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灯火の誓い〜孤独を選んだ少年と、名を奪われた少女の逃避行ファンタジー  作者: 水瀬 莉音
第六章 アルバトロスの影

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第四十七話 揺れる船上

 ガンガン、と金属を叩くけたたましい音が船中に響いた。


「起きろー! 飯の時間だ!」


 ロウのがなり声まで加わって、揺れる船体に共鳴するようだった。


(――なんだ……うるせぇ……)


 リセルは布団の中で呻きながら目を開けた。

 すぐ隣でもぞもぞと身じろぎがあった。ぱち、と目を開けた小さな男の子が、リセルを見て露骨に顔をしかめる。


「なんで、お前が俺の布団にいるんだよ!」


 ぐいっと腕で押しのけて、そそくさと布団を抜け出す。

 赤い髪が、朝の光を受けてちらりと揺れた。

 リセルは思わずむっとして言い返した。


「お前が勝手に潜り込んできたんだろ!」


 だが少年はもう聞いていない。背中を向けて部屋を出ていってしまった。

 他の子どもたちが次々と起き出す。


「もう……ロウのあれ、なんとかならないの? 普通に起こしてほしい」

 十代前半ほどの、ふわっとした黒髪の少女が顔をしかめ、隣に寝ていた年下の女の子たちを揺さぶった。


「みんなも起きて! 早く行かないとロウが怖いよ!」

「うーん……朝か……」

 栗色の髪の少年がだるそうに伸びをしながら起き上がる。十代前半だが、この中では一番年上に見えた。


 リセルも立ち上がろうとしたが、途端に胃の奥から込み上げるようなむかつきに襲われ、よろめいた。

「……っ」

「大丈夫?」


 世話焼きそうな黒髪の女の子が慌てて駆け寄ってきた。切り揃えられたウェーブの髪が顎下で揺れる。

「昨日の……お兄さんだよね。顔色悪いよ。船、初めて? 私も最初はそうだったよ。横になってたほうがいいんじゃない?」


 その時、入り口に大股でロウが現れた。

 がっしりした体に、不釣り合いな深緑のエプロンを下げている。


「おい、早く来い! 朝飯が冷めるだろうが!」

「悪い……今、食えない。気持ち悪い……」


 リセルが顔を青ざめさせて答えると、ロウの眉間がぐっと寄った。

「なんだと? 俺の飯が食えない奴はどうなるか、昨日言ったよな」

 ずかずか近づいて首根っこをつかむ。

「このまま海に投げ込んでやる」


「……うっ……」

 喉の奥がこみ上げ、さらに気分が悪くなる。

「やめろ……吐く……」

 その瞬間、背後からゴツン、と硬い音が響いた。

「ぐおっ!」


 ロウの後頭部に工具の柄が直撃していた。振り返ると栗色の髪をひとまとめにした作業服の女性が仁王立ちしている。


「具合悪そうなの、見ればわかるでしょ! ほんっと配慮足りないのよ、この食え食えジジイ!」

「フェレン……また俺を殴りやがったな。それに、誰がジジイだ。このハンサムを捕まえて」


 ロウが頭をさすりながらぼやく。

 子どもたちから一斉に笑い声が上がる。


「またロウが怒られてるー!」

「お前らぁ!」

 ロウが吠えた。

「今、笑ったやつは全員皿洗いな!」


「げっ、俺じゃねぇし!」

 栗色の髪の少年が慌てて立ち上がり、誰よりも早く部屋を飛び出していった。

「あ、ずるい!」

「待ってよー!」

 少女たちもあとに続いた。


 ロウはリセルを放し、舌打ちしながらのしのしと背を向けた。

「ちっ……吐きそうなら仕方ねぇ。甲板で風にでも当たってろ」

 ぼやきながら厨房へ消えていく。


 フェレンと呼ばれた作業服の女が、リセルの肩に手を添えた。

「大丈夫? 驚いたでしょ」

「いや……それよりも、吐きそうだ。こんなの、初めてだ」

「船酔いね。……とにかく、甲板に行こう」


 支えられながら甲板へ出ると、潮風が容赦なく顔に当たった。

 そこには白髪の壮年の男がロープをさばきながら、舵の具合を確かめていた。

 寡黙な男だった。年季と信頼が、そのまま立っているようだった。

 フェレンが彼に声を掛けた。


「おーい、船酔いみたい。ここでちょっと休ませてやって」

 白髪の男は目を細め、リセルを一瞥した。

「……なるほど、顔色が悪いな」


 フェレンはため息をつきつつ、腰に手を当てる。

「ロウが、また気合い入れすぎたのよ。ほんとにもう」

 男はわずかに笑い、舵から手を離す。

「ロウのやり方は昔からだ。悪気はないんだがな」


 フェレンはぶつぶつ文句を言いながら、リセルの肩を支え直した。

 そのやり取りを耳にした瞬間、胃がひっくり返る。


「……吐く」


「ちょ、あー! こっちこっち!」


 慌てるフェレンの声と同時に、場面は騒然となった。

 結局、リセルは担がれるようにして医務室へ運ばれた。


 * * *


 船底の一角にある医務室に運び込まれると、潮風とは違う匂いがした。

 乾いた薬草と酒精の混じった、少し鼻をつく匂い。


「やれやれ、朝っぱらから患者か」


 銀髪に白髪混じりの中年の船医が、眼鏡の奥からじろりとリセルを見下ろした。

 机には瓶や器具が雑然と並び、壁には古びた包帯や薬草が吊るされている。

 無骨な手で脈を取りながら、彼は低く唸った。


「顔色は悪いが、熱はないな……ふむ。船酔いだろう。ついでに昨日の怪我も見てやる」

 包帯を解かれると、リセルは少し身を引いた。


「……もう、大したことない」

「自分で判断するな」

 

 短く一蹴される。

 手際よく傷口を確かめた船医が、眉を上げた。


「傷の治りがやけに早い。骨もしっかりしてるし、肉の付きも悪くない」

 じろりとリセルを見やる。

「……ユーファの血か。あいつらは頑丈だ。悪いこっちゃない。医者からすれば助かる患者だ」


 短く息を吐いて肩をすくめる。

「何度も命拾いしてきただろう。まぁ、そういう体だ」

 少しの間。

「……そうなのか?」

 思わず口にしていた。


 ユーファだとか、火の民の血とか。

 そんなこと、考えたこともなかった。


 炎を出してしまってから、意識するようにはなった。

 だが——


 頑丈だとか。

 傷が治りやすいだとか。

 その言葉だけが、妙に残った。


「だが油断するなよ」

 船医は再び包帯を巻き直し、眼鏡を押し上げた。

「頑丈な奴ほど、無茶して壊れる」

 ばんっと乱暴に背中をたたいた。目の前に火花が飛んだ。同時に吐き気がもどるのを必死に飲み込む。


「さて、これでよし。あとは酔い止め出してやるから飲んで寝てろ」

 立ち上がって薬棚から瓶を取り出しながら、思い出したように付け足した。


「……そうだ、俺はオズヴァルド。オズって呼ばれてる。この船の医者だ。不調は甘く見るな。何かあれば呼べ」


 その声音はぶっきらぼうだが、どこか人情が滲んでいた。


 * * *


 酔い止めを飲んでしばらく横になっていると、医務室の扉がぎいと開いた。

 入ってきたのは、鍋を片手に抱えたロウだった。


「おう、生きてるか」

 にやりと口角を上げる。


「……まだ気持ち悪い」

 リセルは布団の上で反射的に背を向けて丸まった。また放り出されそうになるのは嫌だった。


「そう言うと思ったぜ」

 ロウは鼻を鳴らして、鍋を机にどんと置くと、蓋を開けた。

 ふわりと湯気が立ち上がり、柔らかい米の匂いが鼻をくすぐる。


「赤子でも食える粥だ。俺が作った。ありがたく食えよ」

「……粥?」

 ちらりと首だけロウに向ける。

「おう。味も薄めてある。消化にいい。文句あるか?」

「……いや」

「なら食え。俺の飯を無駄にすんな」

 

 ロウが匙を差し出した。リセルは体を起こすと、おそるおそる口に運んだ。

 湯気に包まれた温もりが舌に広がる。

(……あれ、これは気持ち悪くない)


 胃はまだ重いが、不思議なことに喉を通った。

 ロウは腕を組み、満足そうにうなずいた。


「ほらな。俺の飯は赤子でも食える。……お前みたいな半端ガキでもな」

「半端ガキ……」

「文句あんなら元気だってことだ。よし、よし」


 ロウは笑って立ち上がる。

 その背に、リセルはつい問いかけた。


「……なんでそこまで食わせようとするんだ」


 ロウは一瞬だけ振り返り、視線を泳がせた。長い前髪の奥で、薄灰の目が陰ったように見えた。

「昔、病気で弱っていって、食えなくて死んでったやつがいてな。……細くなって、骨みてぇに痩せてな」


 言葉を切り、肩をすくめる。


「だからだ。食えれば生きれる。生きてりゃ、まだどうにかなる。だから、俺はどんな状況でも食わせるって決めてんだ」


 それ以上は何も言わず、鍋を抱えて出ていった。

 残された静かな船室に、粥の湯気が漂う。


 リセルは匙をもうひと匙掬い、そっと口に運んだ。

「……うまい」


 思わずこぼれたその言葉は、ぽつりと落ちて、船室の静けさに溶けていった。

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