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灯火の誓い〜孤独を選んだ少年と、名を奪われた少女の逃避行ファンタジー  作者: 水瀬 莉音
第六章 アルバトロスの影

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第四十九話 夜の船

 ──甲板作業を終えるころには、すっかり夕暮れになっていた。


 赤い光が帆布に沈み、海面をきらきらと染め上げる。風に混じる潮の匂いが鼻をかすめた。

 夕食のあとも、結局フェレンの機械室を手伝わされ、慣れない作業で体が固まっていた。

 リセルは疲れた体を引きずるようにして、大部屋に戻った。


 小窓から差す光はもう藍に沈み、灯りの明かりだけが布団や荷物をぼんやり照らしていた。

 子どもたちは思い思いに散らばり、小さな声が飛び交っている。

 その中で、淡い金髪の小さな女の子がしくしく泣いていた。胸に抱えた布人形の片腕が、無惨に千切れていた。


「……お母さんが、作ってくれてたお人形なのに……」

 しゃくり上げる声に、周りの子たちも気まずそうに目を逸らす。

 リセルは足を止めた。しばし迷ったが、女の子の前にしゃがみ込む。


「見せてみろ」

 不思議そうな目で差し出された人形を受け取り、ほつれた糸を指で探る。

 腰の袋から細い針と糸を取り出すと、迷いなく布を縫い合わせていった。

 泣いていた子が目を丸くする。


「……治ってる」

「ほら」

 リセルは女の子に手渡した。

 女の子は嬉しそうに胸に人形を抱くと、ありがとうと笑った。こぼれた涙が頬を濡らした。


「よかったね!」

 髪の短い快活な顔立ちの女の子が、人形を抱きしめる金髪の女の子の肩をさすった。

「どこが破れてたのかもわからない! 魔法みたい!」


 ルカが感嘆の声を上げると、テオンやカイも集まってきた。

「ねぇ、これ、昔父さんからもらった帽子だったんだけど、穴が開いちゃってて……」

「あ、まって、リセル、私の髪飾りも!」

「……俺の襟巻も」とカイまで口を出す。


 次々と差し出される小物に、リセルは面食らった。

「おい、一度に出すな」

 文句をこぼしつつも、手は止まらなかった。針が布を通る音だけが静かに響き、大部屋のざわめきが次第に落ち着いていく。

 しばらくして、ひと通り直し終えると、子どもたちは嬉しそうにそれぞれの持ち物を抱きしめた。


「ありがとう!」

「すごいね、お兄ちゃん」

 照れくささに目を逸らすと、ルカが得意げに言った。

「ほら、やっぱりリセルはただの怖い人じゃなかったでしょ!」


 カイがぼそりと漏らす。

「でも、その兄ちゃんは、ほんとの火の民なんだろ……」

「もう、そんなのどうでもいいじゃない。この恩知らず!」

 ルカに一喝され、部屋に笑い声が広がった。


 その後、灯りが落ちて布団に潜り込むと、ぽつりぽつりと小さな声が漏れはじめた。

「……ねぇ、ぶっちゃけさ、本当に東に行くと思う?」

「行ったとして、それからどうなるんだろ」

「誰か知ってる?」


 返事はなく、沈黙が落ちる。


 やがて布団の影からすすり泣きが聞こえた。昼間はあんなに笑っていた、快活な顔の女の子だった。

「もう、急にどうしたの?」

「本当は、私、知らないところになんて、行きたくない。でも……もう、家もなくなって帰るところもないし……」

 その声につられるように、もう一人の女の子の声も震えた。

「私も……お母さんに会いたい」


 リセルは暗がりの中で、天井を見つめた。

 笑い声が消える。

 残るのは、本当の不安だけだった。


 外からは、木がきしむ音と波の寄せる音が、やけに大きく響いてくる。

 それでも、少しだけみんなより年上のルカが、気丈に言った。


「でもさ、スイ様は、悪い人じゃないよ、絶対。だって私を助けてくれたもん。本当に働かせたり、売るつもりなら、こんな風に自由にさせてもらえてないと思う」

 テオンが体を起こして、明るい声で言った。


「みんな、大丈夫だよ。俺なんて、父さんが〈背運び〉で帰ってこなくて、港で一文無しでさ、腹減って動けなくなってるときに、あの人達がここに連れてきてくれたんだ。そんな金にもならないこと普通してくれないって」

「東の大陸ってどんな国があるのかな」

「怖くないとこだといいね」


 ぽつぽつと話す声が徐々に少なくなっていった。

 子どもたちはそれぞれ眠りに落ちていく。


 健やかな寝息と、波の音が混ざって静寂に溶けていった。

 リセルは布団の中で小さく拳を握り、布端を強くつかんだ。吐き出したい言葉を呑み込み、吐息を押し殺す。


 ――それでも、みんな、前を見ている。

 けれど、自分だけは。


(俺は――)


 このまま、東になんていけない。

 夜になると、目を閉じてもエリシアの顔が浮かぶ。


 どうすればいいのか。どうするべきなのか――

 答えは、まだ見つからない。


 布団の中で、目を閉じた。

 それでも、眠りは来なかった。


 藍色の夜の船は、静かに波に揺れていた。



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