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灯火の誓い〜孤独を選んだ少年と、名を奪われた少女の逃避行ファンタジー  作者: 水瀬 莉音
第六章 アルバトロスの影

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第四十八話 船の午後

 昼下がりの食堂は、ほんのり甘い香りで満ちていた。


 机の上には果物や干し菓子が広げられ、子どもたちが思い思いにつまんでいる。

 孤児ということを忘れるくらい、笑い声とおしゃべりが絶えなかった。

 栗色の髪の年長の少年と、赤髪の小柄な少年――リセルの寝台に潜り込んだあの子も、今は何やらカード遊びに夢中になっている。


 リセルは食卓の端に腰を掛け、エクシルにすすめられたハーブティを手にしていた。

 胃の重さはまだ抜けなかったが、遊ぶ子どもたちを見ていると、妙に遠い感覚がした。

(……ここにエリシアがいたら、あの三人の女の子と仲良くなったのだろうか)


 そう思うと、湯気の奥の苦味がいやに強く残った。

 少し離れた席ではシュアやエクシル、クロファが遅めの昼食をとっていた。さらに奥に、ラグドも座っている。

 シュアは、リセルと目が合った瞬間、にっこり笑って手を振った。


「気分はどう?」

 明るい笑顔に面食らうも、無言でうなずく。

 扉に近い席に腰を下ろすと、どこからか黒猫がすり寄ってきた。


(猫までいるのか……)

 リセルは指先でその毛並みを撫でた。その柔らかい感触に、ようやく体が少しだけほぐれる。

「なぁ……俺たちって、どうなるんだ?」


 赤髪の少年――カイが菓子をいじりながら、ぼそりと呟いた。緑の瞳が不安に揺れる。

「働かされるわけでもなく、飯も菓子も出されて……遊んでばっかりだ。……騙されてんだよ。東に着いたら、きっと売られるんだ。この船は奴隷船なんだ」


「そんなわけないでしょ!」

 すぐさま黒髪の少女――ルカが立ち上がり、胸を張った。

「なんだよ、ルカにわかるもんか」


「スイ様がそんなことするはずないもん! だってスイ様は――異国の王子様なんだから!」

「ぶっ……!」

 茶をすすっていたラグドが盛大に吹き出した。慌てて口を拭いながら、咳き込んでいる。

「なに、ラグドさん。行儀悪いよ」

「うるせぇ、お前が変なこと言うからだろ、ガキが」


 ルカが得意そうに胸を張った。

「知ってるもん。大人は飲み込む力が弱くなるんだって。ばあちゃんが言ってた!」

「……それ、遠回しにじじいって言ってるぞ」

 テオンが肩を震わせながら突っ込む。

「別に、遠回しじゃないし」

 悪びれずにはっきりと答えるルカに、ラグドは額に皺を寄せ、低くうなった。


「おい、俺はその王子様とそんな変わらないんだぜ」

「えっでも、ラグドさんは、もっと上じゃ……」

 ルカがさらに口を開こうとした瞬間、ラグドが肩肘をついて鋭い目で睨みつけた。


 気づいたテオンが青ざめた顔で、ルカを慌てて押しとどめる。

 重苦しい空気が一瞬走り、周りの子どもたちも息を呑んだ。

 ラグドはわざとらしく重々しく言い放つ。


「……お前、今夜皿洗い担当な」

「えぇーっ!?」

 ルカが顔を真っ赤にして叫んだ。次の瞬間、抑えていた笑いが弾けるように、子どもたちから大爆笑が起こった。

 ラグドはニヤリと笑い、子どもたちを怖がらせては楽しんでいる節があった。


 その横でカイが肩をすくめ、ぼそりと漏らした。

「……やっぱり俺たち、売られる前に使われてんだ」

「もうっ! あんたは暗いの!」

 二人の言い合いに、周りの子どもたちがくすくすと笑う。


 リセルはハーブティの湯気に目を伏せた。

 笑い声の中、胸に残るのは妙なざらつきだった。


(……奴隷船? もしエリシアを助けて……売るつもりだったら?)


 眉間に皺が寄り、思わず立ち上がってしまう。


「よぉ、楽しそうだな」

 背後から声が落ちた。マストの影から現れた銀髪の青年――スイと、ばっちり目が合った。

「……お前、エリシアを助けて売るつもりじゃないだろうな」

 リセルの声は低く、大真面目だった。


「は?」

 スイの片眉が上がる。


 背後からルカとテオンの笑い声が響いた。

「ほらね、引っかかった!」

「お前が言うからだろ」


 スイは肩越しに二人を見やり、ため息をつく。

「……二人とも、誤解を招くようなことは言うな」

「でも事実じゃないもん。ね、スイ様がそんなことしないっていうのは当たり前のことでしょ?」

 ルカが勝ち誇ったように笑う。


 テオンが肩をすくめ、にやりとした。

「王子が奴隷商人って、その時点でおかしいよな」

 スイはこめかみを押さえた。

「……なんか頭痛くなってきた」


 そして、わざとらしく子どもたちを見渡し、ぼやくように言った。

「バカなこと言ってると……次の寄港地で降ろしてくぞ」

「置いてかれても、絶対置いてもついてくもん!」

 ルカは即答する。

「……ほんと、スイも面倒くさいの拾ったな」

 テオンがぼそりと呟き、その横でリセルも小さくうなずいた。


 スイは小さく息を吐き、空いた席に腰を下ろした。

 リセルは迷い、ついに声を出す。


「……昨日のこと、全部じゃないだろ。エリシアは――」

 スイはゆっくり視線を上げ、低い声で返した。

「昨日で全て話した。聞いたところで、お前に何かできるのか?」


 リセルの喉がひりつく。声が詰まった。

「お前に選択肢はあるのか?」

 その言葉には、王城になど踏み込めない現実が滲んでいた。

 リセルは拳を握ったまま、返す言葉を飲み込む。


 そのとき袖をぐいと引かれ、フェレンの声が割り込んだ。

「ねぇ、リセルだっけ? もう具合よさそうなら、ちょっと手を貸して」

 振り向けば、フェレンがロープを抱えて立っていた。


 半ば強引に立たされ、食堂を出る。

 扉を押すと、潮風と陽射しが一気に吹き込んできた。

 帆布の影、ロープの軋む音、甲板を行き交う足音。

 フェレンは手にしたロープをリセルに押しつけると、まじまじとその手を見た。


「君、きれいな手してるね」


 リセルは思わず顔を背けた。

「……そうか?」

「ちょっとマストの調整が必要でね。ロープの結び方教えるから、覚えといて」

 見よう見まねでロープを結ぶと、意外にも手が素早く動いた。

「やっぱり、思った通り! よく器用って言われない?」

 フェレンの目がきらきらと輝く。


 そのとき、甲板の端から低い声が落ちた。

「……フェレンに目をつけられたか」

 振り向くと、白髪の男がロープを肩に担いだまま立っている。

 白髪の男は、それを無造作に足元へ下ろした。


「面倒見はいいがな。気に入られたら最後、使い潰されるぞ」

「ええ、バルド……そんなふうに思ってたの?」

 フェレンが目を丸くする。

「私がいつ、使い潰すって? こんなに優しいのに」


 バルドは肩をすくめた。

「……その裏に、打算の文字がなけりゃな」

 フェレンが口を尖らせる。

 寡黙な印象だったが、わずかに目が笑っていた。


 そこへ、テオンとふざけて走り回っていたカイが、リセルにぶつかった。

「突っ立ってんなよ。邪魔だよ!」

 キッとにらみつけてくる。


 いつの間にか木箱に座って、煙草をくわえたまま剣を磨いていたラグドが、顔も上げずに言った。

「気にすんな。あいつはまだガキだ。矛先を向ける相手もわかっちゃいねえ」

「どういうことだ」

「カイラだったらしいぞ。赤髪って理由で村を追われた。置き去りになってたとこを俺が拾った。お前みたいな本物の火の民をよく思ってないんだろ。ま、そのうちわかるさ」


 リセルは短く答えた。

「……別にいい。そういうの、慣れてる」


「ほー、だから顔が根暗っぽいんだな」

「こらラグド! そういうこと言わない! まだ怪我してるんだから!」


 フェレンが抗議する。


「その怪我人を率先してこき使ってるのは誰だ?」

「ち、ちがうよ! 気が紛れるかと思っただけ!」  


 子どもたちがくすくす笑う中で、リセルは小さく肩をすくめた。

 その様子を見ていた子ども達が、また悪ノリを始めた。


「ほらな! やっぱり働かされてるじゃん!」

「奴隷船だー!」


 きゃっきゃと笑い転げる。

 ラグドはにやりと笑って、わざと子どもたちを煽るように視線を投げた。

 そこへ、鍋を肩に担いだロウがのしのし現れた。


「おいお前ら、人の飯食って遊んでばかりと思うなよ。皿洗いと掃除くらいはちゃんとしてもらうからな!」

「……げっ!」

 子ども達が一斉に口を閉ざす。ロウの言葉は妙に効くらしく、場がしんと冷えた。


 フェレンはそんな空気も気にせず、さらにリセルの腕を取る。

「ね、ね、船も案内するから、来てみない?」

 甲板に引っ張り出されたリセルは、なぜかフェレンに工具を渡され、帆の補修まで手伝わされていた。

 糸を通し、裂けた布を押さえながら縫い目をなぞっていく。

 言われた通りにやるだけで、指は勝手に動いた。


「リセル、ほんとすごいね!」

 フェレンがぱっと顔を輝かせて声を上げる。

「覚えも早いし、手際がいい。何かそういう仕事してたの?」


「毛皮の縫製とか、まぁ、いろいろ」

 リセルは顔を上げず、針を動かし続けた。

 その様子を、少し離れたところで子どもたちがのぞき込んでいる。


「見て、まだ働いてる」

「やっぱり、少し大きくなれば使われるんだよ、俺たちも」


 くすくす笑う声や、カイの悲観的な声が耳に入ってきた。

 リセルは眉をひそめたが、黙って縫い目を結んだ。

 こき使われているのは否めなかったが、黙って寝ているよりは手を動かしている方が幾分かましだった。

 風にひらめく帆布の影の下、針の先だけがかすかに光った。


「そのうち、機械室も見せていい?」


 それは、暗に機械室も手伝えということだろう。

 リセルは小さく溜息をついた。


(……何もしないよりは、ましだ)


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