一節 父の苦労
瞬木 時壱。
妻に先立たれ、娘と二人で慎ましく暮らす、元騎士の貴族である。
今は王宮の出納官吏として働いている。
元騎士で、なおかつ書類仕事もできる――その一点を見込まれ、騎士団退団後に宰相閣下に物理的に泣きつかれてこの職に就いた。
物理的に……足にしがみつかれて号泣しながら『助けてください時壱先輩!』である。
べしょべしょの顔をした成人男性、それも四児の子持ちにそんなふうに頼まれて、断れる人間がいたら会ってみたい。
……一人思いついたが、あの人は人の心が無いから例外だ。
まあ、そんな私だが、可愛い娘がいる。
私としては可愛いが、まあ、周りと比べると平均というべきなのだろう。
私が可愛いと思うのだから、それでいいだろう。
父親なんてそんなもんだ。
そんな娘は二十三歳の若さで、第一騎士団の副団長になった。
娘よ、父が二十八歳でなった副団長を簡単に追い抜かないでくれ。
なんて思ったが、娘はその辞令と共に、動乱渦巻く『喜哉』へと旅立った。
生きてさえいてくれればいい。
だから、ただ無事に帰ってきてくれと願った。
願いが通じたのか、娘は帰ってきた。
……が、何故か顔が赤い。
熱でもない、日焼けでもない、何と言うか、違う熱に浮かされたような。
流石に父、察した。
娘に春が来た。
根掘り葉掘り聞きたい。
が、なんとか口を閉じた。
その内、いい知らせなのか悪い知らせなのか、とにかく祝うべき知らせを貰えると思っていた。
……なんて思ったのが一年前だ。
最近の娘はどこかそわそわしている。
ただ、なんだか不思議な気分だった。
「父上」
娘が珍しく話しかけてきた。
顔を真っ赤にして、でも、切羽詰まったように。
「どうした千歳」
「ちょっと、その、相談が、あるんだけど、いい?」
娘の久々の休暇。
家で余計なことをして休めなくなるのを防ぐために、私も有給休暇を取った。
なので騎士服でもなく、久々に見る娘の年相応のワンピース。
そんな娘はぎゅうっと、ワンピースを握っていた。
「ああ、構わないぞ?」
「実は、あの、私ね、告白、されているの」
ドキッと色んな意味で心臓が高鳴った。
多分そうだと思った、とか、相手は誰だ、とか、聞きたいことはたくさんあるが、とにかく飲みこんだ。
娘の相談が先だ。
あれか?
婿入りが難しいとかか?
長男だったりするなら困るな。
平民か?
平民なら問題ない。
あとは、相手が問題児か?
千歳の性格だと、その可能性は低いな。
「そのね、一年前に、告白、されたの」
私は、ぴたりと固まった。
「……は?」
告白されたのが、一年前?
思わぬ言葉に、声が出なかった。
「でも、その時は、いきなりだったし、びっくりして……お友達からでお願いしますって言ったの」
娘の口から出るにはあまりにも初心な悩みに、一瞬、言葉を失う。
いや、待て。
待て待て待て。
私の娘が。
あの、戦場で笑いながら時間を巻き戻し、平然と敵陣の真ん中で働く娘が。
今、父親相手に、初恋の相談をしている?
その事実が、妙に嬉しくて、妙に心配だった。
衝撃が大きすぎて、頭の中が少し静かになる。
千歳はそんな父の動揺に気づく様子もなく、困ったように続けた。
「それで、ちゃんとお友達にはなったんだけど……そこから先、どうしたらいいのか分からなくて」
「……分からない?」
「うん」
真っ赤だった。
耳も、頬も、首筋まで。
ああ、と胸の奥で何かが軋む。
この子は、母を早くに亡くした。
恋だの愛だの、そういう柔らかい話を、気軽に相談できる相手がいつもいたわけではない。
もちろん、周囲に気遣ってくれる人間はいた。
だが、母親の代わりにはならない。
だから今、娘は精一杯、自分で考えて、悩んで、それでも分からないから、父のところへ来たのだ。
この相談を持ち込まれた時点で、父としてはもう負けである。
私は一度、咳払いをした。
「……進みたいのか」
千歳は、ほんの少しだけ目を逸らした。
だが、そのあとで小さく頷く。
「うん」
その返事を聞いた瞬間、もう答えは決まった。
下手な駆け引きだの、恋の機微だの、私には分からん。
そもそも、そういう繊細さで生きてきた覚えもない。
だが、だからこそ言えることはある。
「なら、自分から進みたいと言うしかないだろう」
千歳が、ぱちりと目を瞬いた。
「え?」
「待っていて伝わるほど、男は賢くない。いや、賢い奴もいるかもしれんが、大半は鈍い」
特に真面目な男ほど、相手の言葉をそのまま受け取る。
一年前に『友達で』と言われたのなら、律儀にそこで止まるだろう。
「だから、お前が『その先へ行きたい』と言え」
千歳は、しばらく黙っていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「……そっか」
「そういうものだ」
「父上にしては、まともなこと言うね」
「なんだその言い方は」
「だってもっと、『まだ早い』とか言うかと思った」
私は眉を寄せた。
「お前が自分で進みたいと言うなら、止める理由はない」
それに、と心の中で続ける。
娘がそこまで悩んで、ようやく掴んだ気持ちを、父親の都合で潰せるものか。
千歳は、少しだけ笑った。
それから、覚悟を決めたように頷く。
「……分かった。言ってみる」
その顔を見て、私はようやく一息ついた。
ついたのだ。
その時、相手の名前を聞かなかった自分を、後日、心の底から呪うことになるとも知らずに。




