protocol8 : 貴族の影 ー アイアンレッド魔導演習隔離区域
空が青かった。
雲一つない快晴の正午。
澄んだ空気が草原を渡り、遠くの森林の葉を揺らしている。
丘の上に建つ純白の屋敷は、その光の中で絵画のように白く輝いていた。
屋敷の前には、上等なスーツやドレスに身を包んだ紳士淑女が数十人集まっていた。
純白のテーブルクロスが敷かれたテーブルが幾つも並び、
サンドイッチ、ローストビーフ、色とりどりの前菜。
高級な酒のボトルがグラスの隣に整然と置かれている。
給仕が静かに動き、グラスが空になる前に注ぎ足す。
どこかの貴族の園遊会と言われれば、そう見える光景だった。
その集団の前に、一人の少女が進み出た。
淡い青の長髪にカチューシャ。紫色の瞳。
童顔で小柄な体に、白黒のゴシックドレスを纏い、
白いタイツに黒いガーターベルト、黒い靴。
年齢は十七に見える。
だが、その場に集まった数十人の視線を受けても、表情一つ動かない。
両脇に長身のメイドを従え、彼女は口を開いた。
「王立聖グレイディス魔法学院・魔法素材合成学の講師を
させていただいております、ギレーネ・ブロンズです。
私の主催する屋外魔法演習にご参加くださり、誠にありがとうございます」
声は澄んでいた。よく通る。
「魔法の腕を存分に発揮できるような、
学院では行われない様々な催しをご用意させていただきました。
皆様を飽きさせることはないことを保証いたします。
また、ささやかではありますが、軽食とお飲み物もご用意いたしました。
魔法演習の準備はもうじき終わりますので、
それまでご歓談しながらご自由にお召し上がりください」
一呼吸置いて、静かに微笑んだ。
「この会が有意義なものであることを心より願っております。
皆様に、創世神グレイディスの加護があらんことを」
拍手が起きた。
貴族たちが思い思いに食事を取りながら、声を交わし始める。
「ギレーネ様は十七歳で当主となられたそうだ」
「実に優秀で、将来が楽しみですわね」
「それに、非常に美しい。ぜひうちの倅と婚姻を結ばせたいものだが」
「いや、身分が違い過ぎますよ。我々マナレベル2の貴族など、相手になりません」
「というと?」
「ブロンズ家はマナレベル3の上位貴族だ。
噂によると、レベル3の中でもマナ量がかなり多いそうで、
最上位のマナレベル4、つまり王族にあと一歩のところだとか。
近々、マナレベル更新試験を受けるそうだ」
「王族になるかもしれないということか」
「今のうちに交流を深めておいたほうがよさそうですわね」
和やかな笑い声が上がる。
その笑い声の横で、ギレーネのメイドたちが静かに動いていた。
大きな檻を乗せた馬車が、幾台も運ばれている。
給仕が料理を並べるのと変わらない動作で、淡々と。
その檻の中に、人がいた。
老若男女、問わない。十代から八十代まで。
服とも呼べないようなボロ切れを纏い、
眼が虚ろな者、震えている者、泣き声を殺している子供。
それらを詰め込んだ複数の檻が、森林の手前に規則的に配置されていく。
貴族たちが気づいて振り向き、目を細めた。期待の目だった。
ギレーネが声を上げた。
「皆様、長らくお待たせいたしました」
笑みは変わらない。柔らかく、丁寧で、何の感情も読めない。
「彼らは、私の領地で所有していたマナレベル0、奴隷です。
記録上、既に死亡扱いとなっております。
この魔法演習でどのような扱いをしてもかまいません。
どうぞ、奴隷狩りをお楽しみください」
さらりと言った。
「なお、この森林には特殊な結界を張っておりますので、
火気を使用した魔法も問題ありません。
確保した奴隷は持ち帰ってもかまいません。
それでは、これより魔法演習を始めます」
パチン、と指を鳴らした。
檻が、外側に向かって倒れた。
奴隷たちが、一目散に森林へ走った。
転びながら、叫びながら、押し合いながら。
老人が転倒し、子供が引き起こす。
それでも走る。走るしかない。
貴族たちが笑いながらそれを追いかけた。
魔法の光が走り始める。炎、雷、衝撃波。
笑い声と、悲鳴が混ざり合い、快晴の青空の下に広がっていった。
その中に、一人だけ動かない貴族がいた。
小太りで、悪趣味な金の装飾を全身に散りばめた、背の低い五十代の男。
黒髪に黒い瞳。他の貴族たちが森林へ向かう中、その男だけが気まずそうな顔で立ち尽くしていた。
ギレーネの視線が、その男を捉えた。
「ジョン・ゴルディ子爵」
柔らかい声だった。
「少し、お話よろしいかしら」
男の背筋が、ビクッと跳ねた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ギレーネの私室。
赤い絨毯の上に、純白の壁。
窓から差し込む午後の光が、フリルと可愛らしい装飾の施されたベッドを照らしている。
部屋の主人は椅子に座り、足を組み、テーブルの上で指先を組み合わせていた。
ジョン・ゴルディが向かいの椅子に座っている。背中が丸まっている。
ギレーネが口を開いた。
「あなた、どういうつもり?」
声は静かだった。笑みもない。
「あれほど、目立たないように計画を進めるよう言ったわよね?」
「申し訳ございません、ギレーネ様」
ジョンが深く頭を下げた。額に汗が滲んでいる。
「効率性を優先した結果です。ですが問題ありません。
我々につながるような人間には、思考強制魔法による自殺だけでなく、
マナローン魔法で強制的に魔物化させる手も打つことで、
二重の安全対策を施しましたので」
びくびくしながら、それでも口の端がわずかにニヤついている。
「その魔法の痕跡が消せていないのが、問題なのよ」
ギレーネは表情を変えない。
「まあ、憲兵隊のトップには私から圧力をかけておいたから、表には出ない。でも」
一拍置いた。
「私の手を煩わせないで頂戴」
「さすがでございます、ギレーネ様」
ジョンが顔を上げ、額を拭った。
「次こそは、あなた様のお役に立てるよう最善を尽くします」
「最善ではなく、結果を出しなさい」
ギレーネの紫の瞳が、静かにジョンを見た。
「さもないと、次はあなたがあの森林を逃げ回ることになるかもしれないわね」
ジョンの顔が、青くなった。
「……冗談よ」
ギレーネは窓の外に視線を移した。遠くで魔法の光が散っている。
「貴族が行方不明になったら面倒でしょ」
ジョンが息を吐いた。ほっとした表情が、顔に出た。
しばらくして、恐る恐る口を開く。
「あのー」
「まだ、なにか?」
「一応、仕事はしたわけですし……」
ギレーネはため息をついた。短く、静かに。
「地下の牢獄に用意しているわよ。あなた好みの奴隷が」
間を置かずに付け加えた。
「持っていきなさい」
ジョンの顔が、あからさまに綻んだ。
椅子から立ち上がり、深々と一礼して部屋を後にする。
扉が閉まった。
ギレーネは窓の外を見たまま、動かなかった。
森林の向こうで、魔法の光が散り続けている。
笑い声が、風に乗って微かに届く。
彼女の紫の瞳には、何も映っていないように見えた。
快晴の空も、光も、遠くの笑い声も、何も。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レインたちがその情報を掴んだのは、さらに二日後のことだった。
ディックが手帳を広げる。
「憲兵隊への圧力の出所が分かりました。ブロンズ家です」
誰も即座には反応しなかった。
「ギレーネ・ブロンズ。
アイアンレッド魔導演習隔離区域の管理者にして、王立魔法学院の講師。
マナレベル3の上位貴族。憲兵隊のトップと定期的に接触している記録が、
裏のルートから出てきました」
リディアが低く言った。
「ここらの地域一帯を管理する領主か」
「そうっす」
「ただ」
ディックが手帳を閉じた。
「動かぬ証拠はない。ジョン・ゴルディという貴族が中間に挟まっているようですが、
そいつも尻尾を出していない。憲兵隊は動かない。動けない」
レインは黙っていた。
「直接、証拠を掴む必要がある」
リディアが言う。
「だが、あの区域は不可侵条約で守られている。踏み込めば国家反逆罪だ」
「……分かってる」
レインは空を見た。青い空だった。
どこかで、今日もあの空の下で何かが起きているのかもしれない。
「急ぐな」と彼は言った。
「焦って動けば証拠を消される。相手は、そういう動き方をする」
「じゃあ、どうするんですか」メリーが言う。
「目立たずに行動する」
路地に風が通った。




