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灯火の誓い〜孤独を選んだ少年と、名を奪われた少女の逃避行ファンタジー  作者: 水瀬 莉音
第六章 アルバトロスの影

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第五十三話 夢の果て

 ラグドが肩で担いだ樽を揺らしながら吐き捨てるように言った。

「こいつはジルド。俺にしごかれてる戦闘員の卵だ」

 呼ばれた薄茶の髪の青年は慌てて背筋を伸ばし、似合わない無精髭の顔を赤くした。

 一応鍛えてはいるのか、ラグドほどでなくてもがっしりはしていた。

 顔つきがまだ若い。

「……まだ見習いっすよ、ラグドさん」


「で、そっちの長髪はイリアス。もともとこの辺の村の漁師だが、それじゃ食えねえからアルバトロスに雇われてる」

 ラグドの言葉に、日に焼けたイリアスが白い歯を見せて笑う。たっぷりの口髭を蓄えた、いかにも漁師らしい男だった。

「まぁ、櫂を漕ぐのは任せとけ。海も川も、このあたりは庭みたいなもんだ」


 荷を背負った一行は、川沿いの小さな浜へと歩き出した。

 湿った風が吹き抜け、干した魚の匂いが鼻をかすめる。


「それにしても、リセルだっけ」

 横で歩いていたイリアスがにやりと笑った。

「細っこいのに力持ちだな。往復しないで運び切れるから助かるよ」

 リセルは息を整えつつ、肩に食い込む縄を握り直した。


 後ろを歩くクロファは、相変わらず手ぶらで涼しい顔をしている。

 それを見たラグドが舌打ちした。

「おい、少しくらい運べよ、役立たず。見物してるだけなら帰れ」


 クロファはちらりと視線を寄こし、わずかに口の端を上げた。

「あいにく、俺は運ぶより眺める方が性に合っている」

「性に合うだぁ? こっちは重労働だってのに……!」

 ラグドの怒鳴り声が川面に響く。


 イリアスが肩をすくめて笑った。

「どうせ運ばせたって、この旦那の細腰じゃあ荷物につぶされちまう。何もしないでついて来てもらう方が、まだ荷物が減らせるってもんだ」


「ラグドさん、俺が二人分働きますって!」

 ジルドが慌てて声を張り上げる。

 どうきいても嫌味にしか聞こえないが、クロファは意に介していないようだった。依然、涼しい表情を崩さない。


 やがて一行は荷を小舟に積み込み、川を遡った。

 両岸は断崖に挟まれ、流れは次第に細くなる。

 まるで行き止まりに見えた岩壁に、イリアスが顎をしゃくった。

「ほら、あそこだ。普通は気づかねえ」


 岩肌の裂け目に小舟が吸い込まれていく。

 暗がりに潮の匂いが満ち、頭上から冷たいしぶきが落ちた。

 やがて視界が開け、岩壁に抱かれた入り江が姿を現す。

 外海からは決して見えない、ひっそりとした浜だった。


 リセルは荷の間に身を沈め、遠ざかる船を目で追った。

 ――子どもたちの笑い声、冷たいスイの背中。

 胸の奥にまだ火種が残っているのを感じながら、黙って水面の先を見つめていた。


 舟を降り、崖の裂け目を抜けてたどり着いたその場所に、沈黙が広がっていた。

 黒く焦げた石垣、崩れかけた祠、砂に埋もれた廃屋。

 風が吹き抜けるたび、呻き声のような音が胸を揺さぶる。


「……ここが、黎火れいかさと

 リセルは足を止め、荒れ果てた光景を見渡した。

「なんど聞いても薄気味悪い音だよな」

 ジルドが身震いした。


 崩れた石段を上がると、低い台座がひとつ残っていた。

 風の音だけがそこに触れている。

 イリアスが足を止めた。

「……ここ、昔は“誓いの碑”が立ってたんだ」

 縁は削り取られ、文字も残っていない。

「ラファスが粛清のときに持ち去った。力のある民を見分けるのに使ってたらしい」

 リセルは黙ったまま、台座に目を落とした。


「碑に触れると、光が立つ。それで……誰が“力を持つか”わかったんだと。今でも、ユーファを捕らえたら、まずそれで“力の有無”を調べて――それから処刑するって話だ。ひどいもんだ。この地を踏みにじった挙句、最後は遺物まで利用してる」

 イリアスはそれ以上言わなかった。

 風が吹き、苔の薄い匂いだけが残った。

 誰も手を触れなかった台座の前で、沈黙がひとつ落ちた。


「この辺りは風鳴りがすごくてな。夜になると、うめき声が聞こえるって。粛清された民の怨念だって気味悪がって、地元のやつは誰も寄りつかない。

 ラファスの人間は、こういう場所を本気で恐れる。火に焼かれた魂は、夜になると歩き回るって。……だから誰も来ない。俺たちにとっては、都合のいい拠点だ」


 イリアスが荷を背負いなおしながら、にっと笑った。

「それを、俺たちが逆手にとって利用させてもらってるってわけだ」

 リセルは荒れた土地を黙って見つめた。

 風化して砂となった廃墟に、どれほどの想いが眠っているのだろう。


 ただ、そこにあるだけで危険視されたユーファ。

 戦うよりも癒すことを選んだエルナ。


 ここで暮らした人たちは、今生きるこの地の人たちと何が違ったのだろう。

 きっと、これだけは言える。

 ――ラファスは、ここに在った命を踏みにじり、人が住めない場所にしてしまった。


 残されたのは、形を失った生活の跡と、空っぽの廃屋だけ。

 その物悲しさが、ただ胸を刺した。


「人がいなくなると、建物はすぐに風化する。悲しいな……人の郷は」

 達観した物言いのクロファを、リセルは思わず睨みつけた。

「お前が言うと、なんか他人事みたいだ」

「……お前にはそうではない、か」


 リセルは押し黙った。

 ここは知らない。

 リセルにとっての故郷は、ヴェルナの草原だった。


(少なくとも――ここは、俺の故郷じゃない)


 それなのに、胸の奥がひどく空っぽだった。

 拳を握る。

 ただ、ここに来れば答えが見つかると思っていた。


 エリシアの力の謎、自分の火が暴走する理由、二人の民族が分かれた経緯。何でもいい。手がかりが欲しかった。

 けれど、目の前にあるのは砂に埋もれた廃墟と、呻き声に似た風だけ。


「……本当に、廃墟なんだな」


 声にした途端、胸の奥まで空っぽになる気がした。


「こんなとこのために、俺たちは……」


 喉が詰まり、言葉が崩れる。


 どうして、あの時――一緒に行くというエリシアを受け入れてしまったんだ。

 こんな場所だと分かっていたら。

 あいつは……あそこにいた方が、まだ良かったんだ。


 クロファが静かに言った。

「ずいぶん落ち込んでいるな。光る石でも転がってると思ったか?」

 リセルが振り返ると、クロファは口の端をわずかに上げていた。

「そんな顔をするな。物は朽ちても、人がいる限り……全部が消えるわけじゃない」

 リセルはクロファを振り返った。  


 郷がなくても、力の答えが見つからなくても。

 ――まだ、自分にはできることがあるはずだ。


 両手のひらを見つめる。

 あの焚き火のゆらめきも、エリシアの笑顔も、隣に座ったあのぬくもりも。


 取り戻したい。

 もう誰からも何も奪われたくない。

 もう逃げるのはやめだ。

 生き延びるためだけに逃げ続けるのは、もうできない。


 風が再び鳴り、巻きあがる炎にも似た音を立てた。

 胸の奥が熱かった。


 空っぽだったはずの場所に、火が戻ってくる。

 止まっていた鼓動が、熱を打ち始める。

 その熱が、ゆっくりと体の奥を巡っていく気がした。


 リセルは拳を握りしめていた。



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