったんでしょう? それだけの覚悟があるのなら、異世界に行って人生をやり直せばいいのよ」
いきなり何を言い出すんだ、この人は。
頭がおかしいんじゃないか……?
僕はポカンと口を開けて、セリカの顔を見上げた。
「実はね、わたし――人を、その人が望む世界に送り込むことができるの」
「……へえ」
「だからあなたにピッタリの、あなたが力を発揮できる世界へ誘ってあげる。さあ、どんな世界に行ってみたい? 宇宙を自由に駆けめぐるSFの世界? それとも、剣と魔法の冒険ファンタジーの世界かしら」
「どっちもちょっと……」
「うーん、少し古くさかった? じゃあいっそ、アニメやマンガにあるような、美少女に囲まれるハーレム異世界はどう?」
「いや、それも遠慮しとくよ。……でも、あえて言うなら――ネットゲームの世界がいいかな」
「ネットゲーム?」
「『アナザーデスティニー』っていう、僕がハマってるMMORPGなんだけど」
「ああ、それなら、わたしも知ってるかも」
「ゲームの中で僕は、白魔法使いをやってるんだ。そしてそこでは、僕は確かに自分が必要とされてた。自分がここにいていいんだって、そう実感できたんだ。……いっそゲームの世界が現実になればいいって、本気で思ったこともあるよ」
「いいわ。それこそ、有川君の力を生かせる最高の場所よ」
セリカは目を輝かせて言った。
「……あのさ、それ、本気で言ってるの、清家さん」
「もちろん。そうと決まったら急がなきゃ。わたしの力を見せてあげる。さあ、こっちに来て」
セリカに導かれてたどり着いたのは、安楽椅子が一脚だけ置かれた、殺風景な部屋だった。
あまりに展開が速い。
もはや、されるがままだ。
けれど、セリカがあんまり真剣なものだから、なんだか本当に異世界へ行ける気もし始めていた。
「さあ、その椅子に座って。――あ、一つ言っておくけど、こっちの世界と向こうの世界は平行している。いわゆるパラレルワールドなの」
「パラレルワールド?」
「そう! とはいっても、向こうからいつでも連絡が取れるし、戻ってもこられるから安心してね」
なんだよ。戻ってこられるのか。
少し拍子抜けだ。
この手の異世界というのは、一度行ったら二度と戻れない、というのが相場だと思っていたから。
「でもさ、異世界からの連絡って、どうすればいいんだよ」
「簡単よ。向こうへ行くとき、いっしょにスマートフォンも転送するから、それで連絡して」
なんだそりゃ。
スマホまで使えるのか。
「ただし――あなたが望んだのは、剣と魔法が支配する冒険の地。ケガをすることも、場合によっては命を落とすことも、こっちの世界よりずっと起こりやすいと思う。その覚悟は、ある?」
「……覚悟するも何も。どうせ死ぬつもりだったんだ。今さら構わないよ」
「いい心構えね。じゃあ、さっそく始めましょうか」
セリカはニッコリと笑った。
それは屈託のない、愛らしい笑顔に見えた。
けれど――いまにして思えば、あれは悪魔の微笑みだったのかもしれない。
「じゃあ、これを飲んで」
セリカが差し出したのは、緑色の液体で満たされたグラスだった。
「これを飲むと、しばらく意識を失うわ。そして目が覚めたとき、あなたは異世界にいる。剣と魔法が支配するファンタジーの世界にね」
グラスを受け取り、中身をのぞき込む。
見るからに怪しげな液体だ。これをいきなり飲み干すのは、さすがにためらってしまう。
「毒じゃないから大丈夫。ただの催眠導入剤みたいなものよ。あなたを異世界へ飛ばすのに、どうしても必要なプロセスだと思って」
もう、深くは考えるまい。
ここまで来て、後戻りなんてしたくない。
この世に未練なんて何ひとつないのだから。
「……わかった。飲むよ」
そう言って、僕は液体を一気にあおった。
たちまち意識がもうろうとして、頭の芯がほわぁんと痺れていく。
そんな僕の耳元に、セリカがそっとささやいた。
「有川君。最後に一つだけ、約束して。――向こうの世界に行っても、現実世界のことは、絶対に向こうの人たちに話しちゃだめ」
「……なぜ?」
「さもないと、恐ろしいことが起こるから」
「?? ……よくわかんないけど、わかったよ」
「よろしい。やっぱり有川君は、わたしの見込んだとおりの人みたいね。――あなたが思い描けば、それはそこにある。じゃあ、頑張って」
その言葉を聞いた瞬間、僕の意識は、完全に闇へと落ちた。




