六節 父の後手後手
昌澄くんとの初対面で泡を吹いた翌日、私は半ば意地で出仕した。
いや、意地というのは違うか。
娘の婚姻だ。
相手がどれだけ胃に悪かろうと、貴族として通すべき筋は通さねばならない。
せめて婚姻の手続きくらいは、父として先に動かねばならないと思ったのだ。
まずは宰相閣下へ報告し、正式に婚姻の許可を願い出る。
そう思って執務室へ向かったのだが――
「ああ、時壱先輩。お待ちしておりましたよ」
後輩でもある宰相閣下は、何故か実に穏やかな顔をしていた。
いや、後輩が『時壱先輩』と呼ぶ時点で、嫌な予感しかしない。
「ご息女の婚姻の件ですね?」
「……はい」
「ええ、こちらです」
差し出された書類を見て、私は固まった。
婚姻許可書。
朝比奈家の印、あり。
署名、あり。
……そして、おまけのように王印まで押されていた。
あと足りないのは、私の署名だけだった。
「……は?」
「いやあ、朝比奈先輩の動きが早くてね。こちらも確認を急がされました」
「早いとかそういう問題ですか!?」
「王家としても異論はありません。家格も申し分ない。ご本人たちの意思も確認済みです。千歳くんの将来性を踏まえても、むしろ遅らせる理由がありません」
さらりと言われて、私は書類と宰相閣下の顔を交互に見た。
「それと」
まだあるのか。
嫌な予感しかしないまま顔を上げると、宰相閣下は実に穏やかな顔で続けた。
「国王陛下が、大聖堂を使ってよいと仰っていました」
「……は?」
「有体に言えば、結婚式に招け、とのことです」
「はい?」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
大聖堂。
王家の婚礼にも用いられる、あの大聖堂か?
「いや、何故です?」
「ほら、昌澄くん、第三王子の昆明殿下と親友でしょう?」
宰相閣下は、何でもないことのように言った。
「合法的に参列させてあげたい親心ですよ」
「親心で大聖堂を使わせるのですか!?」
「陛下ですからね」
さらりと返されて、私は言葉を失った。
家の婚姻に、王家が乗ってくる。
しかも善意で。
逃げ道が、また一つ塞がった気がした。
署名済み。
押印済み。
許可済み。
しかも、大聖堂まで出てきた。
準備が、万端すぎる。
私の知らぬところで。
「……私に拒否権は」
「ありますよ?」
宰相閣下はにっこり笑った。
「もっとも、時壱先輩はお使いにならないでしょうけれど」
その瞬間、胃がきりきりと痛み出した。
ああ、この人もそうだった。
人の逃げ道を塞いでから、優しく笑う類の人間だった。
「時壱先輩?」
「……少々、お待ちを」
書類を見たままそう言ったところで、視界が白くなった。
どうして私の周りには、こうも段取りの良すぎる人間ばかりいるのだ。
そして私は、職場で二度目の失神をした。
まったくもって、不本意極まりない。




