表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯火の誓い〜孤独を選んだ少年と、名を奪われた少女の逃避行ファンタジー  作者: 水瀬 莉音
第七章 優しい檻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/75

第六十三話 小さな光

 あの事件以来、〈誓環(せいかん)のルーヴァス〉――ヴィカリウスを見かけることはなかった。

「この場を収めていただいて、ありがとうございました。いずれお礼に参りましょう」

 あのときの言葉が、ふと胸をかすめる。


 数日が経った。

 庭は、まるで何事もなかったかのように整えられ、砕けた陶器の欠片の跡さえ消えていた。

 鳥の声も、風の音も、どこか遠い。

 あの日の騒ぎが嘘だったかのように、城は静けさを取り戻していた。


 あの人――外交特使である〈誓環(せいかん)のルーヴァス〉。

 王の代理として使節団と会い、王の印章を使うことを許された唯一の人。

 ラファスでは、王は神の代行者とされ、公の場に姿を現すことはほとんどないという。

 その代わりに、人として王の姿を人々へ示すのが、「王の影」だった。

 とくに他国との外交の場では、彼がその役目を担っていた。


 城では、本来の名よりも別の名で呼ばれることの方が多い。

 王の双子の兄。

 王の影。

 そして――王の代理を意味する名。

 〈ヴィカリウス〉。


 エリシアが〈フィルナ〉と呼ばれるのと同じだ。

 そう思うと、なぜだか気になった。

 もう一度話してみたいと思ったのは、彼が名前を持たないと知ったからだろうか。

 あの日、風に揺れた銀の髪の残光だけが、まだ胸の奥に残っていた。


 * * *


 エリシアは、あの日を境に、庭園へ出ることが少なくなった。

 出ようと思えば出られる。

 それでも、足が向かなくなっていた。

 庭園に立てば、黒衛の足音や、ふと感じる視線が背中をなぞっていくようで、心が落ち着かなかった。


 あれほど救いになっていた外気が、今はどこか遠い。

 手伝いを申し出ても「お部屋でお休みを」とやさしく遮られる。

 書物を借りようとしても、理由をつけて断られた。

 そうして、できることは、聖堂に向かうことと、窓から外を眺めるだけになっていった。


 行き交う人影を追うでもなく、ただ見ているだけの日々。

 庭園を横切る黒い軍装の影が、ふいに視界に入る。

 そのたび、胸の奥の深いところが沈んだまま動かなくなる。


 あの日、黒衛の兵たちが向けたあの目線。

 そして――ヴィカリウスが間に入らなければ、どうなっていたのか。

 考えるほどに息が詰まる。


 生死を知らされないままの母。

 確かめに戻ることのできない、聖堂に残してきた女たち。


 そして――王や黒衛の怒りを買えば、メルダやニーナ、バルクやレオンまでも巻き込まれるのではないか。

 そう思うと、外へ出る気力ごと凍りついた。

 気づけば、庭園へも出ず、衛兵や侍女以外と声を交わすこともなくなっていた。



 そんなある日――

 ノックの音がした。

「どうぞ」と声をかけると、扉が少しだけ開いて、肩で切りそろえられた蜂蜜色の髪が、ひょこりと顔と一緒にのぞいた。光をうけて淡く揺れる金色。その奥で、丸い緑の瞳がこちらの様子を伺っている。


 その後ろから、気まずそうな顔のレオンがついてくる。扉を半分閉じたまま、迷ったような足の運びだった。

「フィルナ殿、申し訳ありません」


 レオンが小さく頭を下げる。

「この子が……どうしてもお礼をしたいと聞かなくて」

「あのときの……」

 思わず、声がやわらかく落ちた。


 少女は胸元で小さな包みを抱きしめるように持っていた。

 頬が少し赤い。城の廊下を小走りで来たのだろう。

 乱れた髪を直すことも忘れてきたらしい。

 息がまだ、ほんの少しだけ上がっていた。


「リュミエと申します! 十五です。この前は、本当に、ありがとうございました!」


 言うなり、勢いよく頭を下げた。

 あまりに深く下げたせいで、今にも額が床につきそうだ。

 城の作法として正しいのかは分からない。

 ただ、一生懸命なのだけは伝わってきた。


 そして頭を上げるより先に、抱えていた包みを差し出してくる。

 中には、小さな丸パンが三つ。

 湯気はもう消えているけれど、あたたかさの残り香がふわりと漂った。


「厨房の人に、こっそり焼いてもらったんです」

 エリシアはそっと、その香りを吸い込んだ。

 胸の奥がすこしだけ、ほどける。


「おいしそう」

 その言葉に、リュミエがはっと顔を上げた。

 緊張で強張っていた表情がゆるみ、今にも泣きそうな顔になる。


「よかった……」

 その声は、泣き出す直前みたいにかすかに震えていた。


 後ろで、バルクが咳払いをした。

 気配を乱さないように、しかしはっきりと。

「……次からは、許可を取って来るように」


「はいっ!」

 リュミエは思わず背筋を伸ばし、レオンの方をちらりと見た。

 緊張と嬉しさが混ざったような、子どもらしい返事だった。

 エリシアは、つい笑ってしまう。

 その笑みに、レオンがほっとしたように息をついたのが分かった。


 騒ぎを起こした侍女――リュミエ。

 まだ十五歳らしくあどけなさを残す目元が親しみやすい。

 レオンとは同じ西の農村の出身で、聖堂の事件のあと、人手不足の補充としてこの城に呼ばれたらしい。

 レオンは先に白衛として勤めていて、ここで偶然、幼馴染の彼女と再会したのだという。


「西の出身なのね」

 言った瞬間、声が少し柔らかくなった気がした。

 リュミエがまっすぐ顔を上げ、にっこりと笑った。

「はい。ラセルの近くの、小さい村です」

「……そう。私はあなたの村より、もう少し西。山の向こうの、風の強い土地にいたの」


 一瞬、リュミエの瞳に驚きがひらく。

 そして、ぱっと花が咲くように笑った。


「じゃあ、同じ風の匂いを知ってるんですね!」


 言葉が落ちた瞬間、閉ざされた石の部屋に、どこか懐かしい風が吹いた気がした。

 レオンが静かに息をついた。

 安堵を隠そうともしない、やわらかな息だった。


 外の世界から切り離された城で、

 初めて――

 友達になれそうだと、思った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ