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灯火の誓い〜炎を宿す少年と、癒しの力をもつ少女。それでも、選んでしまう旅。その炎は、守りか――灯火の竜の記憶か。   作者: 水瀬 理音
第五章 淡雪の鈴

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第四十一話 港町ファロス

 それにしても、由賊の船が堂々と港に停まっているものなのか――


 わからない。


 ぐぅ、と間の抜けた音が響いた。

 エリシアがお腹を押さえて照れくさそうに笑う。


「まずは飯だな」


 港通りの飯屋に入り、二人で卓につく。

 魚を焼く香ばしい匂いと、煮込みの湯気が店内に満ちていた。

 背後の席から、ざらついた声がかかった。


「姉ちゃん、兄ちゃん、この辺りで見ない顔だなあ。二人旅かい?」

「……そうだけど」

「気をつけた方がいいぞ」


 初老の男が、湯呑を置きながら身を乗り出してくる。


「最近、この港で下働きしてた子どもや孤児が消えてるんだ」

「消えた?」


 エリシアが眉を寄せる。


「ああ、なんでも由賊が子どもを攫って、遠い東の大陸で奴隷にしてるとか。東は奴隷の値も高いらしい」


 男はリセルをちらと見て、口元を歪めた。


「兄ちゃん達は分別ありそうだが、それでも気をつけろよ。子どもだけで歩いてたら狙われる。知らない奴にはついて行くな」


「子ども扱いするな」

 リセルが低く返す。

 横から別の男が口を挟んだ。


「おい、バカにするなって。なぁ、俺の息子より若そうだが、しっかりした面構えだ」

「……行こう」


 食べ終えた器を置き、不機嫌そうに席を立つリセルに、エリシアは慌てて後を追った。

 外に出て石畳を歩き始めたとき、通りの影が、少し長くなっていた。

 

 背後から声がかかった。

「……そこの二人」


 振り返ると、二十代そこそこの青年が立っていた。

 背は高すぎず低すぎず、威圧感はない。だが、背筋は真っすぐに伸び、立ち姿に妙に隙がない。首に巻かれた黒い布が口元を覆い、その上から覗く瞳は落ち着いた紫色で、港のざわめきの中でも揺れなかった。


 潮風が吹き抜け、赤みをほのかに帯びた柔らかな茶色の髪が、陽を受けて一瞬だけ暖色にきらめく。港の喧騒の中で、なぜかその気配だけが、しんと静まり返っていた。


 リセルの視線が、男の外套の袖口に止まる。左腕には黒い布が巻かれていた。

 黙っていると、男は静かにリセルとエリシアに視線を向けた。まるで、顔から何かを読み取るような、観察するような目だった。最初から、二人の様子を知っていたかのように。


「追われてる顔だな」

「……なんで……」

「待て、当ててやる」


 男は話そうとするリセルに片手を向けて遮る。

 視線がわずかに細められ、間をおいてから言葉が落ちた。

 その目が、かすかに笑ったように見えたのは気のせいだろうか。


「……北から来た。そうだろう?」

「……何だ、お前」

「何か、探してるな」


 淡々と告げる声。

 あまりに的確で、胸の奥がざわつく。

 布の影から辛うじて見えた口元は笑っているようにも見えた――けれど、その目は少しも笑っていなかった。


「港の中に、俺と同じ布を巻いてるやつがいる。そいつに、『風は西から』って言え。手を貸してくれる」

 返事をする間もなく――男はあっという間に通りの角に消えていた。

 男が消えた路地をのぞき込むも、もうその姿はなかった。


「なんか、占い師みたいな人だったね」

「あんな占い師がいてたまるか」

 リセルは、吐き捨てるように言った。


「でも、あれって……もしかして由賊かな」

「……可能性はある。でも」

 飯屋の男の言葉が頭をよぎる。


 ――人攫いかもしれない。子どもだけで歩いていたら、狙われる。


 そのとき、港のざわめきの中に、かすかな泣き声が混じった。

 リセルは足を止め、声の方を探る。木箱の影に、小さな背中がうずくまっていた。


「……おい、どうした」

 顔を上げたのは、栗色のふわふわした髪の男の子だった。年は四つか五つに見える。涙で濡れた頬を袖でこすり、かすれた声で答えた。


「……父ちゃんと、はぐれちゃった。魚を売りに来て……ちょっとだけ船から降りたんだけど……戻ったら、もういなくて」

「こんなところにいたら、危ない」

「リセル、探してあげよう?」


 エリシアの声に、ため息と一緒に頷く。

「どの辺りではぐれたの? 一緒にさがすよ」

 エリシアが笑いかけると、安心したのか、男の子はまだ涙の残る目を瞬かせた。


 港は潮と魚の匂いが濃く、足元には網や縄が散らばっていた。

 すれ違う船員や商人が大声でやり取りをし、荷を運ぶ声が響いていた。

 やがて、船の密集地の一角で、子どもが「あ!」と声を上げる。


 桟橋の先で、同じ髪色の男が慌ててこちらに駆けてきた。

「こら! 探したぞ! 船にいろっていったのに……しょうがねぇいたずら坊主だ!」

「父ちゃん! ごめん!」

 父子は抱き合い、父親はリセルたちに何度も頭を下げた。


 見送りながらエリシアが「すぐみつかってよかったね」と安堵の笑みをこぼす。

「……そうだな」

(ああいうのが、子どもだ。俺たちは違う。怪しいかどうかは、見ればわかる)


 不思議と、黒い布の連中を探す気になっていた。


「……ちょうど船も商人もたくさんいる。黒い布の連中がいるか、確かめよう」

「そうだね!」

「ただ、あの言葉を掛けるかは、会ってから決める」


 そのとき、視界の端に一隻の船が入った。

 他の船と同じように積荷を降ろし、商売の声を飛ばしている。

 黒い布を腕や腰に巻いた船員たちは、荷の出し入れや商談に忙しそうだ。


 だが、その中に一人――明らかに場違いな男がいた。

 二十代後半ほど。

 薄手の服の上に、明るい色の分厚い上着をきっちりと羽織っていた。


 埃と潮風の中で、どこか噛み合わない。

 船員らしい逞しさも、商人らしい鋭さもない。

 それでも、船の荷を抱えている。

 手つきは慣れているようでいて、どこか身が入っていない。

 口元には柔和な笑みが浮かび、青い瞳は印象的で、港の喧噪を映していない。


「ん? 何か用かい?」

 青年は背後のリセルとエリシアに気づくと、ふと向き直って笑った。

 端正な顔立ちがくしゃっと崩れ、笑みが顔全体に広がる。


 だが、その奥には、静かに人を測るような理知的な光が潜んでいた。

 リセルは面食らった。

 港の船員の中で、この柔らかすぎる物腰は異質だった。


「どうしたの? 迷子かい?」

「あ、あの……」

 不意をつかれたように、エリシアの視線がわずかに逸れ、指先が無意識に外套の裾をつまんだ。

 彼がにこっと笑った拍子に、丸みのある黒い帽子の下から、金色がかった髪がひと房だけ潮風に揺れた。


 その横で、リセルは、あの言葉を言うべきか迷った。

 ふと視線を巡らせると、この船のそばに、同じ黒い布を身につけた者がまだいた。荷を積んだままの木箱が、乱雑に積まれている。ここを拠点にしているらしい。

 一人は、荷の山の前に立つ、ひときわ体格のいい男だ。

 無言のまま木箱を担ぎ上げるその動きは重そうに見えて、実際には驚くほど無駄がない。


 もう一人は、つなぎ姿の若い女だった。

 積み荷の留め具を確かめ、道具袋から何かを取り出しては、手早く調整している。

 その指の動きだけがやけに軽く、港の喧噪に埋もれない速さを持っていた。

 会話は交わしていない。

 けれど、互いの動きを確かめるような間合いだけが、はっきりとある。


 港の風景に溶け込んでいるはずなのに――

 胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。

 リセルが黙っているのを見て、エリシアが口を開きかけた。


「えっと……きょうは……あの、風が……」

「エリシア」

 まだ判断には早い――


 そう思って制止しようとした、そのときだった。桟橋の先から、甲板を蹴る音と怒声が重なった。

 金属がぶつかる甲高い音。

 潮の匂いに、わずかな焦げが混ざる。

 通りを行き交う人々の足が一瞬止まり、ざわめきが走った。


 混ざり込む、低く荒れた罵声。

 港の騒ぎはさらに大きくなる。

 子どもの泣き声と、誰かが叫ぶ声が響いた。


「なに?」

「わからない。でも――」

 理由はなかった。ただ、嫌な感じがした。

 リセルは短く息を吸い、声のする方へと駆けだした。


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